ぬるい感情のなかを | ナノ




 目覚まし時計のアラームが鳴る数分前に、ふと意識が浮上しチェレンは目を覚ました。時計の針は、秒針があと二周もすれば朝の六時を指すだろう。
 暖かな布団の中から出てしまうのは後ろ髪を引かれる思いだったが、チェレンは寝起きで重たい腕を頭上に掲げ髪を直すと数度目を擦った。眼鏡がなくとも、至近距離にあるものならば見る事が出来る。横を向いて眠っていたチェレンの目の前には、壮年の男性――アデクが身体を横たえ深い寝息を立てていた。
 此処は、アデクのプライベートルームの寝室である。放浪をつづけていたアデクは最早自分の家を持っていないらしく、リーグにある此処を住処にしているらしい。四天王達もそれぞれプライベートルームを持っているようだったが、生憎チェレンはそちらへ入った事がなく、アデクの部屋と比べどうこう言う事は出来ない。
 チェレンはアデクをじっと見つめ、そしてチェレンの身体を抱える様に回されている腕に触れて瞳を伏せた。脇から回されたアデクの腕はチェレンの肩までを抱いている。
 同衾しているからと言ってアデクとチェレンの間に何かあったという訳ではないが、こうしているとまるでアデクに愛されているような気がして、チェレンは己の頬に熱が灯っていくのが分かった。
 チェレンがアデクの部屋に来て、そして宿泊もするようになって幾月か経つが、チェレンは未だに同じベッドで朝を迎える度に言い表す事が出来ない感情に苛まれている。
 初めてこの部屋に泊まった日、ベッドが一つしかないと困り顔のアデクに対し、チェレンはじゃあソファで良いですよと提案したが、結局客人をソファに寝かせるわけにはいかないと首を横に振ったアデクに共寝を押し切られたのだ。ソファに寝かせるのはダメで、こうして一つにベッドで眠るのは良いのかとチェレンは甚だ疑問だったが、嫌な気分はしなかったために口にすることはせず黙っている。
 最初は遠慮し端の方に寄っていたチェレンだったが、二度、三度と泊まる内に寄り添って眠ることにも慣れていった。それでも初めてアデクの腕に体を包まれた時はそれはもう必死に抵抗したが、アデクにとってのチェレンは子供のようなものなのだ。意識するだけ無駄だと早々に諦めたため、チェレンは今、こうしてアデクの腕の中で眠っている。
「……起きないと、」
 つらつらと考え込んでいたチェレンは、時計の秒針の音に我に返り慌てて起き上がると時計のアラームのボタンを押した。チェレンにとっては日課となった起床時間だが、アデクには早いだろう。わざわざ起こしてしまうのも気が引けて、チェレンは眼鏡をかけアラームが鳴らないように設定した後にゆっくりとベッドから抜け出した。アデクが起きる気配はない。

 着替えを済ませて簡易キッチンに立ちながら、チェレンは先刻まで己を抱いていたアデクの腕の感覚が忘れられずに幾度も肩に手をやり、その度溜息を吐いていた。
 アデクはチェレンを愛しているというが、その愛はチェレンがアデクに抱く愛とは全く違う。
 アデクの愛は庇護欲から来るもので、決してそこから進展しようとはしない。そもそもアデクがチェレンを――寧ろ、同性を恋愛の対象として見るかどうかすら危ういのだ、チェレンは自分の抱える“愛”が叶わない事を知っている。
 ただ、チェレンとてもしアデクとそういう関係になれたとしても、そのままずっといられるとは微塵も思っていなかった。そうであれば、今の関係が一番良いのかもしれない。近過ぎず、遠過ぎず、互いに無理のない距離は心地よいとさえ思える。
 チェレンは一度寝室を振り返り、そして鍋の中に味噌を溶かし入れた。泊まる度に朝食を作るのはチェレンの役目となっている。家事手伝いをしていた経験がこんな所で生きるとは思っていなかったが、アデクが美味しいと言うならば良いだろう。
 沸騰してしまわぬよう火を止め、チェレンは急須に茶葉を入れる。湯を注いでからアデクを起こしに寝室に行くと、六時半過ぎと丁度良い時間だった。
 アデクは未だ、深く眠っているようだった。昨夜は遅くまでチャンピオンの仕事をしていたのを見ると、忙しいのだろう。それでなくても数年放浪を続けていたアデクには、こなさねばならない仕事が圧し掛かっているのだ。どこか疲れた様なアデクの顔を見ている内に、チェレンはこのままもう少し寝かせても良いかと思ったがカレンダーの今日の日付の下には赤い字で会議、と書かれている。
 チェレンは少し迷い、先刻も撫ぜた己の肩に触れ、そして背を屈めてアデクの頬にそっと唇を寄せた。皺も鬚もある頬は、しかしその貫禄をチェレンに伝えている。
「…好きです、アデクさん」
 吐息に混ぜて小さく言葉にしてみると、途端に恥ずかしくなりチェレンはそれを振り払うように勢い良くアデクの肩に手をかけ、そして揺さ振った。
「もう朝ですよ、ご飯も出来てます。いつまで寝てるんですか」
 唐突に体が揺れた事に目を覚ましたアデクが寝惚け眼で呻き声を上げる。のそのそと起き上がったアデクが布団の上に胡坐をかくのを見届けキッチンに戻ろうとしたところで、そのアデクに手招かれチェレンは誘われるままにベッドに近づいた。チェレンがアデクの前に来ると、アデクは手を伸ばしてチェレンの髪に触れ、頭を撫でまわす。
「まるで良妻だな、お前さんは」
 アデクは何の気なしに言ったのだろうがチェレンはその言葉に数度瞬き、俯き笑った。そんな冗談でも、アデクが言うのならば嬉しく思える。俯いているためチェレンの表情が見えないアデクの、未だ髪を乱す掌を押し退けつつチェレンは殊更真面目な表情を作り口を開く。
「今日は午前中に会議、午後は書類整理ですよ。頑張ってくださいね、チャンピオン」
 チャンピオン、を強調して言うとアデクは髪を掻き苦笑しながらも頷きベッドから腰を上げる。今度こそキッチンに向かったチェレンは急須から湯呑へと茶を注ぎ、もう少しだけこの生活が続くよう願いつつそれをアデクへ差し出したのだった。



END
ぬるい感情の中を泳いでいた


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