歓迎しよう | ナノ



 近年稀にみる豪雨が降っていた。雨はバケツをひっくり返したかのような土砂降りで、ざあざあなどどいう生易しいものではなく逸そばちばちと音を立てて草木を、地面を叩いている。
 加えて雷雲がたちこめる空にはひっきりなしに閃光が走り雷鳴が響いていた。
 一際目映い稲光とほぼ同時に、バリバリと裂けるような、叩きつけるような雷鳴が耳を劈きシルバーは思わず肩を跳ねさせる。ワタルのプレイベートルームのベランダに立ち、体の前面に雨を受けながら下方を見下ろしているシルバーは、手すりを握る己の手に力が入っている事に気付き溜息を吐いて手を降ろした。
 こんな酷い雨と雷は見た事がない。風が吹いていない分嵐と称していいのか分からなかったが、少なくともシルバーは生まれて初めて空を裂く稲光を目にしていた。
 眩しさを耐えて開けている目には、まるでエフェクトのような閃光が縦横に走り瞬間的に空を裂いている。
 加えて、シルバーは雷の音は一般的に言われるゴロゴロ、などというものではなくバリバリと表現した方が適切であることを知った。ゴロゴロ、と鳴るのは雷が遠くにいるときだけだ。
「レアコイル、いい加減戻ってこい」
 シルバーが立っているベランダから少し離れた空中には、シルバーの手持ちであるレアコイルが浮いている。普段ボールから出しているニューラは雷が怖いらしくボールから出るのを渋り、オーダイルは最初は雨に喜んだものの、矢張り雷に怯え自らボールに戻ってしまったのだ。
 手持ち一匹を連れ歩いた方が良いとワタルから言われていたシルバーは少し迷った後に、ボールを選び開閉ボタンを押した。小さく弾けるような音と共に飛び出してきたレアコイルは、三つの目をシルバーに向け、そして空に向け、嬉しそうに宙を浮遊し始めた。
 シルバーが自分を選んだことと、雷が激しい事を喜んだらしい。レアコイルはシルバーの周りをゆっくりと旋回した後にベランダから離れて雨に打たれる事にしたようだった。シルバーの目には、レアコイルの磁石から時折ぱりぱりと電気が散っているのが見える。電磁浮遊を覚えさせてあったかと悩んだシルバーだったが、雷を眺めぱりぱりと喜ぶレアコイルを見ている内にどうでも良くなりそのまま遊ばせる。
 それよりも、シルバーは先刻出かけていったワタルが心配だったのだ。


 シルバーに呼ばれたレアコイルは素直にシルバーの元へと戻り、その手へと体を擦り寄せる。その際、体に溜めこんだ電気が静電気となりシルバーの手を打ったため、シルバーは小さく悲鳴を上げて手を引っ込めた。レアコイルは申し訳なさそうにシルバーを窺っている。
「…いい。それよりもお前、雨が平気ならワタルの様子を見てこれるか」
 シルバーの眼下には小さくワタルの背が見えている。その隣のカイリューは、大きな岩を抱えて堤防を作っているようだった。シルバーの言にレアコイルは頷き、また宙を漂いながらゆっくりと下へと向かっている。レアコイルならワタルの元へ行っても迷惑にはならないだろうと考え、シルバーは溜息を吐いてワタルを眺めた。

 リーグはシロガネ山に程近く、標高も高い位置にあるために気象の影響を受けやすい。といってもちょっとやそっとの嵐では問題ないのだが、今回の雨はチャンピオンロードを浸水させるほどの威力だったらしく、警備員が慌てて警報を鳴らし四天皇、そしてワタルの部屋へと駆け込んできたのはつい一時間ほど前の事だった。シロガネ山には池も滝もあり、チャンピオンロードの下には川も海もある。要するに、水害を受けやすいのだ。
 貯水の許容量を超えた川や池が氾濫し、滝も増水しとてつもない量の水を氾濫した川や池へと吐き出している。セキエイリーグに勤める職員は、事務員すらも総出で浸水をどうにかすべく奔走しているが、シルバーがみる限り事態の好転は見られなかった。
 貯水が出来るポケモン――職員や付近にいたエリートトレーナーのものらしい――は僅かではあるが洞窟内に溜まった水を外へと履き出し、イツキのポケモンは念力で水を分散させたり堰き止めたりしている。力があるポケモンは岩を運んで突貫で堤防を作るらしい。ワタルのポケモンはキョウとシバと共にその作業を続けていた。
 事態は好転はしていないが、悪化もしていない。ひとえに眼下で働いている者達の頑張りだとシルバーは気付いていたが、しかし雨足は強まる一方なのだ。ポケモンも、人間も力は無限ではない。小さなポケモンは疲労の色を見せ始めているし、格闘タイプのものでさえもぬかるむ足元に体力を奪われているようだ。
 ベランダにいるシルバーには小さくしか見えないワタルの表情を覗う事が出来ない。
 そうこうしている内にレアコイルがワタルの元へと辿り着き、その前へと回りこんでいる。ワタルはすぐにシルバーの手持ちだと気付いたようで一度ベランダを振り仰いだが、シルバーはやはりその表情までを見る事は出来なかった。
 ワタルはベランダにシルバーがいる事に気付いたらしく、手を振って戻れと訴えている。要請があって出ていく時も、ワタルはシルバーに危ないから部屋にいろと言い含めた。しかしシルバーにとっては待機など気を揉む要素にしかならない。ワタルは尚もシルバーに向かって戻るようジェスチャーをしていたが、シルバーは腰に付けたボールを確認し、ベランダの手すりを飛び越え宙へと飛び出した。すぐに落下を始め、地へと近づいたためにワタルのぎょっとした顔が目に入る。ワタルが指示するよりも早く、ワタルの横でこちらを見ていたカイリューが飛び立ちシルバーの落下地点へ体を滑り込ませるとしっかりと体を受け止めた。それを見越してシルバーはベランダから身を投げたのだ。カイリューの羽根をそっと撫ぜると嬉しそうに目を細める。
 そのままワタルの元へと連れて行ってもらい、地へと足をついたシルバーを待っていたのは、ワタルの怒声だった。
「危ないだろう! カイリューが動かなかったらどうすうつもりだったんだ、それに俺は待っていろとも言った筈だ、それを、あんな、……俺は本当に肝が冷えたよ…」
 肩を掴まれ注がれた叱咤の声は大きかったが、やがて尻すぼみになって弱々しく消えていった。平然としているシルバーに、ワタルの勢いも削がれたらしい。岩を運ぶ作業に戻っていくカイリューを見送り、次いでレアコイルに労いの言葉をかけてボールに戻したシルバーは肩に置かれたワタルの手を掴み、その持ち主の目をじっと見つめた。
 しとどに雨に濡れ、体温を失いつつあるワタルの手は酷く冷たい。
「おれも、手伝うから。風がない分雨が上がるのが遅いだろ。働く人手が多い方が、交替で休憩も出来る」
 ワタルが返事をするよりも早く、シルバーはモンスターボールを放り、ゲンガーとフーディンをイツキの元へ、オーダイルをシバの元へ向かわせた。先刻は雷を嫌がっていたオーダイルだったが、比較的安全な場所であるため怯える様子もなく岩を運んでいる。
 シルバーもワタルと同じく全身を雨に打たれ、濡れ鼠だ。そんな様子を黙って見ていたワタルだったが、軅て深く溜息を吐いてシルバーの濡れた髪を撫でると一つ頷いた。
「分かったよ、じゃあ君にも協力してもらおう。ポケモンの疲労にも気を付けて指示を出すんだ。雨がやむまでここから水が漏れないようにするだけでいい。出来るなら、小さいもので良いから砂袋を運んでくれ」
 言いながらワタルは既に腕に四つ、袋を抱えている。ワタル自身、疲労も溜まっているだろうにそれでも動く姿を見てシルバーも一つ、砂の詰められた重い袋を抱え、それをポケモンたちが積んだ岩の手前に積み上げていく。
 まだまだ嵐は過ぎ去る気配を見せずにいるが、見ればワタルも、シバ、キョウ、イツキも、奥で指揮をとっていたらしいカリンも、リーグの職員も嫌な顔はしていない。
「自然は怖いよ、人間にはどうしようも出来ない。今はこうやって土嚢を積んで、少しでも土砂を緩和するくらいさ。でもね、この自然が今まで世界を作ってきたのだと考えると、そう嫌なものじゃあないんだよ」
 四つずつ袋を運んで疲労に息を弾ませながらもワタルがシルバーにかけた言葉に、周囲の人間もポケモンも笑って頷いた。汚れる事を普段は嫌うカリンも、長い髪を束ねて砂袋を運んでいる。自らボールから出てきたニューラに足元をつつかれ、シルバーも笑ってまた一つ袋を抱え上げた。ニューラとカリンのマニューラが連れ立って、氷で崩れかけた土嚢の補強に行くのを見送りながら袋を運ぶ。
 確かに、腕が疲れても休みたいとは思わなかった。



END
歓迎しよう、カタストロフィー


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -