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都合の良い解釈で


 茂みを突き進むのは、夏目。
 私は黙って華奢な背中を追っている。
 どうやら彼は、かなり土地勘があるらしく、人のこない場所を知っているらしい。

「妖怪は何匹かいるけど、大丈夫だからな」

 少しだけ振り返った夏目は、照れくさそうに笑った。
 私にも見えている。様子を伺うようについてきている妖怪の姿が。
 これを知ったら、彼は喜んでくれるだろうか。

 説明するときは、絶対に嘘はつかないでいよう。
 嘘も誤魔化しも、もう嫌だ。楽しくない。笑えない。

「……」

 あたし嘘ついたけど、夏目なら解ってくれるよねっ。って、あれ?
 かなりウザくない? 私なら殴るわ。うん、殴られよう。歯ぁ食いしばろう。

「ここら辺でいいか」

 夏目が立ち止まった。

 気配がたくさんする森のなか。大きな樹がたくさんある。
 道らしい道もない。右をみても、左をみても林。人影は全くない。
 それと、風が涼しい。

「それで? 話ってなんだ?」

 眉間を広げて、朗らかに夏目は笑う。
 自然な笑顔。そう、中学時代はこの笑顔みたさに色々頑張った。

「あたし、さ。夏目に嘘ついてた」
「――――嘘? あっ……」

 ふわっと埃のように舞いながら、小さな妖怪が私の肩に降りてきた。
 緑色の、玉のような小さな妖怪だ。多分無害。

 注意がそれたのか、夏目はその妖怪を見ている。
 緑の妖怪はマリモみたいで、ふわふわしていて、少しだけ温かい。
 小さな妖怪は身を乗りだして、私の右目を眺めていた。

 そんなにこの眼が気になる?

 そう視線を投げかければ、妖怪はぶるりと身を震わせた。

「……あっ」

 この時点で、もう妖怪の反応なんてどうでもよくなっていた。
 べつのことで頭が一杯になって、息が震えてしまう。

 妖怪が、私に触れた。
 数ヶ月の努力も、葛藤も、安心も、終わってしまった。

 たったいま。私の眼の色が“元に”戻ったのだ。

 もう言い逃れはできない。
 あのときのつけを、返すときがきてしまった。
 情けなくて、笑えてくる。

 気づかれるまえに言ってしまおうって、考えてたのにな。

「ごめんね。夏目」

 ずっと風が吹いている。だから髪をどかす必要もなかった。
 動く必要もない。
 ほら、ぽかんとしていた夏目の表情が、みるみる変っていく。

「え? 増田……っ? 目、が……」

 ふらっと揺れながら、夏目は何歩か近づいてきた。手を伸ばせば届く距離だ。
 顔は真っ青で、血の気をなくしていて、唇は震えていた。罪悪感で胸が痛くなる。
 ――目を逸らしてしまいたい。

 風が踊る。
 肩に乗っていた妖怪も、踊るように離れていった。

「……」

 沈黙が続いたあと、虫が鳴くような小さな声で夏目が言った。

「……増田、は。妖怪、なのか?」

 無表情で、感情の籠っていない声に、少しだけビビる。

 やっぱり、この眼を見たらそう思うんだ。妖怪にもよく聞かれる。
 ――――ちょっと、傷つくな。

「まさか。人間だし」
「……よかった」

 夏目は強張った表情から一転して、胸に手を当て、ほーっと息を吐きだした。

「……」

 じわっと、汗が背中を垂れた。
 そこで安心されたら困る。言いたいことは、まだなにも言っていない。

「じゃぁ、どうして目が赤いんだ?」

 少しだけ弾んだ声で、夏目は首を傾げた。


「それは……」

 喉が震えだした。身体もギシギシ音を立てている。
 言おうとすればするほどに、胸が苦しくなる。
 平常心。焦ったら夏目が不安がる。

「この眼はね、あの妖怪のなの」
「……え?」

 安堵しかけていた夏目の表情が、さっと硬くなった。
 パニックになって欲しくないから、私はできるだけ明るく、ゆっくりと喋ることにした。

「妖怪からもらってさ。だから、妖怪も見えるってこと」

 夏目はなんの反応も見せなかった。驚きもしない。顔をしかめたりもしない。
 ただ、じっと。不思議そうに私の眼を見つめているだけ。
 彼の瞳が、私の両目をいったりきたりしている。
 声をかけたらいけないような気がして、口をつぐむ。

 しばらくして、夏目はゆっくりと私を見据えた。

「――――増田の眼は、どこにいったんだ……?」
「なに?」
「それが妖怪のものなら、本当の増田の眼は、どこにいった?」

 交換したの。なんて馬鹿げた嘘が咄嗟に口からでそうになった。
 嘘はつかないと決めたのに。弱い自分に嫌気がさす。

 もう、誤魔化し合う仲は御免だ。腹を割って話せる間柄になりたい。

 心から、そう望んでいる。

 だから、正直に話す。

「どこって――――」

 唇が震えて、上手く喋れないことに気づいた。いつから震えていたんだろう。
 一旦喋るのを止めて、唇を噛む。こんどは手が震えだした。

 夏目は緊張した顔持ちで、じっと私を見つめている。

 下を向くな。逃げようとするな。ちゃんと言え。言え。言え。言えっ。
 なんども自分に言い聞かせて、動悸を落ち着かせて、顔を上げる。
 呼吸を整え、拳を強く握りなおす。

 噛んでいた下唇を緩め、言葉を吐きだした。



「潰れたの」

 

「あたしの眼は、あのときに潰れた」
「……嘘、だろ?」

 口角を無理矢理上げながら、夏目は続けて言った。
 その声は私よりも震えていた。

「だって、右目は大丈夫だって、言ったじゃないか」
「あのときは、ああ言うしか思い浮ばなかった。だって、言える状況じゃなかったし」
「増田は平気だって……じゃぁ、おれに嘘をついてたのか? 後遺症もないって、言ったじゃないか」
「――――ごめん」

 夏目の呼吸が荒れ始めた。
 それはもう、異常だと解るほどに。

「夏目、あたしは全然平気だ――」
「眼を潰されたのに、平気? ふざけるなよっ!!」

 伸ばした手を払いのけられた。
 その拍子に、彼の目から涙がこぼれ落ちた。

 解っていた。
 夏目は人に怪我をさせてしまうことを、一番恐れていた。
 あれから、彼を思い出す時間はいくらでもあった。だから、解っていた。

 夏目が泣くだろうってことも、怒るだろうってことも。
 そしてこうも思っていた。
 それでも、夏目は解ってくれるだろうって。

「なんでだよっ!!」

 裏返った怒鳴り声に、肩が跳ねる。
 ぐちゃぐちゃになった思考が白く歪む。

「夏目……」

 解ってくれる? 笑ってくれる? ゆっくり話せば大丈夫? 
 私、何考えてたんだろう。

 なんで今更になって気づくんだろう。こんな話、夏目が前向きにとらえるはずもないのに。
 夏目と再会して、のぼせ上がった頭を冷やして考えれば、解ることだったのに。

 中学の時にあれだけ取り乱した夏目が、平常心なんて、保てるわけがなかったのだ。

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