太陽の墓 | ナノ


 チャンピオンロードに存在するゲートの内、トキワへと繋がるものはまず、ジョウトリーグを制覇しないと通してもらう事が出来ない。それをどうにか潜り抜けた――正確には忍び込んで警備員の目を盗んだ――シルバーは、行く宛ても無くカントーを放浪していた。
 お月見山でヒビキとバトルをしてからというもの、セキチクに足を運んだりタマムシのデパートに行ってみたりと各地を回ってみたが、シルバーの興味を引くものは然程無かった。
 手持無沙汰にハナダシティ前の道を歩いていた際、シルバーは前方に見知った顔を見つけ首を傾げた。とうにハナダジムにて勝利を収めている筈のヒビキがそこに座っていたのだ。その傍らには見慣れぬポケモンがいる。
 否、シルバーはそのポケモンを知っていた。焼けた塔で、眼下に見た事がある。
「…スイクン」
 思わず声に出してその名を呼ぶと、それに反応したスイクンがゆっくりとシルバーへと顔を向け、それに倣ってシルバーを見たヒビキは屈託なく笑った。
「シルバー、久し振り!」
 水辺に程近い草むらに腰を降ろしていたヒビキは立ち上がり、服を払うとシルバーへと近寄ってくる。逃げる理由も無くシルバーはヒビキの言に頷き、その後ろを従順に付いてくるスイクンへと目を遣り無言で問うた。スイクンは、じっとシルバーを見た後に視線を逸らしてヒビキへと体を寄せる。警戒はされていないが、相手にもされていない。シルバーには興味がないのだと言わんばかりの姿勢に思わず眉根が寄ったが、ヒビキはそれに気づいているのかいないのか、腰から一つボールを取り眼前に掲げて見せた。
「ゲットしたんだ。て言っても、スイクンがゲットさせてくれたんだけど」
 思わず驚愕の声をあげかけたのを、シルバーは必死に抑えた。柄でもなく、声をあげてしまうところだったのだ。ヒビキは笑っている。その体に、伝説の北風の化身、スイクンが擦り寄り甘えた素振りを見せている。
 ――なぜ。
 シルバーの胸中をその問いが占めたが、生憎それを口に出して問える性格をしていなかった。それに、どこかで分かっていたのだ。ヒビキは伝説に愛されるトレーナーなのだと。ホウオウを始め、ライコウ、エンテイ、果ては遠くの伝説と呼ばれるポケモン達もヒビキに時折姿を見せるという。何度もヒビキと対戦し、その強さを目の当たりにしてきたシルバーは、納得せざるを得なかった。バトルの腕だけでない。ヒビキの心は誰よりも純粋で、キレイなのだ。
「……そうか。じゃあな」
 どうにかそれだけ絞り出すと、シルバーは踵を返して歩き出した。この先は行き止まりの高台だと知っていたが、兎も角ヒビキから離れたかったのだ。
 ヒビキといると、己の矮小さを突き付けられているようで、シルバーの胸は酷く痛んだ。
「引き留めちゃってごめん、じゃあまた!」
 後ろからヒビキの声が追いかけてくる。それを黙殺し、シルバーは暫く歩きそして駆けた。せめて、高台に着くまでは何も考えずにいたかった。


