「冴島、ひっさしぶり」

呼ばれた声に顔をあげる。考えた通りに、考えた人間が立っていた。

「久しぶりって。いつも居るよね」

「俺は久しぶりに見んだもん」

「それは野宮くんが久しぶりに図書室に来たんだよ」

「いや、移動教室でも会わないじゃん。冴島のクラスと縁が無さ過ぎる」

けらけらと笑った野宮も図書室を出る私の後ろにくっついてきた。ああ、何か用があったのかと立ち止まると、忘れ物? と呑気な声。

「ううん、赤点でも取ったの?」

「え、なんでバレてんの。噂とかになっちゃってる感じ?」

「なってないけど。女の勘です」

歩き出すと、野宮も歩き出す。

心配事があれば決まって野宮は私の前に現れる。何も解決しないまま去っていくことが多いけれども。

「冴島にもそういうのちゃんとあるんだ」

「ちゃんと女だからね」

「きゃー惚れ直しちゃう」

腕を組まれるけれど、気持ち悪くて振り解く。

「今すぐ英語の先生の所に行って泣きついてきたら?」

「もうした」

「三回目は通用しないって?」

「言われて心が折れて冴島のところに来た」

私の所には一体何回来たら心が折れるんだ。階段を下る。クラスメートとすれ違って、驚くような幽霊を見るような目を私と野宮に向けていった。

組み合わせが可笑しいのだろう、といつだって自覚する。私は野宮に、野宮は私に、合ってない。

「わたしじゃ教えられないし、クラスの頭の良い人に教えてもらえば?」

「頭の良い人はスパルタだっていうトラウマが」

「そろそろ留年かかってるんじゃないの?」

そのトラウマを植え付けたのは私だけれど、更に追い討ちをかける。少なくとも、留年するのは責任が取れない。

「あ。じゃあ先生に追試の範囲みっちり補習してもらったら?」

「やだ。絶対やだ」

誰が聞いたって呆れる。じゃあ赤点取らなきゃ良い話なんだけど、野宮にはそれが難しいらしい。

昇降口まで降りて、ローファーと履き替える。ふと後ろを見ると姿が消えていて、呆気にとられていると、前から声が聞こえた。

「あ、帰るのー? ばいばーい」

「ばいばーい」

恋人同士の会話。そんな甘い会話をしている男は野宮に間違いなく。

テニス部のユニフォームを着た彼女が校庭の方へ行くのを見ていた。

…あれ、前見た時はうちのクラスの弥生さんだったような?

なにより、またしてもうちのクラスの人を彼女にする野宮の度胸に感動する。全米も泣くと思う。

「野宮くん、彼女に勉強教えてもらえば?」

「俺より馬鹿だから、ちょっと難しい」

「まだ馬鹿な子が好きなの?」

「うん。あ、ごっめーん冴島、傷付いちゃった? 傷付いた?」

「え、なに? 何か言った? それ以上何か言ったら殴るよ」

けらけら笑う野宮。一度血の池地獄に落ちた方が良い。

女好きの英語出来ない水素より軽い男。将来が不安過ぎて関係もないのに泣けてきてしまう。

英語の先生もこんな気分だったんだろうなあと勝手に納得。

「冴島ってなんでそんなに頭良いの? 俺も図書室に残って勉強すれば頭良くなんの?」

少なくとも今よりは、と答える。でも、視線は明後日の方面を向いていて、駄目だこりゃって感じ。

私は置いて帰ろうと校門の方へ足を運ぶ。すると髪の毛を引っ張られた。

睨むと、違うよ俺じゃないよ、という顔をしながら、ちゃんと私の髪の毛を掴んでいた。何本か抜けた。

「…あのね、野宮くん」

「はい」

「野宮くんは17年間何をして過ごしてきたの?」

髪の毛を取り返して歩き出す。

私達が立ち止まっている今でも、地球は自転をしているし、少しずつ日本とハワイは近付いている。

自分の為に止まってくれるものなんて、案外少なくて驚いてしまう。

「友達と遊んだり、女の子と付き合ったり、誰かを馬鹿にしたり、洋服選んだり、髪型整えたり」

挙げられるだけの例えを挙げた。

「そういうのに野宮くんが時間を使ってる間、私は勉強していたの。教科書とノートとシャーペンと赤ペンと向き合っていたわけなの。…いい?」

「…はい」

「ようするに、野宮くんは娯楽に。私は勉強に人生を貢いできた」

歩くスピードは変わらない。野宮は私に合わせているのか、隣に並んでいる。

…そういえば、いつの間に敬語を。

「別にお説教してるわけじゃないんだよ? ちょっと私の人生観を言っただけだから」

「…そうですよね」

「野宮くん、落ち込まなくても追試は何とかなるよ」

ずーん、と後ろに重たいオーラが見えた。

じゃあ、帰って英語の猛勉強します。そう言った野宮は、肩をがっくりと落としながら駅の階段を下って行く。

少し私も反省しながら帰路につこうとすると、後ろから声がかかった。

「冴島!」

何か言い忘れか、と振り返ると大きく手を振る姿が見える。本当に、そういう所が羨ましいよ。

「俺の為に時間使ってくれて、立ち止まってくれて、ありがと!」

そういう、悲しいくらいに立ち直りが早い所。

大きな声に、周りの人がちらちらと私と野宮を見比べる。わかってるってば、見合わないのは。

「どういたしまして!」

性に合わないけれど、大きい声で返事をしてみた。すっきりとしたから、私がお礼を言いたいくらいだ。











「不定詞のtoの後は動詞の原形。原形って、一番最初に習った動詞を書けば良いんだよ」

「え、これ動詞、」

「でも原形じゃないよね? それさっきもその前も、もうちょっと遡るとこの前の追試の時も言ったからね」

「へーい…」

「あとこれ。小文字のaとd見分けつかないから罰貰ってるんだよ、勿体ないからちゃんと書く」

追試直前。教室まで来て泣く寸前の野宮が机の前で頭を下げてくれた。クラスメートからの視線が痛いの何のって。

「頑張らなくて良いから、分かるのはちゃんと書くのと空欄は作らないこと」

「へーい…冴島、帰んないで待ってて。終わって一人とか不安で歩けないかもしんない俺」

何回追試を受けた人の言葉ですかそれは…。

先に帰るよ、と言って背中を押した。開いた扉の中の空気がすごくせかせかしていて、私も少し不安になった。

「進級出来たら、次は同じクラスになると良いね」

背中にそう声をかけて、半強制的に扉を閉める。

願わくば、野宮の勉強時間が野宮を裏切りませんように。










彼の教育




20130623








  彼女の時間





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