幼稚園の頃、よくやっていた遊びの中に女の子なら一度はやるだろう「おままごと」があった。
その中で役割を決めると、真っ先に決まるのが、お母さんの役。みんなしてなりたがっているものだから、子供なのにどこか遠慮しなければならないと感じていた私は、記憶の中では一度も「お母さん」になったことがない。決まっていつも、赤ちゃんか犬だった。
ある日、どうしてもなりたくて一度だけ言ったことがある。「私もお母さんになりたい」と。
言えたことへの満足感に浸ることも出来ず、その時のままごとでお母さん役になった子の一言で私は泣き出したくなったのを覚えている。


『だって千鶴ちゃんはお母さんいないから、わからないでしょ?』


今にして思うと、とても残酷な言葉。
その子はきっと、厭味で言ったわけじゃない。ただ、私にはお母さんが居ないから出た言葉だったはず。
そう思わないと、やってられない。
その日も、いつものようにままごとセットの隣でただご飯を待つだけの犬の役をやっていた。
楽しそうな家庭を演じているのは、あたたかい家庭を知る子たち。
片親が不幸なわけじゃない。幸せだと、私も胸を張れるくらいだから。
けれど、やはり母親は恋しかった。
私は涙を堪えて、ただじっと座っていた。





「総司さんは子供がお好きなのですね」
見ず知らずの人にお菓子を貰ったとすれば怪しまれるご時世なのに、子供どころかその親にまで感謝されるって凄いと思う。
手を振ってバイバイと叫ぶ子供たちに、頭を下げる母親。その手はしっかり繋がれていて、夕方になって伸びた影も同じように繋がっている。
「そこら辺の人よりは好きだよ。
素直だし、単純だからね」
「……それ、あまり人の前で言わない方がいいと思います…」
「だろうね」
掴み難い人。雲と例えれば詩人みたいなのだろうけれど、生憎、雲なんて掴んだことも無いから例えようがない。
屁理屈だと言われたらそれまでだけど。
言葉のボキャブラリーが乏しいのは困りもの。
さて、総司さんはと言うと、子供たちにあげたお菓子と一緒にちゃっかり自分の分も買っていたらしい、赤い筒に入った某ポテトチップスを食べていた。
もう少し小さいものにしたらよかったのでは?と言えば、急にこれが食べたくなった。と返された。要は気分とのこと。
「千鶴ちゃん見て見てー」
「はい?」
「ドナ〇ドの口〜」
二枚のポテトチップスを口に挟んでにこにこ顔の総司さん。ミスマッチ過ぎて私は笑えない。
「…どうしたの?」
「……いえ、ドナ〇ドと言うのをらんらんるーの、Mの方だと勘違いしてしまいました」
「……ダックの方ですアヒルです」
「すみません…」
これは空気が読めていなかった私が悪い。
ふて腐れた総司さんはそのままポテトチップスの喙をバリバリと食べた。お、怒ってる……。
「さっきさぁ、」
短い沈黙を破ったのは総司さんだった。
「子供が好きかって聞いてきたよね。君はどうなの?」
「どう…とは?」
「子供が好きか嫌いかってこと」
あーん、とポテトチップスを差し出され、素直に受け取った。手で。
あ、また不満そうな顔。
見てないフリをして食べる。うん、おいしい。
「苦手……ですね」
「苦手?」
「はい。若干トラウマを植え付けられたというか、なんと言うか……」
「最近?」
「いいえ、私が幼稚園の頃です」
「そこでトラウマになるなんて、相当キツかったんだ?」
「結構……きました」
何があったの?と聞いてこないのは優しさか、興味が無いからか。
どちらにしろ、私にはありがたいことに変わりない。
家族の話は、あまりしたくないから。
「じゃあ可愛くも見えてない?」
「いえ、可愛いとは思います。遠巻きになら」
「遠巻きに、ね…」
自分が関わっていなければ、子供はそれなりに可愛いと思える。
そこに自分という存在が入ってしまえば、一気に萎縮してしまって、可愛いと思える余裕がなくなる。
実に情けない話で泣けてくる。
「苦手なものがあるのは仕方ないことだけど、そんなことで自分の子供が出来たときに、君は本気で愛せるの?」
ままごとじゃないんだよ。
少しだけ低くなった声。心臓が痛くなる。
「"嫌い"ならどうしようもないけど、"苦手"なら克服できる」
「克服って……」
そんなニンジンやピーマンの話みたいに簡単に言わないでもらいたい。
「そう、ニンジンやピーマンは君にとったら簡単な話なんだよ。
でもどうしてもどうやっても無理な人も居る。簡単な話じゃない!って人が。
それと同じだよ。」
それは限りなく正論に近い難題だった。
再び差し出されたポテトチップス。今度は素直に口で受け取った。
「君は極端だから、苦手じゃなくなったらすぐ好きになっちゃうよね」
「そう…ですね」
「もうあるものを捩曲げて変えるのは大変だろうけどさ、悪くないと思うよ」
私はどれだけこの人に甘えて生きているのか計り知れない。
依存して、縋って生きているのだろう。今までも、これからも。
「どう?僕らはちゃんと家族になれそう?」
心臓は痛いまま。でも、苦しくはない。
あの頃、「お母さん」になれずに外から見ていた自分とは違う。
「お母さん」にしかならない自分が、今は居る。
「総司さん、いいお父さんになれますね」
「だといいけど」
デレデレの親バカになりそうで楽しみです。
なんて言えないからひとりで笑う。共有も大事だけどこうして密かにするのも悪くない。
「千鶴ちゃんも、いいお母さんになるね」
本当は子供が苦手なんじゃなくて、子供を見るとあの時の悲しさと虚しさを思い出してしまう自分が嫌だった。それを人のせいみたいに言う、ずるい自分が酷く汚い。
総司さんはわかっているかのように"次"を待ってくれる。言葉を選んでくれる。私には勿体ないやさしさを与えてくれる。
貰ってばかりの自分。今度は私が与える番だ。
子供ができて、初めて「お母さん」って呼ばれた時、きっと私は泣いてしまうんだろう。
その時は、我が子を思い切り抱きしめよう。その子の思い出になれるように。
そう、心に決めた。



20110123
企画へ提出したのをこっちにもアップ
微妙に修正してたりする


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