今日も我が家には客(と呼べるのかわからない奴)が来た。
休日ということもあり時間を気にせず読書をしていたがチャイムとほぼ同時に聞こえた「千鶴ちゃん!」と聞き慣れぬ女の声に、とりあえず読みかけのページにしおりを挟んだ。

あちこちのドアが開く音が聞こえもしかしたらと嫌な予感を立てた。そしてこんな予感ばかりが命中する。理不尽だ。すると、俺の部屋のドアが跳ね返る勢いで開いたと思えばその行動とは裏腹な、にこやかな表情を張り付けてしゃんと立つ女が居た。駄目だ、やっぱり嫌な予感しかしない。



「あなたが千鶴ちゃんの相手?」
「…そうだが」
「ち、ちょっと千ちゃん!すみません斎藤さん」



申し訳なさそうに眉をハの字に下げ"千ちゃん"と呼ぶ女を連れて行こうと必死だ。
しかし女は俺を上から下まで舐めるように見た後、やはりにっこりとした表情でとんでもないことをさらりと言い放った。



「あなた千鶴ちゃんとどこまでな関係?」



この質問には聞かれた俺は勿論、千鶴も固まった。



「その様子だと何もしてないのね」



真顔で溜め息をついたかと思えば、千鶴の方へ振り返った。



「薫は期待しとくって言っていたけど、やっぱり私は納得できない」
「千ちゃん?」
「千鶴ちゃん、考え直したら?」



これだけ一緒に生活していて、これで、本当に良いの?、と女は問うた。
そう思われて当然だ。俺は千鶴に一度も手を出したことがない。それはたぶん、千鶴に拒否されるのが怖かったからだ。呼び方にしても距離をとっていた。薫から聞いたたことを疑っている訳でもない。ただ、この距離が崩れたら俺はもう千鶴とは暮らすことができない。
ひとりで勝手に引いてしまった線のせいで不安にさせてしまったのだろう。
やはり考え直した方が良いのではないか。俺もそう思い始めた瞬間、千鶴が静かな、しかしはっきりとした声で「そんな必要ないよ。」と言った。その表情はとても、穏やか。



「私は斎藤さんと暮らせて、本当に幸せだから」



驚いた。ここまで純粋な気持ちでの言葉など他には知らない。千鶴は両手を合わせて「三人でお茶にしましょう?」と言い残し台所へと向かった。



「……千鶴ちゃんを泣かしたら許さないから」


その時見せた表情は友人の、千鶴のことを想うものだった。返事の変わりに行くぞと言えば、はいはいと言ってゆっくり、ゆっくり、ついて来た。








暫くして千鶴の友人が帰りふたりになった。
もう空は赤色が差し掛かってきている。そんな特に会話も無い中、口を開いた。



「お前の周りには良い奴がたくさん居るのだな」
「……はい。皆とても良くしてくれます」
「……そうか」



たったこれだけの会話。しかし俺から話しかけたのは数えるくらいしかないのだから、大きな進歩だと思いたい。
すると今度は千鶴が話し始めた。



「実は私、お見合いする前から斎藤さんのこと知っていました」



飲もうと動かした手を止めて千鶴を見ると、両手で包んだマグカップの中に揺れるコーヒーを眺めながらわらった。



「いつだ?」
「1年前です」
「……すまない」
「いいえ!私が親切にしてもらっただけですから」



にこにこと本当によく笑う。



「俺は何をした?」
「割れた卵を取り替えてくれました」
「卵…」



ぼんやりとしか思い出せない。確かに割れた卵を食べた。…いや、思い出した。スーパーで子供が卵を落として泣いていた。それを囲むやじ馬と店員の間をくぐり抜けて子供の卵と自分のカゴにあった卵を取り替えた女が居た。それを見て、なんとなく、俺がそれと取り替えた。そうだ、そんなことがあった。それが千鶴だったのか。



「私も小さい頃おつかいの時卵を割ってしまったんです。その時少し年上の男の子が換えてくれて…」



ふわり、とした風がカーテンを揺らした。

あれだけの時間で俺のことを知った千鶴。なのに俺は、これだけ一緒に居ても千鶴のことをまだ何も知らない。
情けなくなった。申し訳なくて。しかし、千鶴の話を聞けてよかった。


「明日からは俺も買い物に同行する」
「え?」
「それと、……俺のことは、な、名前でいい。千鶴」



自分で言って気まずくなり空に近いコーヒーを流し込む。
ぱちくりと瞬きをした千鶴は向かいから俺の隣へ移動してきて「はい!はじめさん」と返事をした。その耳は、赤かった。



「明日はオムライスにしますね」



触れる距離までくるのに五ヶ月。これから周りにあれこれ言われることを想像しながら、初めて唇を合わせた。






20100518

ふたりの兄貴は仲良くなりそう
似た者同士だと思い隊


おわり



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