「超高度実験」
1942年3月頃から8月頃まで行われた空軍軍医大尉のS. ラッシャー医師、ドイツ航空実験研究所のS. ルッフ医師およびH. W. ロンベルグ医師による、戦闘機のパイロットが高度の低気圧にどれほど耐えれるかを調査するために行われた空軍医学実験。低気圧実験とも呼ばれる。
ドイツ空軍が新しく開発した戦闘機は、イギリスの戦闘機よりも高い高度を飛べるように、高度18000mまで上昇できるようになっていたが、このような高度における低い気圧に操縦士が耐えられるかどうかが問題であった。12000m以上の高度に匹敵する低圧実験は、志願者に著しい苦痛を与えたために中断せざるを得なかった。
そこで、各医師らがナチス親衛隊次官のR. ブラントの許可を得て、低圧実験室の中にダッハウ強制収容所の囚人を入れて高度20000mに匹敵する低気圧にまでさらす実験を行い、ユダヤ人やポーランド人やロシア人捕虜約80人がこの実験で亡くなった。
実験の経過は克明に記録され、死体は解剖され、かろうじて生き残った被験者もひどい後遺症に苦しんだ。
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