蝉
蝉が鳴き始め、じめじめとした暑さに悩まされる今日この頃。
昼間は五月蝿い大通りも日が暮れれば静か。遊び回っていた元気な子供達も、今頃はぐっすりと眠りについていることだろう。
髪が汗で頬に貼りつく。気まぐれに吹く風が快かった。
「綺麗だね」
紺色の磨り硝子の酒盞を手に、空を仰ぐ彼の横顔を眩しく照らす、夜空高くに次々と咲く華。
家の縁側に二人並んで座った。今日ぐらいはと浴衣を着て、庭に足を投げ出して。いつまで続くかもわからないこのひとときの幸せを、一瞬も、一滴も取りこぼさないようにと肩を寄せた。
「愛しているよ」
空を割るような花火の音の合間に囁かれる愛の言葉。ああ、声が、匂いが、吐息が、すべてが愛おしい。あなたはこうして何人のひとに触れてきたのかしら。
私は知っているの。あなたに私のほかにも意中のひとがいたこと。
でもあなたが選んだのは私。(それもまた一時のまやかし)
もうあなたの瞳に誰かが映っていても動揺しない。
私の幼なじみはあなたがうちへ来る度にいつも眉を顰めるの。向かいの通りから私を咎めるの。正気か、って。恋をして正気な訳がないじゃない。
こんな人を愛してしまうなんて、わかって居ても逃げられないなんて、どうか間違いであってほしいと願わずにはいられないなんて、こんな人の為に苦しんでしまうなんて、
男はきっと馬鹿ね。
でも女はもっと。
紺色の盃が盆に置かれた。
夜空の華も、もう散っていた。
夜明けの時間は、迫っていた。
蝉のように私は哭こう
(ただの一瞬でも良いから)
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むかーし書いたのを手直ししてみた