「珍しいな、お前が失敗するなんて」


しぼんで半分くらいの大きさになってしまったケーキを手にとって、茶化すように桐生さんは笑った。さすがに私も苦笑いで答える。


「やっぱり慣れないことはするもんじゃないってことですかね」


調理台の上のそいつらが、恨みがましげに見上げている気がして、目を合わせることもできない。新宿駅の洋菓子店の従業員としては、情けないことこの上ないのだが。桐生さんの大きな手に掴まれていると、よりしぼんで見えてしまう。
慣れないのは菓子作りじゃなくて、その動機だ。きらびやかな夜の蝶たちの甘いりんぷんがまぶしてある高級チョコにせめて対抗できるとしたら、せいぜい手作りだけどこのクオリティです(それも僅差)ということだったろうに。私のささやかな目論見は呆気なく崩れ去った。


「すいませんでした、呼び出したりして」


それもこんな日に、と心の中で付け加えておく。約束があるのではないかと怖くて、昨日まで電話できなかった。絶対断られると三回言い聞かせた理性を裏切る了承の答えに、うなだれていた本音がちらつかされた希望に目を輝かせて顔をあげた。浮かれていた。とんだお祭り野郎だった。まったくおめでたい奴だった。菓子づくりなんて、上の空でやったら失敗するにきまってるのに。


「……うまいな」


もごもごとくぐもった声だった。そらしていた目を桐生さんに合わせると、指先のくずをなめとっているところだ。


「ちょっ、具合悪くなりますよ!」
「別に見た目がちょっとよくねえだけだろ?」


早くも二つ目に伸ばしかけていた手を素早く制す。


「気を使っていただかなくて結構です」
「使ってねえよ」
「じゃあ後日改めてお詫びとしてもっとちゃんとしたの、持っていきますから」
「それじゃ意味ないんだろ?」


調理台の向こうの桐生さんは、微笑んでいるのに目が射抜かれそうなほどまっすぐだった。これが経験値の差だろうか、言ってしまいたくなる。でも、同時に思い知らされる。桐生さんは私だけの人にしてしまうには価値がありすぎて、私には桐生さんだけの人にしてもらうには何もない。何か一つでも、この人の心に引っ掛かり続けるだけの出っ張りがどこにもない。


「それを、私に言わせるんですか?」


あまりに卑怯でねじ曲がった謀りに、声がみっともなく震えた。こんな駆け引きじみたこと、不器用な私にできるわけがない。まだ自分の得物も分からないのに、百戦錬磨の猛者に自ら仕掛けるなんて、ほらみろ、桐生さんも笑っている。


「ああそうだな。こういうのは男から言うもんだった」


いたいけで愚かな本音が、期待に頬を赤らめた。理性は冷たい目で一瞥している。口をつぐんで、言葉のつづきを待つ。桐生さんは立ち上がって私のそばまで回り込み、さっきまでできそこないのチョコレートケーキを掴んでいた大きくて骨ばった手で、私の顎を優しくとらえた。いくら疎いと言ったって、ここまでくればもうわかる。なんだ、結局桐生さんは最後の選択を私にさせたのだ。ずるい大人。かさついた唇は柔らかくて、ほろ苦かった。



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