今日の月は | ナノ




 チェレンは、アデクが酒を飲む様を見るのが好きだった。アデクは決して浴びる様な飲み方はせず、ゆっくりゆっくりと味を楽しみながら喉を通していく。
 酔ったとしても微かに頬が紅潮する程度で声を荒げる事も、傍にいるチェレンに必要以上に絡む事もない。ただ、普段と変わる点を上げるとするならば、チェレンに触れる手つきが普段以上に優しいものとなる、ということだろうか。
 今年も最後の月――十二月に入って少し経つ。空気は全くの冬のものへと変わり、天気が悪い日は雨ではなく霙、ともすれば雪もが降るようになったこの時期の夜風は酷く冷たかったが、それでもアデクは開け放った大窓を閉めようとはしない。

 一日の執務も終わり湯浴みも終わらせた深夜に近いこの時間に、アデクは好んで飲んでいる酒瓶を棚から取り出し、同じく風呂上りであったチェレンを手招いた。
 アデクが座るソファは大窓に対面し、そしてその大窓は広く開け放たれている。冬の月を肴に酒を飲むのだと気付いたチェレンはアデクに少し待つよう言い置き、慌てて上着を取りに寝室へと戻り、更に湯冷めせぬよう大きめの毛布も腕に抱えてリビングへと戻る。
 チェレンが腕に毛布を抱えているのを見たアデクはチェレンを労って笑い、ソファから立ち上がり毛布を受け取ると大きく広げてまずチェレンの身体を包み込んだ。チェレンの肩が風に晒されぬようしっかりと包んだ後に、アデクはチェレンを覆って尚余りある毛布へと今度は己の身を潜らせる。
 温かな毛布の中で寄り添いながらソファに腰を降ろした後にチェレンが酒瓶を手にすると、アデクは当然のようにグラスをチェレンへと寄せた。
 幾度もアデクに酒を注いでいる内に、いつしかチェレンはアデクがどのくらいの量を注ぎ、どの位の量の氷を欲しているのか分かるようになっていた。今では当のアデクでさえ、己の手酌よりもチェレンに注いでほしいと言うほどだ。
 アデクがどう思っているのか――恐らくただの晩酌であろうが、チェレンにとってアデクに酒を注ぐのは、一種の儀式のようなものだった。
 勿論晩酌につきあう事で何か見返りがある訳ではない。ただ、アデクが気を落ち着けゆっくりとした己の時間を過ごすこの時に、傍らにいる事を許されている事実を強く感じるのだ。
 チャンピオンと、一介のトレーナー。親子以上に歳の離れた、同性。
 アデクとチェレンの関係は、まだ極一部の存在にしか知らせていない。アデクは他から何を言われようとチェレンと懇意である事を恥じず、声高らかに宣言すら出来ると言うが、チェレンはアデクの事を考えるとどうしてもそれを喜ぶ事が出来ずにいる。
 この関係を正常だとは思っておらず、またいつか終わりが来るものだと分かっているからだ。それは想いに齟齬が生まれた時かもしれないし、死が訪れた時かもしれない。特に後者はアデクも分かっていることだろう。死を誰よりも恐れ、誰よりも理解しているアデクがチェレンを傍に置いている事の意味を、チェレンは事あるごとに強く噛み締める。
 ――兎も角、チェレンはアデクの奥深くまで己の存在が居付いている事に未だ慣れていないのだ。

 酒が飲み干され氷が触れ合う微かな音を立てるグラスに、チェレンはまた酒を注いでいく。その際何の気なしにアデクを窺い見ると、それまで黙して月に視線を遣っているかと思われたアデクは、しかしチェレンを見つめ緩やかに笑んでいた。
 思いも拠らぬ視線を受けたチェレンが目を瞬かせると、アデクはチェレンを呼ばわり毛布の中で肩を抱き寄せる。体勢が斜めになった事で酒を零してしまわぬよう両の腕で瓶を抱き、そうしてアデクを窺うように顔を上げたチェレンをもう一度呼んだアデクは、く、とグラスを傾け今し方注がれた酒を飲み干してしまうとグラスに溶け残った氷を指で摘み、それをチェレンの口へと放り込んだ。
 突然の冷たさにそれを吐き出してしまうことを出来ずにうろたえ眉根を寄せたチェレンに、ゆっくりとアデクの顔が寄せられる。
 酒気を孕んだアデクの呼気がチェレンの鼻先を擽ったと同時に重ねられた唇からはすぐさま舌がチェレンの歯列を割り、チェレンの口内を冷やす氷をつつき、ころころと転がした。
 アルコールに浸かっていた氷はほろ苦く、またアデクの舌も苦味を含んでいる。熱を上げた吐息と舌先で氷が完全に溶けてしまうまで口付けは止まず、チェレンはまるで己も酔っているかのような心地にさせられた。実際チェレンが摂ったアルコールなど極僅かで、酔いなど回るはずがない。

 息を乱したチェレンが抱き寄せられるままにアデクに身を預けると、アデクは両の腕でチェレンを抱き込み小さく笑ったようだった。
 今度はアデクの視線はチェレンには向いておらず、遠く空に浮かぶ月に向けられている。酒を嗜む事が出来たら大人になれるなど下らない事は思ってはいないが、今、アデクが月を眺め何を考えているのか――同じことを考える事が出来たらアデクに近付けるだろうか。
 詮無い事をつらつらと考えるうちに呼気が整ったチェレンは、また酒瓶を傾けアデクに酌をするのであった。



END
今日の月は青く光る


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