女の癇癪に近い罵声と何か固いものが割れる音が聴こえて微唾みから醒める。
割れる音は一度きりだったがあのキーキーと煩い声はまだ続いていた。
最近、こんなのばかりだ。目覚ましになるのは紛れも無いおれの実母のあの鬱陶しい声。頭に響いて吐き気がするのが最近の悩み。
で、そのうざったい元凶が近づいてくる足音がする。なんてこった。だらだらしてないでさっさと起きてしまえばよかった。ああもう朝っぱらから最悪だ。
す、と無駄のない丁寧な動作で顔を覗かせ、おはようございます。と挨拶。
皺ができはじめた目元を緩めた笑顔。気持ち悪い。


おれの家、南雲家に小さな鬼がひとり増えた。
そいつが来るまではおれが一番年下だった。見たことは遠目から両手で足りる程度。細っ!ちっさ!そんな印象をもったことくらいは覚えてる。肝心の名前と顔はわからないけれど。

母はいい八つ当たりの相手を見つけたかのように適当に取って付けた怒りをぶつけている。それを見たのかって?そんなの見なくたってわかるだろ。
引き取った本人の父は特に感心を向けていなかった。


可哀相だなぁ。


そう思うのは失礼だろうか。おれよりも小さくて、まだガキで、すぐ治るって言ったって殴られたら痛いだろう。それに、母が発する言葉。



女ならまだ役に立ったっていうのに。



我が親ながら、なに言ってんだこいつと思った。
言われた本人はどんな気持ちなんだろう。痛い?悔しい?悲しい?
おれにはわからない。







今朝は静かだった。頭が起きて母が出掛けていて居ないことを思い出す。
そこまで思い出して、ふと脳裏に浮かんだ小さな鬼。いつも居る近づくなと言う煩い奴は居ない。
好奇心と共に緊張を連れて朝の空気を吸って探した。


「おはよう」


声をかけると小さく肩が震えたが、なにも言わず作業に戻った。
誰よりも早起き。目元には隈。水の張った桶には洗濯物。桶の横にもそいつよりも重そうな洗濯物。
女中の奴らの仕事まで任されているのだろうか。なんて奴らだ。


「お前、名前は?」


目線を合わせるように隣にしゃがむ。そして、初めてまともに見た顔はそこらの女よりも綺麗だった。
伏せていた視線を一度上げようとしたが、またすぐに下がった。


「なぁ名前〜」
「………」
「呼べないじゃんか」
「……呼ぶ必要、ない」


初めて声、聞いた。
この歳の子供が発したとは思えないくらい冷たい声音だった。
手は絶え間無く動く。皮膚が水を吸って皺くちゃになってしまっているし、赤くなっていた。
…ていうか、


「人と話す時は目を合わせる!」


愛想悪っ!
まぁ酷い扱いしている奴の子供に笑顔を向けたくないのもわかるけどさ。
洗っていた洗濯物を奪い手を掴んだ。うっわ、ちっせぇ。
おれのその行動に驚いたのか目をぱちくり。それでやっと上を向いた。


「名前だって、名前!」
「だから呼ぶ必要が…」
「あるんだよ」
「………」
「ある。」
「…変な奴」


そっぽを向いて小さな声で名前を呟いた。
それから、そいつ…かおるの伸びてしまっている髪を切ってやった。これでも手先は器用な方だと自負してみる。凄く嫌そうな顔をしていたが上手くできたと胸を張れば黙った。
それからは何かと話すようになった(いつもおればかりが話すけど)。
母の眼が鋭くなり、かおるは前よりも酷い仕打ちをうけた。
それにむかついてかおるを庇う発言をした。その時のあの女の醜い表情は、もう忘れてしまった。


「お前はなんなの?」
「ん、おれ?」
「そう」
「なんなのって何が?」
「だから……、」
「うん」
「…なんでもない」


数年の月日が経ったのにも関わらず、おれの名前は呼ばない。
男らしくなるかと思ったが体の線の細さは相変わらずだ。なんて言うか、本当に男なのかと疑ってしまう。確認の為にそう聞けば顎を殴られた。あれは痛かったなぁ。青くなったし。
良く言えば変わらない。んで、悪く言っても変わらない。
見かければどこ見てんだよってくらいぼーっとしているし、逆に穴が開きそうなくらい睨んでいた。


「おれは、かおるにとってどんな存在になった?」


その問いに答えはなかったけれど。






























…熱い。空気を吸うと喉が痛い。嫌な臭いもする。
朝ってこんなに赤かった?いや、白かった。こんなに赤くなかった。赤…い?
耳に入ってくる音がだんだん脳に伝わり、悲鳴と火だとわかる。


「火事!?」


既に辺りは火の海。いつもは冷たい床板。今は足の裏から伝わる温度が熱い。
走って探した。生きている奴を。鬼だって万能じゃない。血筋が良ければこの中でも逃げる体力は残せる。けれど此処に居る鬼は殆どが純血とは程遠い血筋の者ばかり。おれだって悪い訳ではない。悪くないだけで良くもない。
倒れた人を跨ぎ火の手が少ない部屋を覗く。


「かおる!」


小綺麗な恰好をしていた。息も絶え絶えな周りに目もくれず、刀を握ってわらっていた。
可笑しい。直感が告げる。


「た、助けて!今までのことは、謝るから!だから、だからっ!!」


目を剥き出しにして助けを請うているのは母だった。汚いものを消すかのようにかおるはそれを斬った。
どろり。
火よりも赤いものが溢れ、垂れ流れた。


「これは雪村の刀なんだ。俺の、ものだ」
「かお…る」
「ああ、早く探さないと。幸せに生きてるあいつを」
「かおる、」
「どうせなら苦しませてやらないとね、あはは、はははは」
「かおるっ!」


なん、だ…よ。何なんだよこれ。
どうしてみんな倒れているんだ?どうしてここは燃えている?どうしてかおるはわらって……泣いて?
疲れた。呼吸がうまくできない。頭も働かない。
あの甲高い癇癪声で起きるよりも頭が痛い。


「お前には感謝してるよ。だって、」


いろんなことを教えてくれたから。






おれはこいつに何を教えた?
この家のこと?知識?文字?それとも、鬼のこと?
こんなに熱いのに背中を流れた汗は冷たかった。




さようなら、あああ




きっと最初で最後。かおるがおれの名前を呼んだ。
こんな状況なのに、それが素直に嬉しいんだ。なんて言ったらわらった。なんだ、いつものかおるじゃないかって安心して近づいたら嫌な感覚に襲われた。

生きているのか死んだのかわからないけどさ、目が覚めた世にかおるが居たら、一発殴って、それから一生謝ろうと思った。







2010/0708

カッとなってやった




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