※辰馬と絡みなし(坂田とはある)
※前作が前作なので閲覧注意
眠ったところでなかったことになるわけなんかなくて、気持ちよさそうに寝ている辰馬の髪をひと撫でして、やっぱり違うなって勝手なことを思いながらお金を置いてひとりでホテルをあとにした。周りなんか見てる余裕なかったから帰りになって気づいたけど、付き合ってるわけでもないわたしに使うには勿体ないくらい立派なホテルだと自嘲気味に嗤った。
わたしの家はここからだと万事屋のある通りを使うしかなくて、なんとなく近寄りがたくて回り道でもしたかった。いまだぼんやりした頭ではそれも面倒だし、銀時はきっとまだ起きていないだろうしと油断した気持ちで結局普通に帰ることにした。仕事のある日に帰らないなんて無謀な事をしてしまったから、せめてシャワーを浴びたい。そう考えるとあまり時間は残されていない。
それがいけなかった。わたしは急いででも遠回りをするべきだった。
何故なら、コンビニから出てくる銀時にタイミングよく出くわしてしまったから。今日は月曜日。銀時の愛読書の発売日であることを完全に失念していた。
「あ」
「……よォ、なまえ」
どうせ進行方向が一緒なために、成り行きで並び立って歩くことになってしまう。昨日と同じ服装なことが気付かれていないかばかりが気にかかる。
「これから仕事か?」
「仕事はあるけど……1回帰るよ。ちょっと出てきただけだから」
無理のある嘘だけど、どうか気付かないでほしい。
これ以上喋ったらボロが出そうでハラハラしたが、幸い銀時からそれ以上は追求されなかった。
昨日のことには銀時は触れてこないし、わたしもなにを話したらいいかわからずで沈黙。距離感がぎこちなくて、少し離れていただけでは肩がぶつかる。そこで歩みが止まった。銀時がわたしの腕を掴んでいたから。
「……辰馬の野郎か?」
「なに、が」
「お前いつも……んな匂いさせてたか?」
「……──っ!」
それから路地裏に引き込まれると、心当たりが一瞬で思い起こされた。コンビニのビニール袋が銀時の足元に落ちる。
空が明るいものの、銀時のおっきな背中でわたしなんかの姿は人目につくことはきっとない。
普段気づいて欲しいことに気付いてくれないのに、気付いて欲しくないことにはよく気がつく。これだから今、銀時に会いたくなかったのだ。
「昨晩すこし、お酒付き合ってもらっただけだよ」
「ちょっくら隣で飲んでたくれェじゃ移んねーだろ」
銀時の言う通りだった。長い時間を共に過ごしたりしない限り気づかれるほど香なんて移らない。思わず昨夜、辰馬の腕の中でのことを思い出してしまう。あれだけ熱くなった肌と肌を触れ合わせていたのだから、さぞ強く香っていることだろう。
「……きのう振った女がなにしようが、関係ないでしょ」
言いながら後悔で胸がいっぱいだ。こういうところだよ、わたしが可愛くないのは。
しらない店の外壁にわたしを囲い込む銀時の腕。少し前のわたしなら、この状況に舞い上がっていたのかもしれない。顎先に銀時の手が伸びて、貌を上向かそうとすることにも。なにをしようとしてるのかって分かっているのに、身体が動かない。なんで、とか妹だって言ったくせにとか言ってやりたいことは沢山出てくるのに。それなのに、受け入れようとしてしまう。
触れたくちびるから、体温から、銀時の苛立ちだけはすごく伝わってくるのに、なにに苛立っているのか全然わからない。夢にまで見た人とのキスなのになんにも嬉しくない。昨日別人としたそれのほうが、なんて最低なことは考えたくないのに。
唇に銀時の舌が触れたところでやっと、押し返すことができた。それがわたしなんかの腕で出来てしまうことこそが、銀時が力を加減していることの証明だった。
「んだよ、あいつとはしたんじゃねェのかよ」
「わたしのこと、好きとかじゃないんなら……やめてよ」
「……じゃあ辰馬は好きだって言ったワケ? なまえのこと」
嘲笑うみたいに、意地悪く吐き捨てる。楽しそうでもなんでもない笑みが向けられた。
言われてないよ。言われてないけど。
「守ってやりたく……なるんだって、わたしのこと」
「……は?」
辰馬とは対照的な、血液を閉じ込めたような瞳に怒りの色を孕んでいくのが見えて顔を伏せる。
あんの野郎、と銀時が低く唸った。好きと伝えた時なんかよりよほど、感情が動いているのを感じてより哀しみを加速させる。どうして銀時が怒るの──なんて聞けない。言えない。
それから、ひどく穏やかにちいさくため息が聞こえた。
「……悪ィな」
抱擁というよりは寄り掛かるみたく、背に腕が回された。それから額へ柔らかく落とされるキスに、余計に泣けてきて顔を上げることが出来なかった。
*
あの後なまえを家まで送り届けてから、万事屋に戻ったら辰馬がいた。中にうちの従業員どもがいるだろうからそっちで待ってりゃいいものを、わざわざ戸口にもたれて腕を組んで。
金時、なんていつまで経っても間違えたままの名前を呼ぶことにも、悪い意味で印象づいたヤツの匂いにも、それがさっき会ったなまえと同じ香りだったことや本題の見えないクソどうでもいい話にだって腹が立って仕方がない。カルシウム不足かね。
「ンな話しに来たんじゃねェんだろ」
「……なんじゃ、話が早いのう」
アッハッハ、なんて無駄にでけー声で辰馬が笑う。
ウチのガキどもに聞かせられないような話なんだろう、と合点がいった。
グラサンの下がどういう目をしてるのか、見えてこない。口許だけが妖しく笑う。
「あんなええ女、わしが貰っていいんか?」
「どういうこったよ」
「いやァ、まっこといやらしゅうてのう」
「……、っざけんじゃねーぞテメェ」
考えるより先に胸倉を掴んだ。ヤツの身体の重みで古びた格子が軋む。それさえこいつは予想の範囲内といったところで特に慌てる様子もない。それが余計に頭へ血を昇らせる。
守ってやりたくなる、なんてあいつに──なまえに言っておきながら、あっさり手は出してったらしい辰馬がどうしても気に食わなかった。本人には死んでも言わねェが、守ってやりたい女だと思っていたのは俺だって同じだ。自分の手で汚すのは憚られるくらいに、大事な女。だから「妹」だと形容した。唇を合わせてみたところで、あいつが拒まなくたってその先はきっとできなかった。
「『妹』ならええ相手が出来たこと、喜んでくれたってええろ? オニイチャン」
あいつに妹だって言ったことをとっくに知ってたらしく、煽りたてるように辰馬が笑う。──そらあ喜んでたろうよ、相手がテメェじゃなけりゃな。
20210802
←