シーズンはまだずっと先だからか、昼過ぎだというのに俺たち以外誰もいない。春先の海風はつめたくて、隣のなまえさんが震えた。
「そんな薄着でくるからっスよ」
ワゴンの後ろにいつも積んであるオレンジの格子柄のブランケットを投げてやると、いそいそとそれにくるまった。さむいくせに、そこから動こうとは思わないらしい、じいっと海を見つめたまま動かない。あんまりにも夢中な横顔だった。
かと思えば、ふいに砂浜へスニーカーのまま下りて行ってしまう。サンダルで追いかけると、波の来ないところに靴を脱ぎ捨てて、素足でじゃぶじゃぶと海にはいっていった。ふくらはぎを泡立った波がなめる。黒い髪が束になってなぶられる。大きなブランケットがひらひらと揺れる。
「ちょ、濡れる!」
ぶわっ、と目の前に広がったブランケットがさえぎる一瞬前の顔は、たしかに企み顔だった。投げつけられたと分かっても避けることもできず、見事顔面キャッチをかました俺の視界が、ふいに明るくなって、ほらやっぱり。
「う、わっ」
なまえさんが投げたブランケットが履きつぶされたスニーカーの上に舞い降りたのと、俺が海の中に手をついたのは同時だった。大袈裟なほど水しぶきが上がって、口元がしょっぱくて呆然としていると、俺の腕を引っ張って体を入れかえた人の笑い声。
「ざまあみろ」
ああもう、ほんとにこのひとは。
全身ずぶぬれでもうかばうところなんてひとつだってないから、体を反転させて海の中に尻をついて手を伸ばすと、いたずらの成功したなまえさんはばかにすなおにその手をとる。ぐいっと引っ張れば、どこかでわかっていたのかこれまたすなおに俺の胸に飛び込んできて、またしぶきがあがる。
しばらく目をぱちぱちさせたあと、俺をじっとみて、笑いだす。
「くっだらねー」
「確かにちょっとアホすね」
俺の笑いがやんだころ、なまえさんも黙って、なんだか吸い寄せられるように当たり前にあたりまえのことをした。こんなばかっぷる滅んじまえと思っていたあの日がなつかしい。