悲しみなんて知らない | ナノ



 なぜ、こちらをむいてもらえないのだろう。


 竜の穴で予期せぬ一戦を交えヒビキとシルバーが勝利を飾って見せても、その眼はシルバーを映さなかった。ヒビキ君、そう傍らの存在にかけられた声がいつ自分の方を向くかと微かに胸を躍らせていたシルバーは去っていく彼――ワタルの背を見つめた。いっそ射殺さんばかりに視線をぶつけ続けても遂ぞワタルは振り向かず、シルバーは唇を噛む。
「シルバー?どうか、した?」
 勝利に沸いたのは一瞬のこと、すぐに険しい顔をしたシルバーをいぶかし気に覗き込むヒビキを軽くあしらい、彼は踵を返した。強く握りしめたボールの中で手持ちが小さく体を揺らしたが、構う事が出来ない。こんなところがあいつに見てもらえない事に繋がるんだろうかと思案し、シルバーはふ、と息を吐く。その拍子にじわりと視界が歪んで慌てて袖で強く目元を擦った。

 あの時は、悪かったね。ワタルがそう言った時からシルバーはきつく手を握り締めて、奥歯を強く噛み締めて零れそうになる何かを堪えていた。
 泣く、なんてみっともないし、それ以上に口を開いてしまえば何かが堰を切って溢れ出てしまいそうで、シルバーはバトル後、ワタルとその連れがいなくなるまで無言を貫いた。
 何も言わないシルバーをワタルは歯牙にもかけずただ負けたというのに嬉しそうにヒビキに声をかけていた。頭の中で何度でも繰り返される一連の出来事に視界が揺れる。立っていることが出来なくなって思わずしゃがみこんだが、どうやら思いの外遠くまで歩いていたらしくヒビキからはとうに見えなくなっているようだった。地面に置いたボールの中からオーダイルがこちらを見上げているのに気付いてシルバーは自嘲の笑みをそれに向けた。
「…悪かった、だってよ」
 どんな反応をするべきか迷っているらしいそれをボールごと数度軽く撫ぜ、腰に戻す。まだ、立ち上がれそうになかった。
 悪かった、そう謝罪をされても受け取ることが出来ない。シルバーはシルバー自身を変えるきっかけを作ったのがワタルという存在だと認識していた。あの、ロケット団アジトで完膚無きまでに叩きのめされて、戦い方とポケモンへの接し方にきつい言葉を突き付けられて、でもそれが正しいことだと認識したからこそ、シルバーは少しだけでも自分の在り方を変えてみようと思ったのだ。しかしそれを悪かった、の一言で覆された。

 謝るのは、悪いことをしたとき。
 悪いことは、間違っていること。
 だったら、

 勝っても負けてもなけなしの勇気を振り絞って礼を言うつもりだったというのに。そう思い返してシルバーは今度こそ溢れ出てくる涙をこらえられずにぼろぼろと地へと落とした。主人の異変を感じ取ってかたかたと腰のボールが揺れる。
 うるせえ、力なくそれを叱ってシルバーは口元を両手で押さえる。持て余す感情が胸の内を巡り、ともすれば吐瀉してしまいそうだった。
 彼に自分と繋がりを感じてしまっていたのは確かにこちらの勝手ではあったが、彼からは何も――叱咤されたという事実さえ容易く消してしまえる程興味を持たれていなかったのだ。
 あの背中に手を伸ばし続けて、いつか追いついてやろうと意気込んでいた自分が急に滑稽に思えてシルバーは泣きながら笑った。
座り込んだ足は、立ち上がる素振りさえ見せなかった。


END


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