とろけてしまいたい | ナノ



 その日、ワタルはシルバーを伴いフスベへと帰郷していた。
 帰郷と言っても何の理由があるわけでもない、ただ仕事が休みで行くところも無かったため、シルバーが普段修行をしている竜の穴へと無意識に足が向いただけの事だった。
 しかしフスベではワタルは他の街よりも人気があり、ワタル自身変装も何もしてこなかったために自ずと人目を集めてしまい、終いにはシルバー諸共大人子供関係なくトレーナーに囲まれる羽目になってしまっていた。
 これでは休息も何もあったものではない。チャンピオンという立場上トレーナー達をおざなりにする訳にもいかず、ワタルは気付かれない程度に困った顔をして――シルバーから見れば一目瞭然だったが――寄せられる慕いの声に礼を述べていたが、ワタルを囲んでいるうちの一人、あるトレーナーから勝負を持ちかけられて視線をそちらへと向けた。
 エリートトレーナーらしいその青年は、片手にボールを握り締めワタルに軽く頭を下げている。野良試合か、とワタルが口許だけで呟いたのを見て、シルバーはワタルの袖を引き行ってくるよう促した。
「良いのかい? 折角一緒に来たのに意味が無くなってしまうよ」
 チャンピオンと分かって勝負を持ちかけてきているのだ、相手も生半可な実力ではあるまいと踏んでのワタルの問いに、シルバーは頷いた。もう正午をとうに回った今、下手をすればバトルが終わる頃には日が暮れてしまうかもしれない。
「いい。お前が野良試合するところ、見たことないし」
 シルバーにまさか負けないだろうし、と挑戦的ににやりと笑われてしまえば、ワタルは拒否する理由も無かった。勿論勝ってくるよ、そう、嫌味でも過剰な自信でもなくシルバーに言うとワタルはトレーナーと向き合い適度な距離を保って目測のバトルフィールドを佩いた。
 先刻までワタルを取り囲んでいた者も、周りへと散り興味津々と言った体で傍観の姿勢に入っている。時折ワタルの後ろに控えたシルバーを不思議がる視線を向けてくる者もいたが、シルバーはてんで気にしなかった。ワタルと連れ添っている時点で、好奇の視線には慣れざるを得なかったのだ。
 それよりも。
「……?」
 ワタルに勝負を仕掛けてきたトレーナーの表情を見て、シルバーは眉を寄せた。ワタルに声をかけて礼をした時、トレーナーの口元に笑みが乗せられているのが見えたのだ。
 その笑みは純粋なものではなく、どこか裏がありそうなものに思えシルバーはじっとトレーナーを観察する。今もトレーナーは緊張の様子はあったがどこかおかしな表情だった。
 ワタルは気付いているのだろうか、シルバーは足に擦り寄ってきたニューラを抱き上げ胸に抱いた。



「三対三、ポケモンの交換はなしでどうだい?」
 ワタルが投げかけた声で場の緊張が一気に高まる。是と答えたトレーナーに続き、ワタルがボールを構えた所で空気が張り詰め、観客のざわめきも消え去った。
 これが竜の王のプレッシャーなのだとシルバーは考える。しんと静まり返った路上は、しかし両者が一体目のポケモンを出したところで驚愕のざわめきに支配された。
「ガブリアス!」
「…行け!オニゴーリ!」
 ワタルの出したポケモンに対し、相手はこれ以上なく有利だったのだ。観客はワタルが相手に何もさせず完封する、“チャンピオンの実力”を出す試合を期待していたのだろう。
 それがオニゴーリによってワタルの不利になったことで戸惑っているらしかった。シルバーも、実際はワタルが瞬く間に勝ってみせるだろうと思っていたのだ。
 シルバーは唇を噛む。トレーナーが意味深に笑っていた理由が分かったからだ。きっとトレーナーは氷タイプの使い手なのだろう。そうであったからこそ、偶々会ったワタルに勝負を持ちかけたのだ。自分が勝てる事を、期待して。
「氷タイプか。良いね、面白い」
 ざわめく周囲を気にもせず、ワタルは言うとガブリアスに指示を出すべく手を上げた。ガブリアスもタイプの不利は分かっているらしくワタルを振り返り一度頷いて見せる。
「しっかり狙え。…ドラゴンダイブ!」
 バトル独特の空気が再度周囲の言葉を奪う。ワタルが仕掛ければ相手は守り、相手が仕掛ければワタルが躱す、といった勝負が繰り広げられていたが、ワタルのガブリアスは攻めあぐねていた。近付いてしまえば相手に氷技を打たれてしまう。しかし遠方からの攻撃では、みきりやまもるで防がれてしまうのだ。
 ワタルは一切表情を変えていなかったが、逆にトレーナーの余裕の顔がシルバーの癇に障る。決して卑怯だ、とは言えなかったが、チャンピオンであるワタルが苦戦しているという事実は周囲を不安にさせるに十分であった。
 意外と強くないのか、負けるのでは、そういった囁きがシルバーの耳を刺す。固唾を呑んで大勢がバトルを見守る中、遂に冷凍ビームの直撃を受けたガブリアスが地に伏せ、重い音と共に土煙を上げた。
「ガブリアス、戦闘不能!」
 誰かが買って出たらしい審判の声が響く。その瞬間音が消え、すぐにわっと観客が沸いた。トレーナーがワタルから黒星を奪って予想外だと面白がる者、チャンピオンのポケモンが倒された事に嘆く者と様々であったが、ふとシルバーは首を傾げた。
 じっと試合を見ていたニューラもシルバーを仰ぎ見、同じく首を傾げる。きっと、恐らく、ワタルは。

 ガブリアスを戻したワタルは、一体目を倒されたというのに笑んでいた。先刻まではバトルに際しての真剣な表情のみであったが、真剣味を残しつつ口角が僅かに釣られている。
 シルバーの腕の中のニューラが、ワタルを目に映しびくりと震えてシルバーの胸へと縋り付いた。シルバーもただワタルを見つめる。ワタルの表情を、シルバーは見たことがあった。それは チョウジのロケット団のアジトでポケモンを悪事に使う者に制裁を加えた時、チャンピオンルームでヒビキと戦っている時、そして最近はシルバーと練習試合をする時。どれも、ワタルがチャンピオンや竜王と呼ばれるに恥じぬ、全力の戦いをする時の表情だった。
 ワタルからの圧迫感に相手のトレーナーが気付き一歩後ずさる。それでもタイプの有利を確信しているのだろう、ほぼ無傷のオニゴーリを嗾けワタルの次鋒を待っていた。
「チャンピオンのポケモンを、見せてあげるよ」
 ワタルの手から放られたボールから、雄叫びと共に竜が空へと舞い上がった。凶竜の称を持つギャラドスが滑空してオニゴーリと睨み合う。オニゴーリはギャラドスの威嚇に怯んだが、バトルが再開すると即座に体内に氷のエネルギーを溜め始めた。
 きっと冷凍ビームを撃とうとしているのだろう、ギャラドスには飛行も入っているために当たれば少なからずダメージとなる。
 しかしギャラドスは冷凍ビームが放たれても、頑としてその場を動こうとしなかった。
「避けるな、竜の舞だ!」
 ワタルの指示が飛ぶ。避けなかったギャラドスに氷が纏わりつき動きを封じたが、それを物ともしない力を持っているのだろう、宙を泳ぎ力を高めながら氷を振り落とす。
「オニゴーリ、冷凍ビーム!撃ち落とせ!」
 トレーナーが避けないギャラドスに幾度も攻撃を当てる。放たれる行為力の氷はその度ギャラドスの鱗を削ったが、それでもギャラドスは墜ちる事はなかった。


