世界はその時 | ナノ





 就寝しようとベッドに身を横たえ布団を被ったチェレンを止めたのは、ライブキャスターの着信音だった。もう日付も変わろうかという時刻に誰かとチェレンは慌てて体を起こしライブキャスターを開くと、そこに映っていたのはアデクの姿である。寝巻に身を包んで目を擦るチェレンを画面越しに見、アデクはすまないと眉を下げたが、チェレンが何事かと問うとアデクは明日はこっちに来るのかと首を傾げた。
 アデクから誘いが来るとは珍しいと思いつつ、チェレンが肯定の返事を返すとアデクはどこか躊躇った様子で口籠る。行かない方がいいですか、そう問うたチェレンにアデクは首を横に振ったが、その表情は普段のものとは違いどこか浮かなかった。


 それが昨夜の事だ。
 あれは来いということなのだろうかとチェレンはケンホロウの背の上で首を捻りつつも、ポケモンリーグへと向かっている。
 ケンホロウにとってもチェレンにとっても通い慣れた行き先の為、然程時間がかかることなくリーグへと到着し、これも慣れてしまった裏口からの通路を通ってアデクのプライベートルームへと向かったチェレンは扉の横にある呼び鈴を鳴らす。
 現在時刻は朝の九時前だ。アデクは何時に来いとは指定しなかったため適当に来てしまったが、もしかしたら早かっただろうか。そうチェレンが薄く眉根を寄せて考えていると、程無くインターホンからアデクの声がしすぐにドアのロックが外された。
「おはようございます、アデクさん」
 遠隔操作でロックが外されたとはいえ入室時に挨拶は必要だろうとチェレンが声をかけると、意外にもアデクはチェレンを出迎えず遠くから呼ぶ声が返ってくる。
 声を頼りにチェレンがアデクを探し寝室に行きつくと、アデクは寝室の壁に作られたフォトパネルに所狭しと飾られた写真を眺めているところだった。
「おはよう、チェレン」
 チェレンが寝室のドアを開けた際にアデクから声が掛けられたが、その視線は写真に向いたまま動かない。何を目的として呼んだのだろうかとチェレンがアデクの傍らに立ちアデクの視線の先の写真を覗き込むと、アデクはふ、と息を吐き一枚の写真を指先で撫ぜた。
「呼んでしまってすまなかったなあ。わしは今日休みでな。…タワーオブヘブンに行くのだが、お前さんも連れて行きたいと思ったのよ」
 アデクの指が触れているものは、今のアデクの手持ちがアデクを囲んでいる写真だ。アデクも、そしてアデクの手持ちも笑んでおりその写真を見ているとこちらまで笑みを浮かべてしまいそうになる。しかしそれをゆっくりと指先で撫ぜるアデクの目はどこか悲しげに揺れており、チェレンはアデクの意図に思い当たり思わずアデクを仰ぎ見た。
 タワーオブヘブンには、かつてのアデクのパートナーが眠っている。
 そこに行くという事は、墓参りに行くのだろう。チェレンは何と言って良いのか分からずただアデクに視線を向け続けたが、アデクはチェレンが戸惑っている事を察しすぐに相好を崩してチェレンの頭に手を遣りいつものように髪を掻き乱した。
「…アデクさん、」
 いつもならばその行為に突っかかるチェレンも、しかし今はただそれを受け入れるしか出来ない。頭に乗った大きな掌に手を重ね引き寄せると、アデクは漸くチェレンに視線を向けて苦笑した。
「今日ばかりはな。…許せ」
 チェレンがアデクの手を両の手で包み胸元に抱くと、アデクは眉を下げて笑う。その唇から紡がれた言葉に、チェレンは頷いてそのままアデクに寄り添った。


 タワーオブヘブンに徒歩で向かうのは少々時間がかかるからとアデクとチェレンは互いの手持ちで空を飛んだが、アデクはフキヨセまで来るとチェレンに下に降りるよう指示を出した。直接タワーオブヘブンに向かってしまえば良いものと思っていたチェレンは、首を傾げながらもそれに従う。
 フキヨセの外れに足をついたアデクはチェレンも降り立ったのを確認すると先に立って歩き出す。その背に先刻感じた疑問を投げかけると、アデクは苦笑し考え込む素振りを見せる。
「タワーオブヘブンには、もう空を飛ぶことが出来ないポケモンもいると思うと、わしはどうもそこには行けないのだ。わしのエゴではあるが、…な」
 歯切れの悪い言葉ではあったが、それがアデクの内心を表しているようでチェレンは口を噤む。フキヨセからタワーオブヘブンはすぐだ。目の前に高く聳えるそこは首を上げても地上からはそのシンボルである鐘を見る事は叶わなかった。
 
 内部に入りゆっくりとした足取りで螺旋階段を登りながらアデクはぽつりぽつりと口を開く。チェレンはアデクの一歩後ろを歩いているためにその表情は見れないままだったが、敢えて見る事もないかとその距離を保ち続ける。アデクも、見られたいものではないだろう、その声音は泣いてはいないものの、普段とはかけ離れて覇気がない。
「お前さんはまだ、ポケモンとの死別を経験してはいなかったな。勿論経験などしない方が良い、だがお前さんはこの先ずっとポケモンと暮らしていくのだろう、その中で別れは確実に訪れるものだ」
 チェレンはアデクの言葉を受け、己の手持ちを一匹ずつ脳裏に思い浮かべそれとの別れを想像してみたが、全くと言っていい程に想像がつかなかった。どのポケモンとも、それがいなくなった先が思い浮かばない。アデクはチェレンの返事を求めていないのだろう、一段、また一段と足を進めながらまた口を開く。
「わしはあれが死んで初めて、ポケモンとの在り方を考えるようになった。…先の出来事の――Nといったか、あの者はポケモンと会話が出来るらしいな。それを聞いてわしは色々な事を考えたよ。チェレン、お前さんはポケモンと話がしたいか?」
 それまで前を向いたままだったアデクが足を止めて振り返り、チェレンに真っ直ぐ視線を向けてくる。アデクの眼光は強く、チェレンはまるで射竦められたような心地になったが、それでも何か答えねばと唇を動かした。
「ボクは、…そうですね、話が出来るのならばしてみたいとは思いますけど、……実際ボクはそんな事は出来ないから、良く、分かりません」
 ポケモンと会話が出来る、それはポケモンと共に過ごす者にとっては憧れてやまない能力だろう。しかしそれは先ほど考えた手持ちとの別れ以上に想像がつかず、またもし知りたくない事まで知ってしまったらとチェレンは考え首を横に振った。チェレンの答えを聞き、アデクはふむ、と顎に手を当てまた階段を登り始める。
「わしは最初はNを羨んだ。…しかしな、ポケモンと会話が出来てしまったら、きっとそれに頼りきってしまうだろう。トレーナーはポケモンの心を知り、異種族だからこそそこに信頼関係を築き、言葉がなくとも通じ合うよう互いを高めねばならん。わしはそれをトレーナーの在るべき姿だと思っておる。会話が出来たならば、全てを会話で済ませてしまうだろう、勿論利点もある、が…考え方は人それぞれではあろうが、わしは今では会話が出来なくて良かったとさえ思っておる」
 先刻はゆっくりとした語り口調だった筈が、今は半ば息継ぎもせずに捲くし立てるように感じられるのは、アデクは自分の言葉を自分に言い聞かせているからだろうかとチェレンは思った。
 なぜここでその話をしたのだろうかと考え、軅てその答えに行きつきチェレンはアデクの服を引き足を止めさせ己と向き合わせた後、アデクの腰に付けられているモンスターボールに触れる。
「亡くなったパートナーと、話がしたかったんですか」
 チェレンの言葉は問いかけの形こそ取っていたが、その実は確信を持って放たれていた。じ、っとアデクを見据えたチェレンの視線に、アデクは眉を下げてそうさなあ、と笑う。
「あ奴がわしの隣で何を思い、何を感じていたか、知りたかったなあ」
 笑ったその拍子、アデクの瞳に薄く膜が張りその呼吸が震え始めた。歳を重ね皺が刻まれたアデクの目尻に瞳から溢れた涙が一粒、頬を伝い石造りの階段へ落ちて染み込んでいく。それきりアデクはチェレンから顔を背けてしまったが、前を進むアデクの背が震えていたのはそういうことなのだろう。
 チェレンはアデクの羽織りを掴んだまま、胸を締め付ける切なさに襲われて顔を俯かせた。泣いてしまいたかったが、チェレンがアデクの心中を想像して泣くなど酷く礼を欠いたことのように思え唇を噛んで泣くまいと堪える。
 そのまま会話も無く進んだ先、もう一階先へ進めば鐘がある最上階に着く場所でアデクは足を止め、一つの墓の前で腰を折った。墓碑には何も刻まれていないが、そこにはアデクのかつてのパートナーが眠っているのだろう。
「今日はこれの命日だ。…お前さんも、祈ってやってはくれんか」
 アデクはまるでポケモンにするように優しく墓碑を撫で、そしてチェレンを振り返り眉を下げる。もうその目に涙はなかったがチェレンにはアデクが泣いているように見え、アデクの隣に膝をついて墓碑に触れた。
 死して尚アデクにこれほど想われる墓碑の下のポケモンは幸せだろう、そう考えるもチェレンは口を開くつもりはない。アデクが何を思い自分をここへと連れてきたのかは分からないが、それでもアデクという人物の中でこの場所が重要な位置にある事は分かる。温度を持たない、石で作られた墓碑に触れながらチェレンは目を閉じ、眠るポケモンの安息を祈った。
 誰が鳴らしているのだろう、階上より聞こえる鎮魂の鐘の音がいつまでも止まずチェレンの脳裏に谺していた。



END
世界はそのとき泣いていましたか



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