────僕は今日も、この大きな街の路地裏の小さなバーでピアノを弾く。



「今日は何の曲?」

最近常連になったホストが、興味津々にカウンターに前のめりになって訊いてくる。
なんでも、彼はここら辺の誰もが知っているクラブの上位に位置する肩書きを持っているとか。

「聴いてからのお楽しみ、ということで」

笑顔で返すと、微笑を見せた。最初に来た時はピリピリとした空気を纏っていたのに、随分と穏やかになったものだと思う。

ここはもう古くて、扉が開く度に軋む音がする。

僕はカウンター越しにやってきた女性に挨拶をする。挨拶が返されて、注文を受けた。

「ここに来るのは久しぶりだけど、何も変わらないのね。扉の建て付けが更に悪くなった所以外」

「業者さんに頼んでるんですけどね、なかなか」

「ボク、私のこと覚えていないでしょう?」

煙草を咥えた紅色の唇が、視界を揺らがせる。ライターの火がそれに混じって、酔いそうになる。

まさか、忘れるなんて。

「覚えていますよ、パリに転勤するって、貴方から聞いたんですから。今は帰省中ですか?」

「よく覚えてるのね。そう、まあ、一人息子に会おうかとも思ったんだけど」

唇から煙が吐き出される。灰皿と注文されたウィスキーをカウンターを通して渡した。

少し視線を逸らした彼女は、何故か得意気にとれるような笑みを見せる。

「止めちゃった」

何があったのかは訊かない。

それが僕のルール。

楽譜を取り出して見ていると、オーナーが裏から出てきた。「代わるよ」と静かに言ってくれて、僕はカウンターから出た。

ダブリエを外して、少し高くなっている段の上にあるピアノの前に座る。

まるで見計らったかのように扉が開く音がして、「いらっしゃいませ、こんばんは」オーナーの声と僕の声が重なった。

「こんばんは、今日は恭一郎の奢りだから」

「は? それは何時決まったんだ」

「男なんだから静かに奢ってよ。ソルティードッグとカルーアミルクお願いします」

少々強引な女性と、保護者のような男性。
週末の夜、たまに来てくれるお客様の一人。

仲の良い二人は、付き合ってはいないものの、長い仲らしい。腐れ縁、と呼ばれた厚い情は、この先二人をどう変えていくのだろう。

弾く曲を決めて、楽譜を開く。
今日は観客が多い方だ。

手を構えると、疎らな拍手。それくらいが、僕にはお似合い。

弾き初めはローテンポで。

ホストの彼が、昼間の公園のベンチで欠伸をしているのを見た。隣に居たのは、きっと彼女なのだろう。

二人に流れる穏やかな空気が、二人の世界だけでも良いから、包んで優しくなりますように。

中盤は、アップテンポ。

母親の彼女は、離婚相手に引き取られた息子に一度一緒にパリに行かないかと誘ったらしい。それに断られた、といつか酔いながらボヤいていた。

自己主張が強い発言が多いと、ここに来てさえ分かる彼女だけれど、せめてその息子との再開が赦されますように。

終盤は、ローテンポに戻る。

綺麗な曲だよね。ああ、そうだな。
そんな会話に、どうもありがとう。
そうやって本音で話せる大学生二人には、あとで何かサービスをつけよう。そうしたら、恭一郎、と呼ばれる彼も少しは報われるかもしれない。

実は打たれ弱い彼女と、そんな彼女と一緒にバーに来てくれる彼が、明日二日酔いで転びませんように。

そして、最後はフェードアウト。

『君の話を聴かせて』

『僕には何もないので。ピアノ以外、何も』

『じゃあピアノは君の全てなんだね』

いつかの会話が目の前を過ぎる。

僕の全て。これは、僕の出来る精一杯。これ以外で、僕は思いを伝える方法を知らないんだ。

『ずっとここで弾いていくつもりですよ』

誰に何を言われようとも。

ピアノから手を離すと、また疎らな拍手喝采。


ここは、僕のステージだ。


「ありがとうございます。皆さん、よい夢を」















20130224


piano man/BILLY JOEL
を聴いて。

オチが特にない。落とす所も特にない。ただ懐かしいって感じの人が出てきた。一番最初から、遊魚シンデレラの最。ほら、笑っての左河の母親。レンジで温めるよりの二人。


piano man素敵だから是非聴いてください。多分、どっかで聴いたことあるんじゃないかなあ。




GOD BLESS YOU!









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