それは幸せな | ナノ




 チェレンがアデクに抱える想いは大きくなっていく一方だったが、チェレンは未だにそれを告げられずにいた。
 好きだ、なんだと言葉にしてしまえば、自分の気持ちは急にちんけなものになってしまいそうな気がしてならないのだ。好き、愛してる、そういう愛を告げる言葉はどれもチェレンの心情を正確に表現してはくれず、言葉はこれ程までに不便なものだっただろうかとチェレンは唇を噛む。
 普段何気なしに使っている――寧ろ使わねば生活に支障をきたす言葉がこうして自分を追い詰める要因になろうなどとは考えた事がなかった。
 兎も角、チェレンはアデクに慕情を伝えていなかった、が、毎日のようにチャンピオンロードで修行をし、またプラズマ団の一件の時にアデクをサポートした中にチェレンがいたからだろう、チェレンの予想外にアデクとの関係は近付いて行き、今やチェレンはアデクのプライベートルームへ足を踏み入れる事を許され、且つ宿泊もするようになっていた。
 カノコタウンから、イッシュリーグまでは確かに遠い。毎日ここまではケンホロウの力を借り、チャンピオンロードの入口から野生のポケモンと戦いつつ目的のフロアを目指す、といった修行をしていたチェレンは、いっそ泊まっていったらどうだと言うアデクの言葉に頷いたのだ。
 アデクのために食事をも作るようになったため、気兼ねすることも無くなった仲にはなったが、実際チェレンの家はここではない。共にカノコを発ったトウヤは未だ旅を続けているようだったが、チェレンはもう、旅ではなく別の目的を見つけている。
 家にも帰らなければなるまいとチェレンは考え、リーグより帰宅したアデクを迎えるとテーブルに夕飯を並べながら口を開いた。
「アデクさん、僕、明日から少し家に帰ります」
 上着を脱いで部屋に置いたアデクはチェレンを手伝い食器を出しつつその言葉を聞き、ふむ、と頷いた。
「帰らないと親御さんも心配されるだろう、良いのではないか?」
 アデクは何を動じた様子も無く、変わらず陶器の触れ合う音を立てながら食器を並べて続けて言う。チェレンと視線を合わせながらの言葉だったが、チェレンは余りに普段通りのアデクを見続ける事が出来ずに途中で視線を反らした。
 己の抱く想いを伝えていなくとも、アデクは気付いているのだとチェレンは知っている。こうして他のトレーナーよりも、逸そ四天王の面々よりも傍にいる事を許されているのは、少なからずアデクもチェレンを好いているからだと思っていた。
 それを、こうして離れると言うのに何の事も無いように肯定されてしまい、チェレンは急に自分が一人空回っていたような寂しさに駆られ顔を俯かせる。
 チェレンには未だ、アデクという人物の人となりを理解することが出来ない。齢を重ね世の中の様々なものを見てきたアデクの瞳は深く重みを持った輝きを放っていたが、時折それが子供のような色を宿す事もある。
 全てを受け止める腕も、背も持っているアデクは大雑把なように見えて、実は酷く繊細で誠実な人間だ。
 数度話したきりではわからなかった事を、こうして傍にいることで知っていく度に、チェレンの胸は高鳴り、時に張り裂けそうに痛む。
 突如俯き手を止めてしまったチェレンをアデクが訝しみ呼ばわったが、チェレンは顔を上げられないまま首を横に振った。
 こういう時ばかり、思考が暗く沈んでいく。半ば同棲状態で共にいられる事を嬉しく思っているのは己だけなのだと考えてしまうと泣きたくなり、チェレンは一度強く目を閉じてすぐに開き、顔を上げた。
 じっとこちらを見ているアデクと目が合い、目にゴミが入っただけなのだと嘯いてみせる。
「ご飯にしましょう、アデクさん」
 努めて普段通りを気取りチェレンが言うと、アデクはどこか苦笑したようだった。



