※名前変換なし



「……もう、こんな時間か」

携帯電話の画面に目を落とす山崎さんの言葉に名残惜しそうな響きを感じるのは、わたしの願望だけじゃないことを願った。
もうすぐ、二十一時だ。わたしは帰らなければいけない──ということになっている。もう大人なのに? と思うだろうに、騙されてくれる人の好さである。そんな山崎さんを前に、わたしはもうひとつ嘘を重ねる。

「門限、破っちゃおうかな」

わたしがつぶやくと、幾らか見開かれた目がこちらを見る。

「親御さん、心配するだろ」
「べつに大丈夫ですよ」
「ダメだよ、送るから帰ろう」

親が、とはひと言も言っていないけれど、勝手にそう解釈してくれたらしい。エア親であることが申し訳なくなってきたけれど、仕方がない。自分でそんな嘘をついておきながら勝手且つ理不尽なのも百も承知で、大人しく帰ることはしたくなかった。今日だけ特別に彼のために門限を破るって言ったら喜んで貰えるかなぁなんて、浅はかなのは解っていても。最初からそれを想定の上で門限を伝えた時から、恥ずかしいくらいに下心でいっぱいだったのだ。いやな女なのかもしれない。

「山崎さん、わたし」

わたしの手を引いて先を歩こうとする山崎さんを止めるべく、着流しの裾をもう片方の手でゆるく掴んだ。

「今日は……帰りたくない、です」

時間にして、軽くキスをして離れるくらいの間、沈黙。振り返った山崎さんの、かたちのいい唇に目がいく。吸い付きたい──そう思ったのが伝わったかのように、口角が吊り上がる。

「……悪い子」

口ではそう云っているのに、まるで良い子だと褒めてやるみたいにわたしの頭へてのひらを滑らせてみせた。計算づくでありもしない門限を伝えるくらいには、悪い子だっていうのに。
お人好しで真面目、紳士。──と勝手にイメージで作り上げた山崎さん像が、その表情の妖しさで滲んでゆく。もしかして騙されていたのは、わたしのほう?
あまりの色香にくらりとしたところで、くちびるが塞がれた。時が止まったかのように、静けさが夜を駆ける。溺れていくように、山崎さんの腕の中へと身体を沈めていった。



20200707
ネタ使わせていただき感謝です!


×