真っ青すぎてうそみたいな空めがけてゆるりゆるりと細く流れる紫煙。もうずいぶんご無沙汰な苦味を口の中で思い起こしながら、手摺りにもたれる貫禄たっぷりの後ろ姿にこっそりと近寄った。


「なまえさん」


ぴくっ、と肩が揺れたあと、少しだけ恨めしげな目をして振り向く。犬みたいに従順なふりしてそばに寄っていって、真似して俺も手摺りによっかかり、ジムからかすかに漏れてくる鈍い打撃音に耳を澄ませた。なまえさんはジャージのポケットから出してきた、会長にむりやり持たせられた携帯灰皿にまだ長い煙草をもみ消してしまい込んでしまう。女の人がよく吸う細くて空気みてえな味の銘柄じゃない、ヘビースモーカー御用達のどぎついそれは、化粧っ気のないなまえさんの唇にはむしろよく似合ってると俺は見るたび思う。なんの信条なんだか俺たちボクサーの前じゃ絶対に吸わないせいで、せいぜい2、3回しか見たことがない。


「また煙草っすか」
「…なんか文句あんの?」
「……いや、ないです」


下からにらみあげられると、ついこうして負けてしまうのがほんのり情けない。が、このひと相手にゃ優位に立とうってのがまず思い上がりだろう。なんせあの鷹村さんの幼なじみなんだから。やっぱりすげえ人ってのはすげえ人とつるむもので、なまえさんもまたスポーツ医師会の権威と名高い家の息女らしく、家業を継ぐためだとかでとんでもなく頭の出来がよろしい。そのせいか、俺の知ってることの10倍くらいは知っていそうで、なんでもお見通しなんじゃねえかって、こんなかっこつけは笑われるんじゃねえかって、怖くなって偉ぶるのをやめる。そんなの気のせいに違いねえんだけど。
手を組んで高く上げて、ぐぐっと気だるげに伸びをしたなまえさんは、出入り口に近い方に立っていた俺の後ろを追い越した。


「さて、と。そろそろいくか」
「えっ」
「ロードするから呼びにきたんじゃないの?」


いや、まあ、それもありますけど。さっさと屋上を後にしようとしていたなまえさんは不思議そうに立ち止まって振り返り、しどろもどろな俺は結局軽々と、けどのその先を諦めて頬をかいた。だって、ジム内でこんなふうにふたりっきりになんて、なれるもんじゃねえからさ、そりゃまあ、ねえ?心の声全部をへらり苦笑いに押し込めた俺を、なまえさんは真正面からじっと見つめる。その目にはやっぱりなにもかも見え透いているんじゃないかって、むしろちょっと期待してみる。


「達也」


めったに呼ばれない名前に気をとられたすきに、ちょっと照れくさそうにはにかんだ唇が、柔らかに俺の口に触れて、ガキのお遊びみたいなくせに煙草の残り香がした。そんなのよりずっとえぐいやつ何度もしてきてるはずなのに、俺は中坊みたいに耳まで真っ赤にしてしゃがみこんだ。膝に額を押しつけて隠したのは、ばかみたいに緩む頬。ちくしょう、こんなことされちゃ、いつになっても俺はこのひとに勝てやしない!
ほらいくよ、と言われて顔を上げたとき、俺に背を向けるなまえさんの、風にゆれた黒髪の間からちらりと真っ赤な耳が垣間見えて、俺はさらににやついて、慌てて立ち上がってその後を追い掛けた。


← →


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -