悲しいことから | ナノ



 シルバーは、空腹を通り過ぎ嘔吐感すら覚える己の胸に掌を当てながら、ベッドの上で身を丸めていた。何度かえずくが、暫く食べ物を受け付けていない胃からは何も出てこない。
 じっと動かず身を丸めている内に吐き気は去り、少し楽になると同時、今度は腰の辺りから刺すような痛みが這いあがってきた。
「う……」
 思わず声が漏れ、シルバーは慌てて口に手を遣り指を噛んで声を押し殺す。ちくちくと針で刺されたような痛みは酷くはないものの、ここ数日絶えずシルバーを苛んでいるものだ。
 そして、その痛みの原因を考えると、シルバーの思考は滅茶苦茶に乱れ、どうしていいか分からなくなる。痛みを意識しないように、と思えば思う程意識は痛みに向いてしまい、呼気が自然と荒くなる。丸めていた身を捩り、身体にかけられていた薄い毛布を蹴り、爪先でぐちゃぐちゃに乱し、込み上げてくる言い知れぬ感情にシーツに爪を立てる。知らぬ間に嗚咽が漏れ、聴覚を遮っていたせいで、シルバーは身を横たえるベッドの傍らに、気配が佇んでいるのに気付けなかった。

「シルバー君、おはよう」

 傍から見れば苦しみもがいているとしかとれぬシルバーの様子を見ても、傍らに立つ男性――ワタルは、意にも介せず普段と同じように薄い笑みを浮かべてシルバーの顔を覗きこんだ。
 その声で漸くワタルの存在に気付き、シルバーは大仰に肩を跳ねさせて見開いた瞳をワタルに向ける。何かを言おうとしても、唇ははくはくと開閉するだけで、言葉を発せなかった。そのまま動けないでいるシルバーを見、ワタルは軽く首を傾げてベッドの端に腰掛けてシルバーの額に手を伸ばす。
「可愛いな、君は」
 ワタルは暫くの間、指先でシルバーの前髪を弄び、そして汗で額に張り付いた髪をかき上げると露わになったシルバーの額に唇を落とした。腰を屈めたその体制のまま、シルバーに圧し掛かったワタルは、小さな手が無意識に庇っていた腰回りへと空いていた手を伸ばし、肌を覆っていた服を捲り上げる。
 睦言の如く囁かれた言葉に、シルバーは無言で視線を落としワタルの胸へと顔を寄せた。甘ったるい恋人達のようなその仕草ではあるが、その実は決して甘えるためではなく、今から訪れる苦痛に耐え、暴れる思考を無理矢理に押し留めてしまうためだ。
 緊張のために力が入り、震える両手でワタルの胸元の服を掴み、心臓の真上に頬を押し付ける。
 ワタルの指が腰を撫ぜ、そして脇腹に巻かれた包帯の結び目に掛かると、シルバーの足はぴんと痙攣し、それは一種の悦楽を感じた時にも似た、苦しい――狂おしい靄が腹から胸へと這い上がってきた。
 実に纏っていた寝巻の上半身は、いつの間にか脱がされている。シルバーの額に、頬に、鼻先に優しく口付けを落としながら片手で器用に結び目を解いたワタルは、そこで肌と包帯の境に指を突き入れ一気にそれを毟り取った。
「う、あ…っ!」
 強い力で腰が持ち上げられ、痛みと共に包帯一本で体が持ち上げられる。ズキ、と何かが捩じ切れるような痛みを腰に感じたと同時、頭が真っ白に明滅して痛みが脳を焼く。
 激しい痛みにシルバーの指に力が籠り、縋っていたワタルの胸板を爪で抉ったが、ワタルは全く気にした様子もなく、引き裂いた包帯を床に捨て、包帯の下から現れた痣に指を這わせ始めた。
 半円が幾つも重なって描かれたその痣は、誰が見ても歯型だと分かる。
 皮膚が赤くなっただけのものもあるが、逆に多量に出血が伴った事が分かる、瘡蓋になったものもあった。ワタルはその一つ一つに指を這わせ、時折爪でそれをくじりながら、優しい瞳でシルバーを見つめている。
 痛い、いたい。シルバーがか細く悲鳴をあげる度、ワタルは慰めるように唇を合わせ、シルバーの髪を梳いた。


 どれくらい時間がたっただろうか、ワタルの手はいつの間にかシルバーの腰から離れ、服もきちんと着せられていたがシルバーは体を起こす気にはなれなかった。
 全身を、倦怠感が包んでいる。運動をした後の心地よい疲労感とは全く違う、只管に無気力で、指先一本動かす力すら湧かなかった。
 ぐちゃぐちゃにしてしまった毛布の代わりに、全身を覆うようにワタルのマントがかけられている。まだ小さなシルバーの体にはそのマントは大きく、微かにワタルの体臭が香っていた。マントに包まったまま、シルバーは空腹を訴える腹に意識を向ける。
「………」
 数日間何も食べられていないシルバーを心配し、ワタルは流動食を作ってくると言って退室してしまった。枕に無造作に散らばったシルバーの毛髪も、きしきしと痛んで乾燥している。何か、食べなければ。お腹が空いて仕方がない。そう思うも、その焦りにまた胃が苦しくなり、喉が絞まってものを受け付けなくなる。
 シルバーの意識は、ただただ、空腹に向いていた。決して、脇腹の痛みには、触れない様に。



END
悲しいことから目を背けよう
(そうっとその双眸を塞いであげるよ!)


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