カエルの代わりを務めまして
一条瑠璃が家に帰ると、既に父親と母親が揃っていた。
二人が揃うのを見るのは久しぶりな気がして、驚いたように目を見開く。
そして、二人の視線が一条へ一気に向いたことも、何かある気がしてならない。
「おかえりー」
おかずは殆ど揃っているテーブル。ご飯をよそいに母親が台所へと立った。
「瑠璃、そこに座れ」
「…何ですか」
遅れた反抗期真っ盛りの一条に、父親の声なんぞ届かない。
言われたその場所に突っ立つと、話が続く。
「これ、どうして出さなかった?」
「忘れていました。すみません」
進路希望調査書。
それを学校に提出するには親の名前と判子が必要で。ただ、出すのが億劫だと思いながら期限を過ぎてしまった。
書くことなんてもう決まっているのに。
「担任の先生から電話があった」
「明日ちゃんと出します」
「わざわざ家に掛かってきたんだからな」
「だから、謝って出すって言ってるじゃないですか」
一条の敬語は誰に対してもそうだ。
家族や友人や他人にさえ、区別はない。
話はそれだけか、とうんざりしながら部屋へ戻ろうと足を引いた。
ガンッとローテーブルが蹴られた。
「その薄っぺらい紙の話じゃねえ。お前の進路の話で電話してきた」
家庭の中では柄の悪い父親とは、本当に本当に本当に仲が悪い一条。やんわりと仲裁に入る母親の存在で、いつもは治まっている。
どうしてあんなチンピラと結婚したのか、母親に問うたのは一条がまだ中学の頃。
「放っておけなかったんじゃないかな」
「ないかなって」
完全に他人事。
「私あの人がチンピラだった時は知らないし、知った時にはもう型みたいのにハマってたんだよね」
「今もだと思いますけど。そういえば、妻相手にそういう口調で話しませんね」
「初めて会った時、『ヤンキーは嫌いなんです、ああいう言葉遣いしてる人とは喋りたくありませんよね』って言っちゃったの」
母は強い。
「そうやって回りくどい言い方しないで頂けますか」
「お前、ちゃんと自分の進む道くらい自分で決めろ」
「決めてますけど」
「蘿蔔さんの娘と同じ所に行きたかったから高校は同じにした。今回もまた敷かれたレールの上を行くつもりか? そうやって仕える顔して、全部蘿蔔さんの娘に、」
「泰、さん」
父親の言葉を止めたのは母親。
一条の分のお茶碗と箸を持った彼女は、冷静に微笑みながら一条に声をかける。
「ご飯にしよう?」
「…いりません、結構です」
横を通り抜けて、部屋へと入る。
鞄を床に落として、しゃがむ。顔を覆った。
涙なんて出ない。
舌打ちと顰める眉。苛立ちは喉の奥に挟まったまま上手く出てこない。
父親の言葉を全て受け入れられる器量は、今の一条には無い。
知っている。自分で決めた、という顔をして、結局は菫に甘えている自分も。
それを父親に見抜かれていることも。
そのことを、他人から突きつけられて、受け入れられる器量が一条に無いことを、母親は分かっていることも。
井の中の蛙。
菫が井の中の錦鯉なら、一条はイモリだ。
井戸から離れられない。ねえ、あなたは何をそんなに大事に守っているの?
20130715
[mokuji]