スーパーマンは | ナノ




 自分の近くを他者が通る気配を感じ、ふっと意識を浮上させたランスは己が眠ってしまっていた事に気付き唇を噛んだ。

 ラジオ塔で下っ端から幹部までが散り散りになって、暫く。今まで手出しが出来ずにいた分、躍起になって幹部を捕縛しようとする警察から逃れるばかりの生活を送っていたランスは、食料の調達をする時間も、それどころか足を止める時間も殆ど無いまま宛ても無く放浪し続けていた。
 もし僅かな時間でも一所に留まって、そこで足がついてしまったら。空腹のまま疲れを抱え逃げ続ける苛酷さに、幾度ももう諦めてしまえと脳裏を甘言が過ぎったが、それでもランスは歩き続けた。
 ロケット団が解散宣言をするほんの直前。ランスの耳は、無線から漏れた小さな声を確かに拾ったのだ。それは意図して放たれた言葉ではなく、声の主の無意識の決意だった。
『サカキさまの居場所を、潰してなるものですか』
 それまではどこか諦めたような声音でそれぞれの配置についていた幹部からの撤退報告を受けていたというのに、アポロのその声はやけに鮮明にランスの耳に焼きついた。それを聞いたからこそ、幾ら盛大にジャックしたラジオから解散宣言がなされようと、顔を合わせる事もないまま幹部が散り散りになり連絡をつける事が出来ない状況下にあろうと決して捕まるまいと逃げているのだ。
 他の幹部も、アポロの声拾った筈、幹部さえいればロケット団は再建できる。わざとらしい解散宣言はブラフなのだ。まだ。居場所は作る事が出来る。ランスは呪詛のようにそれを己に言い聞かせながら歩いていた。
 幾日、経ったろうか。目は霞み、思考も働かない。ただ歩き続けなければ、それだけの意識で辿りついた先は、ランスにとって思いも依らない場所だった。


 彷徨い歩いていた期間は悠に二週間を超えていたらしい。心身ともに限界を超えていた所をとある男に“保護”されたランスは、それから幾日か経った今も寝かされたベッドから起き上がる事が出来ずにいた。
 上質な物と分かる心地よいベッド、無理なく与えられる食事、手厚い看護。しかしランスが心を落ち付けられるはずがない。
 ランスを保護し匿っているのは誰でもない、ロケット団を壊滅に追い込んだ張本人であるワタルなのだ。
 何故、仇の手で保護され施しを受けなければならないのか――。ほぼ意識がなかったとはいえ、フスベへと辿りついてしまった己をランスは酷く憎んだ。
「起きたかい、眠れたようで良かったよ」
 物思いに耽っていたランスは、頭上から降ってきた声に我に返り視線を上げた。そうだ、何故先刻ランスが起きたかと言えば人の気配がしたからである。そしてここはワタルの私室。であればその人、は、ワタルしかいなかった。
 飛び起きてすぐにでも逃亡してしまいたい思いとは裏腹に、動かせない体はランスを無防備にさせている。ワタルはベッドの前に据えた椅子に腰かけ、ベッドサイドのテーブルに何か乗った盆を置いたようだった。ランスの額に張り付いた髪を撫でるワタルの手を、ランスは辛うじて動く腕を持ち上げ払い除ける。ワタルの行動は全てが不審に思えてならなかった。
 乾いた音と共にランスの手には肉を打つ感触が響いたが、ワタルは素直に手を引っ込めたのみで特にランスを咎めようとしない。
 叱咤されることを期待していた訳ではないが、こうも反応がないと逆に違和感が募り、ランスは視線だけを動かしてワタルの様子を窺った。眼球を横に滑らせ、ワタルの顔が視界に入る。
「…っ!」
 ランスはそのまま視線を動かせなくなった。ワタルは、じ、と瞬きもせずにランスを見ていたのだ。暗い血色の瞳がランスを見つめている。言い知れぬ恐怖を感じ、唇を戦慄かせたランスにうっそりと笑い掛け、ワタルは手を伸ばしてその顎を強く掴んだ。
「何故俺が君を匿うのか分からない、という顔をしているね」
 ランスは痛みで顔を歪める。長くはないが、指を超えるほどにはあるワタルの爪が皮膚を刺し薄皮を抉った。ランスがベッドから動いていないように、ワタルも椅子に深く腰掛けたまま体は動かしていない。ランスは己の体を叱咤し動けと念じたが、意に反し横たわった体はぴくりとも動かなかった。それでもランスはワタルをきつく睨みつけ、低く呪詛を吐く様に唇を震わせる。
「当たり前、でしょう…! 貴方自身が、悪を嫌いロケット団を滅ぼした…!!」
 ロケット団基地やラジオ塔に直接乗り込んできたのは幼い少年だったが、ランスはその少年の裏にワタルの姿があった事を知っていた。そもそも、幾らバトルが強くとも少年が単独で悪の組織の中枢部に乗り込める筈がない。背後にワタルと言う権力的な存在が付いていたからこそ、少年“一人の”力でロケット団が壊滅にまで追い込まれたのだ。
 目は鋭い眼力を湛えているというのに口角は吊ったワタルの笑みが、監視カメラの映像で見た、チョウジのアジトを叩きのめすあの日のワタルの笑みと重なる。カメラに気付いていたのだろう、去り際にわざわざレンズを見上げて悠然と笑ったワタルの顔と、今ランスの顎を絞め上げながら笑う顔は全く同じだった。
「こうして匿っているうちは、誰も君を見付けられない。君は回復しない限り、此処から出られない」
 ワタルの片手がサイドボードを這い、そこに置かれた水差しを取る。ワタルから視線を離さずにいるランスは未だ気付いていなかったが、水差しの中に入れられている液体はどろりと濁った赤色をし、酷く甘ったるい異臭を放っていた。
 ランスが今し方払ったワタルの手が、再度伸ばされランスの頭を支えている枕の横へと掌を置き、次いでワタルが手を追ってランスへと半身を覆い被せる。ワタルの瞬き一つしないまま開かれている瞳が近づいてくるにつれ、ランスも目を閉じる事が出来なくなった。近付くにつれ少しずつ少しずつワタルの虹彩が大きくなり、ランスの目もそれにつられて大きく開かれていく。開いたランスの瞳は表面が鏡となりワタルを一杯に映していた。
 そのまま金縛りにあったかの如く指先一本動かせないランスの口に水差しがあてがわれ、ワタルの手がそれを傾けると中身はランスの喉へと流れ込んでくる。水差しいっぱいまで満たされた液体を、絶えず口内へと送られたランスは弾かれた様に目を何度も瞬かせ、首を捻ってワタルに抗った。気管に侵入したそれに噎せ返り、えずくと同時に幾許かを飲み込みまた噎せる。ランスの顔とシーツは血のように赤い液体に塗れ、汚れていった。
 焼けつくような喉の痛みにひゅうひゅうと掠れた呼吸を繰り返すランスの口元をタオルで優しく拭いながら、ワタルは口を開く。
「そして君は、回復しない」

 ランスの瞳が、ゆっくりと閉じていった。



END
いくら呼んでもスーパーマンは来てくれない


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