 バトルを挑もうとするトレーナー達を無視し、道を駆け抜け高台に着いたシルバーは呼気を整えた後に崖に座り込んだ。遮る物のない視界には抜けるような空が広がっている。一つ、深い溜息をついたところで不意に肩を掴まれ、シルバーは肩を跳ねさせ勢いよく振り向いた。
 中途半端な背後の視界の中に、鮮やかな紫が飛び込んでくる。肩に置かれた白い手袋、上等な生地の紫色のスーツを順に辿っていくと、そこにはシルバーが大仰に驚いてしまった為だろう、少しだけ申し訳なさそうな顔をした青年が立っていた。
 馴染みがある顔ではないが、初対面でもない。確か、エンジュの焼けた塔で一度出会っていた筈だ。二言、三言交わした程度だが、自分はスイクンハンターなのだと言う、煌々とした深い海の色をした瞳は印象的だった。
「…確かアンタ、ミナキ、だっけ」
 記憶を手繰って名を呼んでみると、青年は嬉しそうに顔を綻ばせる。不躾な物言いをしてしまったと、シルバーは刹那の後悔に襲われたが、ミナキは全く気にしていないようだった。
 陽光を受けて、ミナキは眩しげに眼を細め、シルバーの隣に座していいかと問うた。面識があると言っても、ミナキと親しい訳ではない。同じ空間にいて何か話すなどシルバーには気まずい様に思われたが、断る理由も思いつかずにシルバーは首を縦に振った。
 先刻であったヒビキとのやり取りに色々思うところがあるシルバーは、ミナキに対し何か自分から話題を振る気にもなれず、そのまま顔を背けてしまったが、ミナキも同じく空を眺め、黙している。
 暫くの間二人の間には沈黙が続いたが、シルバーはふと、ミナキが小さく何事かを呟いたのを聞き、視線だけをそちらへ遣った。
「君も、スイクンを見たのだろう」
 シルバーの興味が己へと向いた事に気付いたのだろう、ミナキはくしゃりと髪に手を遣った。少しだけほつれのある白い手袋に擦られた蜂蜜色の髪が、指の間から覗いている。
 そういえばミナキはスイクンハンターを自称していたと再度認識し、そしてシルバーは言い知れぬ歯痒さを覚えた。ミナキと直接話したことはなかったが、焼けた塔で、ヒビキ相手にスイクンスイクンと熱弁を奮っていたのを見た様な気がする。
 あの時シルバーに余裕が無かった為に記憶はおぼろげだが、スイクンを愛し、逸そスイクンの様に――同化してしまいたい程に北風の化身を乞うていた筈だ。
 ミナキはシルバーに一言話しかけたきりまた黙ってしまったが、その口振りからしてシルバーと同じ様に、この高台への道中スイクンを連れたヒビキに出会ったのだろう。
 ホウオウを渇望していたエンジュのジムリーダーから、そしてミナキから、他にもヒビキは誰かが切ない程に欲しているものを、手に入れる事が出来るのだろう。
 それは、ヒビキにしか出来ない事だ。ヒビキの役目ですらあるかもしれない。シルバーは、ヒビキの旅が決して簡単なものだったとは思っていない。シルバーの欲しかったものを全て先に攫われてしまったとはいえ、それが全てヒビキの才能から来るものだけだとは思わなかった。
 血の滲む様な努力もあったに違いない。それを思わせるからこそ、シルバーはヒビキを目標とし、自ら歩み寄ろうと思えたのだ。
 ただ、それが分かっていても、羨んでしまう。
「…悔しくないのか」
 ミナキの努力をシルバーは知る由もなかったが、ミナキから話題を振られたのだからと問いを返した。ヒビキに憧憬を抱きつつ、それが叶う事が無いと分かっている諦観を抱えた、同胞が欲しかったのかも知れない。ミナキが是と返す事を期待しての問いだったが、しかしミナキは指で髪を乱しながら小さく笑った。
「いいや。私はこの目で、スイクンがヒビキを選ぶ瞬間を見た。あれはスイクンが私に見せたんだ。他の誰でもない、勿論私でもない、ヒビキなのだと。スイクンの意志で、私にそうしたのだ、何も悔しくなんかないぜ」
 シルバーがミナキに視線を向ける一方で、ミナキは只管に空を見上げ、眩しげな顔をしている。
 嘘だ、シルバーはミナキの言に反射的にそう言ってやろうかと唇を開いたが、寸での所で押し留めた。額で傘を作り目元に影を作るミナキは、恐らく抜けるように青い空に、スイクンを見ているのだろう。
 ミナキは、ヒビキがスイクンをボールへと納めた瞬間を見たと言った。ヒビキの煌く瞳も、キレイな内側も知っているだろう。これまでの人生の全てを掛けて愛し、追い求めていた存在に、自ら目を背けられるというのはどのようなものだろうかとシルバーは想像しようと試みたが、すぐにやめてしまった。ミナキの内側がシルバーに理解出来る筈がなく、また、酷く気分が悪くなりそうだったからだ。
 信じていたものが瓦解する瞬間など、追想したくもない。
 シルバーの隣で、それ以上話をしようという訳でもなく、ミナキは腰を下ろしたままだ。立ち上がれないのかもしれないと、シルバーはぼんやりと考えた。陽が落ちてしまうまで、まだ当分ある。
 シルバーにも、ミナキにも、どうしようもないのだ。欲しい欲しいと地に背中をつけて駄々を捏ねる年齢は、とうに過ぎてしまっていた。



END
太陽の墓


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