 夕飯も食べ終わり片付けも済ませてしまうと、チェレンは特にする事がなくなってしまう。
 アデクは持ち帰った執務があるらしくそれをリビングで捌いていくのを、チェレンはソファに腰掛けじっと見つめていた。
 テレビは付いていたが、チェレンはそちらに視線を向けてもいないために目まぐるしく切り替わる画面も意味をなしていない。たくさんの書類を広げ、チェレンには到底予想もつかない仕事をこなすアデクのピンと伸びた背は大きく、どこか風格を放っているようにも見えた。
 ――意外と、姿勢が良いんだ。チェレンはまた一つアデクに発見しそれを記憶する。そのままチェレンは暫くアデクを見つめていたが、こうしていても仕方がないと大衆向けの何かを垂れ流し続けるテレビを消して立ち上がった。
 先に風呂に入ってしまおう、そう考えてアデクにその旨を伝える。するとアデクはチェレンを引き留め、そこで待っているよう言い置いて寝室へと消えていった。
 待てと言われてしまえば待つしかなく、ソファの前で所在なくアデクを待っていたチェレンだったが、軅て寝室へとつながるドアが開けられると共にチェレンを襲ったのは眩いフラッシュの光だった。
「う、わ、…!?」
 かしゃん、という小気味良いシャッターが下りる音と共に放たれた光をまともに受け、極彩色に明滅する視界をどうにかしようとチェレンは幾度も瞬きながら声をあげた。
 目を擦ってアデクを見ると、その手にはカメラが収まっている。カメラからは何かが焼きつくような音と共に写真が吐き出され、それはゆっくりとソファの前に立つチェレンを映し出していった。
「うむ、もう一枚いくか。ほらチェレン、笑わんか」
 年季が入ったポラロイドカメラを片手に、アデクが写真をひらひらと振って再度カメラを目の前に掲げる。突然の事に混乱しながらもチェレンは写真を撮られたのだと言うことを理解し、慌てて身を翻すとソファの背に隠れそこから覗かせた顔半分でアデクを睨みつけた。
「突然何なんですか、もう! 僕の写真は撮らないでって言ったじゃないですか!」
 そうこうしている内にも、アデクはソファに隠れるチェレンを撮り、そしてさも可笑しげに笑い声をあげる。
「全くお前さんはしかめっ面ばかりだな。これは別に壁に飾ろうなどと思っておらんよ。お前さんがいない間にわしが寂しくないように、と思ってな」
 毛を逆立てた猫のようなチェレンがおかしいのだろう、豪快な笑い声をあげるアデクは大股でチェレンの隠れるソファに近付き距離を詰めると、手を伸ばしてチェレンの髪をかき混ぜた。
 乱された髪に普段ならば文句を言うチェレンは、しかしぽかんとした表情を作りアデクを見上げている。
「…いない間、寂しく?」
「うん? うむ、それはこれだけ共に暮らしていたらなあ…それにチェレンの作る飯は美味いからな、食べられなくなるかと思うと寂しいものだ」
 アデクの言を鸚鵡返しに聞き返したチェレンに対し、アデクは顎に手をやりながら低く唸る。アデクの唇が動き紡ぎ出された言葉を理解するにつれ、チェレンは己の頬が薄らと熱を帯びていくのを感じていた。
 先刻は己ばかりが寂しいと思っていたが、アデクもチェレンがいなくなると寂しいと言う。嘘をつくことを嫌うアデクの性格上、発された言葉は真実なのだろう。チェレンはしゃがみ身を預けていたソファの背の陰から立ち上がり、乱れた髪を整えつつアデクを見つめ続ける。
「あ、の、アデクさ、」
 瞬間、自分でも何を言おうとしたか分かっていなかったが、何か言わねばと口を開いたチェレンをまたしても眩い光が包み込んだ。思わず顔の前に手をやり目をきつく閉じたが遅かったらしく、眼球の奥がちかちかと瞬き目を開けられない。
「おお、これは良い」
 暢気なアデクの声に漸う瞼を押し上げ溜息を吐きながらも色を付けていく新たな写真を見ると、そこには目元を染め、気恥ずかしげに笑うチェレンが写っていた。
 アデクはその前に撮った数枚の写真と共にそれをも大事そうに懐紙に包み、懐へと納めていく。
 恥ずかしそうではあったが、どこか嬉しげにレンズを――その先のアデクを見つめていたであろう自分の姿がチェレンの脳裏に焼きつき、自分はこんな顔をしていたのかと更なる羞恥に苛まれることとなったがそれでもチェレンはもう、食事の準備をしていた時のような胸の痛みは一切感じていなかった。
「アデクさん、僕ばかりでなくアナタの写真も撮らせて下さいよ」
 アデクの手から古い、しかし大切にされてきたことが分かるカメラを丁寧に受け取りレンズ越しにアデクと視線を合わせながら、チェレンは家へと帰っても、またすぐにここに来ようと心に決めるのだった。



END
それは幸せな肖像


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -