「赤マント」

【詳細】

1940年(昭和15年)1月ごろから東京を中心に東海道を経て大阪まで流布した。情報伝達手段の限られた当時において、ほぼ純粋に人口のみを介して伝播した都市伝説である。

赤マントは吸血鬼であり、赤マントに襲われた死体があちこちにあるなどとも噂された。

1970年〜80年代に神戸市で、赤い毛布にくるまって寝ている人物が、子供を毛布にくるんで魔界へさらっていくという噂話が流れたこともある。





【由来】

・赤毛布の男(青ゲットの男)殺人事件説
実際にあった事件で最も有力な説。
明治39(1906)年2月12日の福井県で起きた未解決事件。青ゲット(毛布)男は店から被害者男性を連れ出して、新保橋に差し掛かったところで殺害して川へ落とす。
次に自宅に訪れ被害者男性の母を連れ出し、同じく新保橋で殺害して川に落とした。
続いて被害者男性の妻を「舟で対岸の新保村へ渡す」とでも言って船べりに誘い出し、殺害して川へ棄てる。
その後、被害者男性の娘も連れ出そうとしたが子守を頼まれていた隣家の女に拒まれて失敗した。
その後青ゲットの男は見つからず、大正10年にはついに時効を迎えた。

※犯人がかぶっていたのは青いゲット(毛布)であるが、赤マントの伝説が広がったため赤毛布になってしまったか、事件の記憶違いによって赤マント伝説が生まれたかはわからない。


・当時流行した紙芝居の演目のひとつ『赤マント』が混ざった説
紙芝居『赤マント』は芥川龍之介の『杜子春』を下敷きにしている。


・二・二六事件説
大日本帝国陸軍青年将校が1483名の兵士を率い“昭和維新”と称して政府中枢を襲ったクーデター未遂事件。 事件当時は言論統制により詳細が伏せられていたため噂が二重三重に捻じ曲がり『赤マント』になったのでは、という説。


・江戸川乱歩の「怪人二十面相」説
旧制高等学校の学生のマント姿が、子供には怪人として映ったのではないか、という説。





【派生】

赤い紙、青い紙(赤いマント、青いマント)

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