ひとり暮らしをはじめてもうすぐ一年。
ただいま、の声が静寂に響いた。

彼氏は数年いない。
合鍵を渡せる仲の友人はいなくはないが、私よりもずっと便利な都会に住んでいる。
唯一合鍵を渡している両親とも基本的に実家でしか会わない。こちらの地域に来ることがあれど、連絡なしに訪問するタイプではなかった。

八連勤目となると体力も気力も削がれる頃合いだ。いいや。今日の晩御飯はカレーにしよう。
レトルトのカレーと冷凍ご飯、あとはツナ缶あたり。ビールが恋しいが明日も昼シフトだから止めておこう。飲食店勤務の接客業で二日酔いはまずい。


冷凍ご飯を電子レンジで温めてる間にキッチンの棚からレトルトカレーのパックを取り出す。

………ない。
先月末にスーパーで買ったお買い得レトルトカレー五点セットがない。辛口があと一つ残ってたはずなのに。私の脳は食べ物の情報記憶に関してはとても秀ている。だから断言できる。

私はけして食べていない、と。
それと同時に、私以外の誰かがこの家に出入りしたという疑惑も浮上した。

だけど。
”誰か”に心当たりはあった。


ガチャリ。
玄関の扉が開錠される音。私の、この家だ。

玄関からキッチンまではすぐそこである。
しかし、今は玄関から一番離れている、扉を一つ抜けた寝室に籠っている。心当たりを確信に変えるべく、証拠を探しに移動していたのだ。

しかし、足音は確実にこちらに近づいて来ている。面倒は嫌いだが、覚悟を決める時かもしれない。相手が応えるかは置いといて、主張することは大事だろう。まして、ここの家主は私なのだから。



「おい。いるんだろ?」

寝室のドアの向こうから掛けられた声は男のもので、繰り返すが私には数年彼氏はいない。元カレ達とは円満に縁を切っているし、SNSで繋がってもいない。共通の知り合いからは、彼女持ちだとか同棲しているとか結婚しただのとも話を聞いている。職場のほとんどは女性従業員で、オーナーと二人の従業員も彼女持ちだ。
つまり、今現在私と親しい、私の私生活を知っている男性はこの世に皆無なのだ。

「なぁ、いるんだろ?出てこいって」

遂に寝室のドアが開かれた。
私と男性の間にある唯一の壁が取り払われた。
面倒は嫌だって言っているのに。



「帝統君なんでうちの合鍵持ってんのさ」


事の始まりは二日前に「Fling PosseのMC Dead or Arive」こと有栖川帝統を拾ったことだ。


「おまえの作った料理をまた食べたくて!」
帝統君はにこにこと笑いながら嬉しいことを言ってくれる。家主の許可なく合鍵を作るのは正気か?と思うけれど。

「あのね、ここはきみの家じゃないんだよ」
「なぁなぁ今日の飯はなんだ!?」
まるで母親の料理ができるのを楽しみに待つ子供のようだ。これでも成人男性なんだよなぁ。

あ、っていうかさ、私のレトルトカレー食べたでしょ。キッチンの棚に保管していた辛口のやつ。

食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ。
キッときつめに向かいに座る帝統君を睨みながらそう抗議した。きみのせいで晩御飯が白米だけになったんだから。ツナ缶はこの際最初から無かったことにしよう。

「あれな、旨かったぜ!」
「知ってるよ。あぁだからもう……そうじゃなくて」

精神年齢五歳男児かよ……。
流石に口にするのは憚れて自制する。
彼とここまま話していても埒が明かないだろうし、私のお腹も限界だ。早く温かくて美味しいご飯が食べたい。カレーじゃなくたっていい。
この手は使いたくなかったけど、仕方ないか。


<ありがとうございましたー!>

駅前のファミレスを出た私達は特に寄り道もせず家に帰ってきた。他人のお金だからって遠慮するような気遣いなんてあるはずもなく、乾杯と称して一人で生ビール二杯頼んだ帝統君のことは忘れない。いつか賭けに勝ったら美味しいもの奢らせてやる。

「帝統くんもう渋谷に帰りなよ」
「家といえば!聞いてくれよ〜家なくなってさ〜!」
なに呑気なことを。
家がなくなった人はこんな間延びした声で報告しないぞ。

そっか、でも私の家はきみの家じゃないから、と言い捨てて彼より先に足を進める。仮に家がなくなったのなら、同じシブヤディビジョンでチームメイトの飴村さんとか頼ればいいじゃないか。なんで私なんだよ。
そもそもの話、帝統君と出会ったのは飴村さんがきっかけなのだから。


■■■■■

私のリア友が飴村さんのブランドの大ファンだった。シブヤディビジョンにある直営店には週一で通い、デザイナー来店イベントは整理番号一桁で当日参加する猛者……飴村さんガチ勢だ。ただ、この友人は飴村さんの作るお洋服に心底陶酔するものもデザイナーである飴村さんに特別な感情は抱いてないという。

<凄いとは思うよ。デザイナーとして尊敬しているし、お洒落を好む人間として大好きだよ。でもね、別に飴村さん個人がどうしようと勝手にすれば?って思ってる>

<抱きたいなら寄ってくる女を手当たり次第抱けばお互い都合良いじゃん?性病には気を付けてね〜ってかんじだけど。笑>

これがそのリア友の反応である。
シブヤディビジョンのカフェにいる時にこんな爆弾発言するものだからとても焦ったから一言一句違えず覚えている。シブヤディビジョンのチーム代表の性病の心配をする奴がどこにいるか。目の前にいたけど。

ガチ恋ではないがブランドガチ勢なリア友と遊ぶ時はいつも直営店に連れていかれた。飴村さんのブランドは私にとってはハードルが高いデザインが多かった。私個人としてはスカートの丈が膝くらいまであってほしいし、あまり身体のラインがはっきりするものは好みじゃなかった。
リア友はその点、飴村さんの作る洋服を着るために生まれてきたかのような……とは少し違う。これは天然ではなく、彼女の努力の賜物だ。彼女が大好きなお洋服を一番可愛く見えるよう、彼女の力で手に入れた外見なのだ。友人としての贔屓目もあるけど、ブランドのスタッフさんと同じくらい彼女には飴村さんのお洋服が似合っていた。だから、だろうか。リア友はスタッフさんだけでなく、デザイナーの飴村さんの目にも留まった。特別なお客サンとして。

ある日のお昼、たまたま私の休みと重なった。
偶然が偶然を呼んだのか、はたまたリア友の強い希望を神様が勝手に叶えてしまったのか。私は飴村さんの主催するパーティーに参加することになった。

ブランドの関係者と飴村さんのビジネス関係者だけが集まる特別なパーティーの招待チケットを手にする友人とエレベーターに乗る。

「いくらあんたが飴村さん大好きでもさ、特別扱いすぎない?」
「だから違うって。私が好きなのは飴村さんじゃなくてあの人が作るお洋服だってば!」
「もうこの際どっちでもいいよ……っていうか私必要ないよね?なくない?」
「なまえちゃんと一緒に来てねっ☆って言ったの飴村さんだよ?」

なまえちゃん……私の名前である。
飴村さんと会ったのはお店のイベントの時と、たまたま直営店を覗きに来てた時の計二回だ。それにわざわざ自己紹介までしてない。もしかしてこの友人が私の名前を出して知ってしまったのだろうか。

「えぇ……私の名前出さなくてもいいじゃん」
「え?あんたの名前は飴村さんにもスタッフさんにも言ってないよ。別に話す必要なくない?」
「えっ、それじゃあ余計に謎が深まるよ。なんで飴村さんは私の名前知ってるのさ」
「うーん。あ、飴村さんが個人的にあんたのことを気になって調べたとか?良かったじゃん良い出会いになるかもよ〜!」

ちょうどエレベーターが目的の階に着く時だった。招待チケットを持つ友人が先に出て、振り返って投げた爆弾発言に私は顔を青くする。この友人は、爆弾発言が多すぎる。


「わぁ〜!!今日のコーディネートも可愛いっ!すっごぉ〜く似合ってるよぉ☆」

ブランド関係者及びビジネス関係者のみのパーティーということで今日はリア友も私も飴村さんのブランドの服である。リア友に関しては所持服の七割がたが飴村さんブランドらしく、基本的にいつも会うときは彼のお洋服なのでほぼ普段着だ。
私はといえば、一応飴村さんのブランドの服を着てきた。派手過ぎず、露出度も多いわけではないワンピース。飴村さんのデザインにしては珍しいなと思わず手にとって、まじまじとお洋服を見てしまった。

「それ、お姉さんにぴったりだと思うな〜っ!」

まさかデザイナーご本人からいいね!を貰えると思わなかった。ど、どうしようと一緒にお店に来ていたリア友に助けを求めようとしたがあと一歩遅し。普通に飴村さんと話し始めてしまった。いったい私はこの状況でどうしたらいいの?と戸惑っていると、助け直ぐそばから声がかけられた。よかった、助け舟がきた。

「お客様、そちらラスト一点なのでご試着だけでもいかがですか?」

スタッフさんの通常営業に同じ接客業に就く身として首を縦に振るしかなかった。試着くらいなら……仕方ないよね。

そうして飴村さんのブランドのショッパーを肩にかけてシブヤディビジョンを後にしたのは言うまでもない。



話が逸れた。
問題の帝統君とのはじめましてはローストビーフの前だった。

パーティーは立食形式のビュッフェで、壁の端から端まで料理が並べられていた。ぱっと見ただけでも食欲をそそられる。あれはロブスターだろうか。奥にあるマカロンタワーやチョコレートファウンテンも魅力的だ。
リア友は飴村さんのブランドだけではなく、ファッション知識全般も豊富だ。そんな彼女の横に立つのは恐れ多いし、招待チケットを貰ったのは彼女なのだ。いくら飴村さんが私も一緒に、と言ったところでパーティー中ずっと二人でいろってことでもないだろう。
私は私なりにこのパーティーを”料理を食べる”という行為で楽しもうと決めた。

まずはアミューズ。
アミューズは前菜の前に出るお通しみたいなものだ。普通の居酒屋やイタリアン料理屋では見たことのないきらきら輝く料理の眩しさに目が眩みそうだ。一つの料理の前に居座るのは周りに迷惑だとなんとか意識を戻そうと気合を入れながら左手の掌に乗せたお皿に小皿を置いた。

続いてオードブル。
モッツアレラチーズにチェダーチーズにゴーダチーズ、キャビアをクリームチーズと一緒に乗せたクラッカーなんてものもある。キャビアだなんて高級食材は飲食店勤務の自分でも中々食べれない。とりあえず一つだけ取っておかわりしに来よう。

その後はスープでかぼちゃの冷やしポタージュを、魚料理のポワソンではロブスターをスタッフさんに取り分けてもらう。フルコース料理だとこの後に口直しのソルベがあるようだが一般庶民の私が体験する日は来るのだろうか。

ちょこちょこと料理を取っていたと思ったが、左手のお皿を見るとそんなことはなかった。
肉料理のアントレで一度ビュッフェスペースから去って食べることにしよう。
お肉は牛、豚、鳥、鴨、馬、とまるで戦隊物のように揃えられていて感動した。頭の中で、もう一人の私が『ご覧ください!この日限りのスペシャルコラボです!牛肉と鴨肉と馬肉の夢の共演を是非とも堪能してください!』とスポーツ実況者のように興奮して叫んでいる。落ち着いて私。

とりあえず。そう、これはまだ序の口だから、と特に迷うことなくローストビーフの取り分け列に並ぶ。ローストビーフは手作りするくらい好物なのだ。シブヤディビジョン・パーティーの料理・そして数名が並ぶほど。条件は全て揃った。このローストビーフは今まで食べたことのない絶品に違いない。

「ちょ、ま、俺のローストビーフ!!!」

ローストビーフ♪美味しい美味しいローストビーフ♪と頭の中の私と歌いながら待っていると、前に並んでいる人の困惑した声が聞こえた。ローストビーフに何かあったのだろうか。他人事だけど他人事ではないので、行儀は悪いが前の人の様子を背後からのぞき込ませてもらった。

「ローストビーフ……マジか……」
なんとローストビーフは前の人の番でなくなってしまったのだ。
スタッフさんもこの人気は想定外だったようで申し訳ありませんと頭を下げている。普通の飲食店だって品切れが発生するのだから、きっとこのローストビーフは会場一の人気料理だったのだろう。あぁでも一口くらい食べたかったなぁ。

「ローストビーフ食べたかったなぁ」
「あれは絶品だった……五回並んで食っても飽きが来ないからな!」
「えっそれは食べすぎですよ羨ましい」
「ってもよぉ〜もう食べれないなんてそりゃねぇよ……」
っていうかこの人誰だ。
ついつい友人のように馴れ馴れしい話し方をしてしまった。独り言を声に出した私も悪いが、知らない女の呟きに乗っかって来ないで欲しかった。

「え……おまえ、俺のこと知らねぇの?」
「あなた有名な方なんですか?」
そうだ、この場はブランド関係者とビジネス関係者しか来れない場所だった。業界人が多く集まってるのは普通だし、むしろ私がイレギュラーだった。招待チケットは飴村さんが直接配っているとリア友から聞いているし、私という人間の素性が怪しまれることはないとは思う……思いたいからここはちゃんと説明させてもらおう。

このパーティーは友人が飴村さんに誘われており、付き添いではあるが飴村さんに指名されて来たこと。今日は呼ばれたので来たが住まいはヨコハマディビジョンなこと。なので業界の人にも、シブヤディビジョンで有名な方も詳しくないこと。何も悪いことはしていないので正直に話した。

「そうか!俺は有栖川帝統!帝統って名前呼びでいいぜ!おまえは?」
「そちらが名前呼びで構わないなら私のことも名前で……なまえでいいですよ」
「なまえ、な!ちなみにあんたいくつだ?」
「……帝統君はいくつですか?」
「俺ァ二十歳だ!!!」
「歳下に呼び捨てされるのはなんか嫌なのでなまえちゃんで」
「はぁ?別に歳とか関係ねぇしいいじゃん呼び捨てで」
「なまえ ち ゃ ん 」
「……なまえチャン」
「うん、それでよし。じゃあね帝統くん、私は鴨肉を取りに行くから」
自己紹介をして互いの名前を呼びあったところでこの場限りの関係なのだ。ある意味ワンナイトの関係。でもワンナイトを堪能する相手は帝統君じゃない、この豪華ビュッフェ達だ。

──だというのに、向かう場所の先々に帝統君は付いてきた。付いてこないでよ、とあしらってもあんたも今は一人なんだからいいだろとのこと。それは事実だから言い返す言葉はないのだけど、なんというか大型犬。突然現れた大型犬に懐かれた人みたいになってしまっている。一人暮らしをしたらペットを飼いたいとは思っていたが、これは違う。第一、私が飼いたいのは犬ではなく猫だ。

「なぁなぁ。これ食べてみろよ」
「これって鶏肉?食べていいの?」
「あんたと食べようと思って多く貰ってきたんだ。だから遠慮すんな!食え食え!」
「あんた、じゃないでしょ」
「へーへー。いいから食えって、なまえチャンよぉ」
この大型犬中々に可愛いのでは?と思い始めたのはきっとお酒のせいだ。料理をばくばく食べつつそれなりにお酒も口にしてきた。帝統君は背も大きくて、顔も整っていて、長髪も似合っていて、見た目はかっこいい。美味しい食べ物の前で興奮はしているが、二十歳の男の子よりもずっと落ち着きはあるし、意外と話しやすくて悪くない。
でもタイプでもないので連絡先等の交換はせず、健全なワンナイトのご飯の関係で終わらせた。

ちなみにこの日、飴村さんとは一言しか話していない。

「ほらっ!僕の目に狂いなんてないんだよっ☆」

リア友の前で大絶賛されて恥ずかしかったけど、お世辞だと思うけれどそう言われたのはとても嬉しかった。


■■■■■


ファミレスから家に戻り、帝統君とこたつに向かい合うように座る。
帰ってよ、と何度も言ったのだが街中で半べそをかかれてしまって困った。華の金曜日、時刻は日付が変わって数分。つまり終電間近で人はちらほらいたのだ。

<街中でカップルが痴話喧嘩している>

そう言いたげな目で見られるのは避けたかった。帝統君は彼氏どころか友達でも知り合いでもないのだ。しかも職業ギャンブラーで一文無し。正確に言えば昨日貸した二万円があるはずだがそれで合鍵を作ったらしい。違う、もっと優先すべき使い道があっただろうに。

「昨日泊めてあげただけでも感謝してほしいんだけど。ねぇ感謝してる?」
「なんやかんや言いつつなまえチャンは面倒見いいよなぁ!」
「帝統君、それ褒めてない」


昨日泊めたのも仕方なく、だったのだ。


昨日は休日だった。
しかし、バイトの子が体調不良により欠勤。店は七時から団体のご予約が入っており、一人でも欠勤されるのはきついというオーナーからのヘルプコールもとい特別賞与五千円という言葉に踊らされて出勤したが今では後悔している。団体客のお偉いさんはセクハラしてくるわ、そのセクハラ自体は別にどうってことなく交わせるんだけど厨房に戻ろうとしたところを足止めしてくるのでタチが悪い。この卓にある空き瓶を誰が片付けると思ってるんだ。私だよ。

そういうお偉いさんがいる団体客だから閉店時間を過ぎてもゆっくりと帰り支度をしているし、食器の片付けからフロア清掃を終えるころには日付が変わっていた。急いで着替えてタイムカードを切って終電に飛び込み、最寄り駅に就いてため息を一つこぼしたところだった。
駅のホームのベンチで寝る帝統くんを必死に起こそうとする駅員さんが視界に飛び込んできたのは。

有栖川帝統くん。
この前のパーティーで会った”他人”である。

なんか嫌な予感がしたので帝統君と駅員さんおいるベンチを早歩きで通り過ぎようとした。最寄り駅は改札に続く階段が後ろ車両の一つしかない。いつもは後ろの車両に乗り込み、そのベンチの前を通らずに階段に向かうのに。団体客が早く帰ってくれれば、そもそも団体客のご予約が明日だったらよかったのに、なんで変にタイミングが全て合ってしまうのか。

明日の仕事はお昼過ぎから。
現在の時刻は午前一時。
寝る前にシャワーだけでも浴びたいし、睡眠時間はしっかりキープしたい。私には余裕がないのだ。
だから!!!!と疲れた身に鞭を打ってベンチの前を走り過ぎようと、力を込めたその時。

「……ん?何処だここ……あっなまえチャンじゃねぇか!!」

まるで主人の帰りを待ちわびた犬のような帝統君の反応に、帝統くんを起こそうとした駅員さんが振り返る。

「この方のお知り合いですか?駅もう閉めるんで……」
暗に帝統君を回収しろと駅員さんの目は語っていた。そのお気持ち、飲食店勤務の私には痛いほど分かりますよ……。時間過ぎてるのに帰ってくれない人は迷惑以外の何物でもないし、知り合いが迎えにきたらどうにかして連れて帰ってもらいますもんね。まぁ私は帝統君を迎えにきた訳ではないんですけど。


「帝統君、あそこに公園あるよ」
「夜の公園ってテンション上がるよなぁ」
「今の季節ならまぁ大丈夫だと思うから、それじゃあ」
公園のある方向を指さして、帝統君が位置を把握したところで別れた。いや、別れたいという意思を込めて足に力を入れて帝統君から逃げた。

いやだって私一人暮らしだし。
一人暮らしの女性の部屋に見知らぬ男性を招くのはちょっと……うん、無理です。
野宿したことはないけど帝統君は冬物のアウター着てるし、まだ若いし、一晩っても朝まで五時間くらいだし大丈夫でしょ。


「んの馬鹿!!!こんな時間に女の一人歩きは危ねぇだろ!!!」
がしっと帝統君の指が食い込むんじゃないかって強い力で肩を掴まれた。やっぱり撒こうだんて無理があったか。私、足遅いし。


そうして、不可抗力で帝統君を家に連れ帰って玄関とキッチンの間の廊下で寝かせた。
友人用の布団はあるけど帝統くんは友人じゃないから掛布団と枕だけ貸してあげた。文句でも言われるかと思ったけど帝統君にはあんた優しいな!と言われた。帝統君の優しいと感じる基準が分からない。

翌朝、朝といっても午前十時前だが出勤の身支度をするからといって熟睡している帝統君を叩き起こしたが家を出なきゃいけない時間まで起きてくれなかった。起きたところで水飲みたいだとか、シャワー浴びたいだとか言うので仕方なく、仕方なく、自分用の鍵を渡した。用が済んだら家のポストに入れといて、ときつめに言った。言ったつもりなのに。

午前一時:駅で発見。仕方なく連れて帰る。
午前十一時過ぎ:用が済んだら帰ってと告げて自分は仕事へ出る。
午後二十三時:帰宅したら合鍵使って帝統くんも帰ってきた。

そりゃあさ、一文無しっていうから寝ている帝統君の近くに「貸し」と書いた白封筒を置いて家を出ましたよ。二万円あればなんとかなるだろうし、見知らぬ人へに二万円渡すのはきついがボランティアだと思うことにした。朝からこんな良いことをしたのだから、今日は良い日になるのかもしれない。明日は待ちに待った休日……オーナーが提案してくれた振り替え休日なのでゆっくり休めるし、面倒ごととはおさらばだー!ってルンルン浮かれ気分で帰ってきたらこれだよ。


「で。どういうことなのさ」
「家を担保にしたら惨敗した」
「それは自業自得っていうだよ帝統君」
「だからここに暫く住ませてもらうぜ!」
「ここの家主は私だからね帝統君」
「んだよ〜俺となまえチャンの仲だろ!」
「私と帝統君は赤の他人ですが?」
そう言うと帝統君は唖然とした顔で私を見てきた。なんだろう、帝統君にそういう顔されるとムカッとする。別にどんな顔したって家主は私だし、好き勝手させる気は全くないのだけど。

「ここに住ませてもらったら仕事帰りに駅まで向かいに行く」
「帝統君の携帯端末出して」
「賭けで負けた」
「はい、交渉決裂ですね。さようなら」
帝統君を立たせようとコートを引っ張る。同じようにこたつの布団を帝統君が引っ張るものだから本当埒があかない。

「なぁ、あんた彼氏いるか?」
いきなり帝統君が真面目なトーンで言うのでこちらも緊張して答えてしまった。彼氏は数年いない、と。

「それなら話は早い!どうだ!俺が夜の相手してやるぜ!」
「馬鹿なの?っていう帝統君タイプじゃないし」
抱かれたくないんだけど、と続けたかったのに突然帝統君が手を抑えてくるものだからビックリして言葉を詰まらせてしまう。


「乱数ならどうだ?」
「飴村さん?飴村さんにならちょっと抱かれてもいいかなと思ってしまう自分がいる。あ、これオフレコでお願いね」
本能には忠実でいたいので正直に答えてしまったがまぁいっか。飴村さんもタイプではないがなんかテクニック凄そうで興味はあるのだ。それに引き換え、帝統君はただ力が凄そう。強引にやりたいことだけやって満足しそう。抱いた女を泣かせるのが好きそう。それらも含めて帝統君は好みじゃない。


「………ぜってぇ俺に惚れさせてやる」
「今なんて?」
「あんたが俺に惚れるまでこの家にいてやるっつてんだ。よかったな、彼氏候補ができて」
「彼氏候補は自分で見つけるんで合鍵さっさと出して」
「い や だ!そんなに合鍵返して欲しいんならこうしてやる!!」
そういうや否や、帝統君はあろうことがパンツの中に合鍵を入れてみせた。嘘でしょ、それパンツの中のパンツじゃん……自分の息子と合鍵を同居させてんじゃん……。


「……ッツ!!!」
「そりゃあ冷たい鍵を突然合わせたら息子もビックリするでしょうに」
「やべぇ……たちそう」
「はぁ……帝統君さぁ」
帝統君は股間を抑えながらゆっくり立ち上がる。何なのこの子は。


「帝統君お行儀が悪い」
帝統君の股間に向かって力の限り足を上げる。
つま先がふにゃりとしたものに触れたと同時に帝統君はよろめいてそのまま倒れ落ちた。


ねぇ帝統君。
これはしつけなんだよ。
お行儀の悪い大型犬には飼い主がめっ、ってしないといけないと思うんだ。



まぁ、犬飼ったことないけど。



20190718

作 かまぼこ三郎おじさん
感謝!


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