※主人公が床です。床の一人称視点です。









足音が聞こえる。
重量素材質量その他諸々の要素で一人一人違う足音、その中で私が最も愛する足音。
この部屋に接した廊下をやや足早に歩いている、近付いてくる、そうそう、扉はもうすぐそこ。
扉のロックを外す音、さあもう少し。彼がこの部屋に入ってくる。
近未来的なスライド音で開いた扉から、一歩、ついに踏み入った。

足底と床面、さりげなくも確かに触れ合っているこの感じ。この重みをもっと味わいたいと思っていても彼は歩を休めることはなく次々に進んでいく。
そんなクールな彼の挙動に惚れ惚れしながら私も暴れだしたい衝動をおさえ、努めて冷静に振舞う。
私は床なのだから、床らしく、床としての機能を常に働かせなければならない。
平均サイズより大きめに作られた彼の足に踏まれることも、床としての勤めなのだ。
彼がドクターワイリーナンバーズとして、今日もこうして真面目に仕事をこなしているように。

部屋の隅の機械で何かをチェックしている彼を真下のアングルから見上げることのできる私。
こんな真下からの彼、きっと蟻ぐらいしか見たことが無いはず。ちょっとした優越感。
プロペラの枠の外側、ちょっとだけ汚れていてよ?泥でも跳ねたのかしら。
拭ってあげたいけどしがない床板の私にはその泥を拭うハンカチを持つ手が無い。
そう、触れることができるのはせいぜい彼の足裏のみ。真下から見上げられる優越感なんて、そのデメリットに比べたら本当に本当に小さいもの。
彼はロボットで、私は床だから。
数日に一回程度の頻度でも、彼に踏みしめて歩いてもらえるだけで、幸せなんだと思わなきゃ。

センチメンタルな気分で彼を見上げていると、ふいに彼がこちらを覗き込んできた。
下を向くなんて珍しい、あなたは常に真正面の仕事や高みの目標を見ていたのに。
ああでもそんなに見つめないで、その赤い眼が素敵過ぎて……いやだわ私ったら、ワックスかけてもらったの何年前だったかしら!?
ここのところ忙しくて掃除もろくにしてもらっていない、それは仕方の無いことだと分かってはいるけれど、ワックスも切れた私はただの小汚い床板。
意識せずに踏み歩く分には全くかまわない、それが床のあり方だから。
だけど見つめられるとなるとやはりこちらが意識してしまう。ワックスかけたての、つるつるすべすべな私を見て欲しかった……。

そんな小汚い私の上で、彼は肩膝をつき、大きな右手を伸ばすと、埃の塊を拾い上げた。
拾い上げるとすぐにまた立ち上がり、埃の塊をゴミ箱へと落とす。
そして何事もなかったかのように、チェックを終え、機械を省エネモードにして部屋を出て行った。

世界で最も愛する足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私は喜びに震えそうになるのを必死に抑えてていた。
私が彼のプロペラの枠の汚れを落としてあげることは叶わなかったけど、彼は私についていた汚れを掃除してくれた。
自分からは何もできない床にとって、こんなに嬉しいことがあるだろうか。
私は床だからと、床は床らしくただ佇んでいなければと、そう思ってきたけれど、世界は思っていたよりずっと優しい。
ただ踏まれながら真下から見上げることしかできない私だけど、そこには確かに触れ合いが生まれていたのだ。

『あ、り、が、と、う……』

いつの日か、彼にそう伝えられたら。
そんなことを夢見ながら、数日後にまた聞こえてくるであろう彼の足音を、またひとり待つのだった。
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