帰りの電車でボックス席に座ってみた。
学生の頃はよく座っていたけれど、社会人にもなると特に誰と乗る訳でもなくなり、座るのは数年ぶりだったりする。
朝の通勤ラッシュとは打って変わり静かな車内。
ゆっくりと瞼を下ろそうとしたが、目の前の座席に誰かが座る気配。

「原田くん…?」

聞き慣れていた声で呼ばれた自分の名前。
普段しないことをするもんじゃねえな。
ろくなこと起きやしねぇ。
気付かれないように深呼吸をした。

「久しぶりだな、千鶴」
「卒業以来だよね。
あ、座ってもいい?」
「公共の物なんだから別に俺に断り入れなくてもいいだろ」
「それもそうだね」

ふわりと笑う表情は、俺が惹かれていた頃のままだった。
向かいに座った千鶴が動く度に微かに霞める匂い。
「香水なんて、大人になってからでいいよ。」
数年前の彼女は確かにそう言っていた。
大人になったってことか。
なら俺もか?俺はまだ自分が大人になったなんて思えない。
あの頃の自分からしたら、嫌な大人の一部なのかもしれないけれど。

「最近どう?」
「どうもこうも、まだ仕事と遊びの両立だな」
「原田くんらしいね」
「千鶴は?」

窓に寄りかかり外を眺める彼女はきれいだった。
ちくしょー絶対またきれいになった。
赤みのかかる頬に、さっきの質問をしなければよかったと後悔した。

「来月、結婚するの」

いつの間にか発車していた電車が揺れる。

「おめでとう」

俺、笑えてるよな?
愛想笑いなんて、今まで得意だったじゃねぇか。
なんで意識してこんなぎこちないなんだよ。
だっせーな俺…かっこわりぃ。

「原田くんはまたかっこよくなったね」
「ははっ、旦那やめて俺にするか?」

半分は冗談、残りの半分は本気。
半分以上沈んだ夕日が窓に反射して眩しい。
それに混じるように笑う千鶴の表情は、今の俺には勿体ないくらいだ。

「ありがとう」

それからは互いに黙り静かに共通の窓に流れる景色を眺めていた。
込み上げてくるものを必死に押し殺してる俺は千鶴が言うようなかっこいい奴じゃない。
最初は子供だと思っていた。今まで見てきた女とは違いすぎていたから。
共に過ごしていく内に同じ場所に居る気がして、馬鹿みたいにひとりで楽しんでいた。
なのに、今こうして目の前に座る彼女は自分なんかより何倍も立派な人間。
情けないような、やっぱり嬉しいような。そんな気分だ。

「じゃあね、原田くん」

背を向けて歩きだす彼女に何か一言伝えたかった。
「お幸せに」「またな」
たった一言でいいのに、肝心なところで声にならないなんて、最悪だ。
確か、今日の占いは一位だったはずなのに。
ゆっくりと彼女が乗らない電車が動き出す。
ひとりになり、やっと出てきた声は独り言にもならなかった。




伝えることはできないけれど


















20101108
恋募様に提出した文章
こっちにアップしてなかったので

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -