迷子の迷子の
大きなトラに目を輝かせた菫が振り返る。「おとーさん、」と呼び掛けた存在が傍にいないことに、急に不安が幼い彼女を襲う。
母親はいるか、と少し周りを見回すが居ない。
迷子になってしまったのだと、幼いながらに理解する。おとーさんを捜そう、と心に決めながら。
母親はどうも苦手だった。手を握れば不機嫌そうな顔をするし、父親に比べて頭を撫でてくれることが少ない。
きっと見つかったら怒られる。
大きくて素敵なトラから離れて、キョロキョロと周りを見回しながら歩く。猿も見た、レッサーパンダも、ゾウも、キリンも。
「もう、どこいってたの?」
不意に聞こえた声に振り返る。でも、それは自分にかけられた言葉ではなかった。
近くにいた菫より小さい子が泣きじゃくりながら「ままー!」と駆け寄る。
その場面を見ながら、自分がここに一人取り残された気持ちになった。
もしかして、二人でもう帰ってしまった? 悪い子は置いていこうって、もういらないって?
じんわりと滲んでいく視界は、もう誰の姿も映さない。
「───菫」
パッと顔を上げた。
「何やってるの、どこに行ってたの」
菫のリュックを持つ母親の姿。見つかりたくなかった。でも、見つけて欲しかった。
「ご、ごめんなさい…」
「心配したでしょう、お父さんは館内放送かけて貰いに行っちゃったんだから」
かんないほうそう、の意味は全く分からなかったが、菫は涙を拭いながら謝る。
「おかーさん」
「なに?」
「トラ飼いたい…」
久々に母親と繋いだ手。その言葉に、不機嫌になりつつあった母親の頬が緩む。
「お父さんに相談してからね」
この子は本当に蘿蔔の子だ…と密かに思った。
父親と合流して、「菫大丈夫? 変な人についてったとかじゃない?」と心配する声をかけられる。うんうん、と頷く菫の頭を撫でた。
帰りは父親と手を繋いで帰る。
「柘榴さんが手繋いでたの珍しい」
「そうですね」
と、まだ子供の菫には分からない会話をしながら、帰る。
(動物園のトラと菫)
20131113
[mokuji]