瑠璃色の | ナノ



 細く開けた窓の外から、ポッポの囀りが聞こえてくる。適度に鼓膜を震わせるそれに、シルバーは目を覚まして身じろいだ。秋に差しかかった最近は、すっかり夏の暑さも収まり夜は涼しささえ感じるほどであったため、窓を開けていたのだ。
 起きるにはまだ早い時間だったが、しかしベッドサイドに置いた目覚まし時計が鳴るまで、時計の長針は一周もかからない。たまには少し早く起きて、ミルを使って珈琲を挽いてもいいかもしれないと考えたシルバーはまずは体を起こそうと上半身に力を入れたが、どういう訳か身体は微塵も持ち上がらなかった。
 どういう訳か――その理由は何と言う事もない、シルバーの隣に眠っている人物、ワタルの左腕が、しっかりとシルバーの腰を抱いているからだ。
 寝返りも打てない状況に、シルバーの眉間に皺が寄る。決して不快な訳ではなかったが、何となく拘束されているような気分になり、更にワタルとの体格差をまざまざと突き付けられているような気もしたのだ。
 ワタルに悪気はないのだろうが、シルバーの身体は抱き枕に丁度いい大きさに違いない。
 目覚まし時計が鳴る前に、放してほしいからと言って起こすのも忍びなく、シルバーはしばし考え込み、そして珈琲を挽くのを諦めた。そもそも珈琲を好むのはワタルなのだ。そのワタルの為に、と思った事が、珈琲云々よりも重要であろうワタルの休息時間を奪ってしまうのは、ただの自己満足になってしまう。
 最近またワタルの仕事が増え、睡眠時間が削られていることをシルバーは良く知っていた。

 色々思考を巡らせていたためか、寝起きにも関わらずシルバーの頭は妙にすっきりとしている。もう少しだけ眠ってしまう事も出来たが、その気にもならずシルバーはワタルの腕の中で視線を巡らせた。
 良く良く見てみれば、シルバーが頭を預けているのはワタルと同じ枕である。さすがに腕枕ではなかった事に安堵したが、それでも一つの枕を二人で使っていればその距離はとても近い。胸に抱かれている所為で、シルバーの目の前にはワタルの首筋が、そして少し顔をあげると唇があった。薄く開かれた唇からは呼気が漏れ、規則正しく胸が上下している。少なからず身じろぎ、遠慮もなく観察されているというのに目を覚まさないという事は、ワタルは相当疲れているという事だ。
 ワタルの仕事内容に関して、ワタル自身それをシルバーに語ろうとはしない。何所そこに行く、これをあそこに持っていく、といった事は教えてはくれるものの、公私混同するようなものではなかった。それでも、机の上に積まれた書類がとてつもない量である事は分かる上、ワタルが時折ペンを持つ指を痛そうに擦っている事、眠い目を擦りながら書類を作成している事を、シルバーは知っている。
「……ワタル、」
 同棲している分、ワタルの様々な面をみる機会があったが、どれほどワタルが“人間”くさい行動をしたとて、シルバーから見てワタルは完璧な“チャンピオン”だった。責務を果たし、模範となる。それを実行するのがどれほど大変か――。ワタルを見ているとシルバーはまるで己の事のように苦しくなる時がある。
 小さくワタルを呼ばわり、その胸に耳を押し付けてみると、ゆっくりとした心音を聞くことが出来る。相変わらず眠気は来なかったが、そのまま腕をワタルの背に回してみると、その温かさが朝の少し低い気温と相俟って心地好く、知らずシルバーの口元には笑みが刻まれていた。
 もうすぐ、目覚まし時計が煩く時を告げるだろう。

 少しの間シルバーはワタルに寄り添い何をするでもなくぼんやりとしていたが、ふと首を捻って時計を見てみると、それが鳴り出すまであと数分も無かった。
 ジリリ、と鳴る煩く遠慮のない機械音に突如起こされるよりも、ゆっくり起きた方が良いかもしれない。そう考えたシルバーは、ワタルの肩を、胸板をそっと叩いて目覚めを促す。
「起きろよ、朝だぞ…」
 二度、三度と肩を叩くと、ワタルは薄く瞼をあげてシルバーを見遣った。覚醒していない瞳にシルバーを映すとワタルは微笑み、額に唇を触れさせてくる。
 そのままワタルは既にシルバーの腰に遣っていた左手のみならず、両の腕をシルバーに回すと痩身を強く胸に掻き抱いた。
「おはよう、」
 ワタルは背が大きいために問題ないだろうが、シルバーはワタルにこうして抱かれてしまうと顔が布団に埋もれてしまう。ワタルの挨拶が籠って耳に届き、そして幾許もしないうちに息苦しくもなり、シルバーは布団の中でどうにか拘束から逃れようと手足をばたつかせた。
 どうにかこうにかワタルの腕から抜け出し、一息ついた頃にはワタルは完全に目を覚まし、起き上がって額に垂れ落ちてくる髪を掻き上げながらくすくすと笑っている。
「おはよう、シルバー君。起こしてくれて有難う」
 目覚まし時計がなる前に起こしたシルバーの意図した所に気付いたのかどうかは知らないが、ワタルはシルバーの乱れた髪を撫ぜ、もう一度腕を伸ばしてシルバーを抱きしめた。今度はすぐにシルバーを解放し、ベッドから抜け出していつものようにカーテンを開け始める。
「…おはよ」
 何か釈然としなかったが、シルバーはそれ以上何を言うでもなくワタルに倣ってベッドから降り、目覚まし時計を止めた後に部屋の扉を開け放った。いつも通りの行動だ。
 起きて、カーテンと窓を開けるのはワタルで、先に部屋を出て洗面所やキッチンの支度を整えるのはシルバーだった。寝室を出る際に振り返ると、ワタルは少し眠たそうに眼を細め、朝の日差しと風を受けながら体を伸ばしている。
 やはり、あの時どうにかワタルを起こさない様に腕から抜け出して、珈琲を用意した方が良かったかもしれない。
「シルバー君? どうかしたかい?」
 真剣に考え込んでしまったシルバーに気付き、窓を開け終わったワタルが傍まで寄って腰を屈め、シルバーの顔を覗き込んでくる。
 その目元にも薄ら隈が見え、シルバーは少しだけ、何も出来ない己を悔やんで泣きたくなった。
「……なんでも、ない。少し眠い、だけ」
 考えても仕方がないことだ。シルバーはまだ幼い。シルバーがわざとらしく目を擦って見せると、ワタルは納得したようだった。穏やかに笑むワタルを見ていると苦しくなり、シルバーは眠いのだと己に嘘だと分かる言い訳をしながら、ワタルの胸に縋りつく。
 甘えるシルバーに目を瞬かせたワタルが、シルバーの死角で目を細めて笑った顔が、本当に幸せそうだったことを、シルバーは知らない。
 シルバーがワタルの事を考える度、ワタルを視界に入れる度に去来する胸の苦しさが、心配よりも何よりも、恋の切なさである事を知るには、シルバーはまだ幼かった。



END
瑠璃色の静脈


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