 まるで次元が違う。シルバーは先刻までワタルが不利であった事を、もう覚えていなかった。
「…ワタル、」
 空を舞う竜と、真剣な表情で指示を出すワタル。ギャラドスが倒せず喚くトレーナーなど目に入らない。シルバーはただ、ワタルから目が離せず呆、とその姿を眺めていた。
 風に靡くマントも、ピンと伸びた背も、鋭い眼光も、ワタルの総てがシルバーを惹きつけて離さなかった。
 無意識に唇に名を乗せる。ダブルバトルの数週間後、竜の穴で初めてワタルと一対一の真剣勝負をし、強さを見せ付けられた時のような高揚が強くシルバーの胸を締め付けていた。
 上へと掲げられていたワタルの手が、相手に向けて振り下ろされる。オニゴーリの攻撃でギャラドスはあちこちに傷を負っていたが、それでも一度咆哮すると、オニゴーリに向けて体をくねらせ一気に突進していった。
「滝登り!」
 そこからはもう、相手は成す術が残されていなかった。オニゴーリに滝登りが直撃すると、ほぼ無傷だったはずのそれが地に伏せる。相手が歯噛みして次のポケモンを繰り出すが、それもギャラドスに一撃で倒された。三匹目も、また。
 相手の手持ちがいなくなり試合に終了が告げられる。観客は耳を劈かんばかりの歓声をあげ相手もどうしようも無かったのだろう、悔しそうな、それでもチャンピオンと戦ったことが誇らしくもあるのか複雑な表情でボールを腰に着け、ワタルに握手を求めた。
「良い試合だったよ。…確かに俺のポケモンは氷タイプに弱いけれど、弱いものをそのままにしておくことはしない」
 ワタルの言に相手も頷く。そのまままたワタルは多くのトレーナーに囲まれ賛辞されたが、シルバーはそんなワタルに近付くことなくニューラをボールに戻すと、上着の胸の辺りを握り締めた。
 高揚と切なさが、シルバーの胸を支配していた。


 暫く経つと徐々に人も掃け、路上にはワタルとシルバーが残される。人々から解放されたワタルは離れた所からじっと自分を見つめるシルバーを無言で見ていたが、やがてふと笑みを浮かべてシルバーの元へと歩を進め、夕陽に染まった頬を撫でた。
「シルバー君」
 ワタルに名を呼ばれ、シルバーは瞳を揺らす。普段ならば外でこういう事をするなと頬に当てられた手を振り払うというのにそれもしないまま、視線を右に、左にと彷徨わせ、結局再度ワタルへと戻す。
 ワタルがそのまま背を屈めてシルバーの額へと唇を落とすと、シルバーはワタルの胸へと顔を埋め背に腕を回してぎゅうとマントにしがみ付いた。訳も無く全身が震えていて、シルバーは己の体を叱咤したが震えは止まらず、また普段ならば絶対に外でワタルに甘えたりなどしないのに、自分の行動も止めることが出来ずにいた。
「ワタル…。ワタル、ワタル」
 ワタルはぎゅうぎゅうと抱きつかれながら、シルバーの耳が夕陽の赤ではなく血液で赤くなっている事に気付きくすくすと笑みを漏らす。その所為でシルバーに一度背を叩かれたが、それでもワタルは笑い続けてシルバーを抱き返した。
「惚れ直した?」
 唇をシルバーの赤い耳殻に近付けて笑みを含んだ声で問うと、肩をびくりと震わせてシルバーが羞恥と憤りが混ざった目を向けてくる。それを意ともせずにワタルは首を傾けてシルバーの応えを待つと、陽がまた角度を鋭くした頃に、微かに是の返答が返ってきた。
「ふふ、そうか。嬉しいな」
 恥ずかしくて恥ずかしくて胸に顔を埋めてしまったシルバーには分からなかったが、ワタルの目元も微かに朱に染まっており、その表情は嬉しげに緩んでいる。一度シルバーを抱きしめる腕に力を込めた後にワタルは腕を解き、シルバーも漸うワタルから離れたが、ワタルがその手を取り指を絡めた。
 シルバーがワタルを仰ぎ見ても逆光で顔が覗えない。
「ポケモンセンターに行かないといけないからね。そこまで、このままで良いかい?」
 シルバーは繋がれた手を見、そしてやはり見えないワタルの顔を仰ぎ見、逡巡したもののこくりと頷いた。

 道すがら、先のバトルについて反省点をワタルがシルバーにぽつぽつと語り、シルバーもまたワタルにバトルのコツを問うていたが。
「お前、ギャラドスを出すためにわざとガブリアスを下げただろ」
「…さあ?」
 暫くの間、話題に困ることはなさそうだった。



END
とろけてしまいたい?


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -