さまよう魚の話


はじめて直面した人の死は脳裏に焼き付いて離れてくれない。
まるで「どうしてお前は生きているのだ」と責められているように思えて仕方ない。
記憶は悪い方向へ塗り替えられていく。
勝手な思い込みだと頭では理解していても、体と心がついていかない。
血と土に汚れたあの酷い状態のものが、自身がはじめてみた死だったのだから。

「自分自身を戒めていますって?
笑えないよ、それ」

そんなつもりはないと口にしたかった。
けれど数日間なにも通さなかった、いや、通せなかった栄養不足の渇いた咽からは息の音すら聴こえ難い。
手付かずの膳を拾い上げて彼はわたしのすぐ横へ勢い良く投げつけた。
悲惨な音と同時に光景が広がる。
しゃがみ込み、それでも身長差のある目線を合わせるようにわたしの前髪を引っ張り、上げさせる。

「気にいらないんだよねそういう態度ってさ。
僕らのこと、ナメてるの?それとも心配してもらいたいだけ?
だったら先に言っとくけど、君にそんな権利ないから。
自分が「生かしてもらってる立場」なんだってこと、ちゃんと理解できてるはずだよね」

この人、口元は笑っているのに眼はとても冷たい。
落ち着いて話しているのに声は怒りを抑え切れていない。
掴まれたままの前髪に力が込められ過ぎているのか、ブチブチと契られる音を立てながら髪が数本抜けていた。
思わず眉を潜めると子供みたいに笑った。
ぞくっ
背筋が冷たくなる。反面、瞼の裏は熱くなる。

ねぇ、食べなよ。

ソレ、と指差した先には無惨な姿になった膳。

「君の為に用意してわざわざ僕が持って来てあげたのにさぁ。
こんな無害そうな顔して実は酷い奴だよね」
「ちが…っ…、」
「ほら、どうせなに出したって一緒なんだからこれだって同じだよね。
遠慮してるんなら気にしないでいいから、食べてよ」

言葉だけ聞けば優しさも混じっているのに。
どうしてこの人はこんなにも愉しそうに他人を見下すのだろう。

あの夜も、こうだった。
まるで生きていたことが疑問に思えるような態度で表情で、人を斬っていた。
彼らにとったらいままでとこれからの一部のことなのかもしれない。
一般的な家庭と日常で生きてきた自分とは根本的に考えが違うのだと、捕らえている間、推測していた。
そんなもの、本人たちを目の前にすれば意味など無くすのだとも知らずに。

傷の治りが異常に早いこの体では、痛覚もすぐに消える。
どんなに良いかと語られながら、肝心な傷は治せられないのかと絶望した。甘えにも似たそれを恥じるべきだったと、いまならわかる。

「人の死を見て…食事などできるはず、ないです」

余った手で彼の手を払う。
震えが止まらない。
彼が手を上げる。殴られる!咄嗟に両腕で庇った。

乾いた音が響いた。

が、自分にはなにも起きていない。

「いやぁなんて言うか。
こんなに真面目で馬鹿な奴は久しぶりに見たよ」

ぱちぱちと拍手の音が真上で聞こえる。

「ふざけないでください」
「ふざける?どっちが。」

立ち上がると同時に再び派手な音を立てて膳を今度は蹴り飛ばし、そのまま足首を踏みつけてきた。
激痛が走る。だんだん体重が掛けられていく。

「その言い方だとまるで平然と食事ができる僕たちがオカシイみたいだね。
じゃあさ、人斬りが普通の日常を過ごしていたらいけないの権利はないのずっと背負い続けて咎められなければならないの?
誰が、そんなこと決めたんだよ!」
「そこまでだ、総司」

静かな声が通り一瞬にしてシンとなった。

「すまなかった。
総司には俺からきつく言っておく。」
「は、い……」
「総司、このまま副長のところへ行け」
「えー」
「つべこべ言わず行け」

はいはーい、と軽く、やはり何事も無かったかのように彼は去って行った。

「心情は察するが、お前は今度からきちんと食事をとれ。
後で片付けに来るから少し待っておけ」

決して優しくされた訳ではないのに、どうして人はこんな些細なことでさえ気になってしまうのだろう。酷いことをされた相手にさえ。
良い意味でも、悪い意味でも。

足首の痛みは僅かな痺れを残して消えていった。





20101025
白々

食べ物を粗末にするのは止めましょう



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