首の皮一枚残して、 | ナノ


 冬の到来も近い、ある朝の事だった。
 ワタルのプライベートルームの内の一室、寝室の窓に掛けられたカーテンから射し込む朝陽は、優しく室内を照らしている。
 朝の六時にセットされた目覚まし時計が鳴る少し前、シルバーは心地良い眠りから引き上げられ数度瞬いた。
 規則正しい生活を心掛けている最近は、目覚ましがなくとも決まった時間に起きれるようになったのだろう、然程眠たいと思うことはなかったが、それでも瞼に重たさを感じ、シルバーは布団の中から右腕を引っ張り出して瞼を擦る。
 シルバーはそのまま無意味に瞼を開閉させてみたり、指で眉間を揉んでみたりとぼんやり時間を潰していたが、ふと思い立ち時計のアラームを解除した。シルバーの背後、今はその姿を見る事が出来ないが、同じベッドで寝ているワタルの事が気にかかったのだ。
 別段六時に起きねばならない用事も決まりもなく、最近多忙なワタルをもう少しだけ寝かせてやろうかと思っての行動である。
 朝晩肌寒くなってきたこの時期の、寝起きの布団の中は二人分の体温で柔らかな温度をシルバーに齎している。もう少し、もう少しだけ眠っていようとシルバーは再度目を閉じベッドに身を委ねたが、しかし一度覚醒した体に、中々睡魔は訪れてはくれなかった。
「………」
 眠りたいのに眠れないことで逆に不快感がつのり、シルバーは嘆息し瞼を持ち上げる。こうしてぼんやりと暖かな布団を楽しむのもたまには良いかもしれない、そう考え、シルバーは体をゆっくりと反転させワタルの方へと向き直った。


 その朝、ワタルがその時間に目覚めたのは偶然だった。隣で眠っていたシルバーが寝返りを打ち、枕が大きく撓んだ際にその揺れで目が覚めたのだ。
 最近はバトルも目を通さねばならない書類も多く、予想外に疲れが溜まっていたらしい。恐らく耳障りに目覚ましが鳴らない限り、一度や二度名を呼ばれても覚醒出来なかったに違いない。普段起床する時刻になったからこそ、習慣付いた体が起きねばと無理矢理に覚醒の糸口を作ったのだろう――ワタルはそこまでを夢現で考え、そこで何故目覚まし時計が鳴らないままなのかと疑問を抱く。
 眠気で瞼は未だ開かなかったが、聴覚はしっかりと働いていた。寝返りを打ったらしいシルバーの呼気は深いものではなく、どうやら起きているらしい。であれば、アラームはシルバーが止めたのだろう。
 ワタルに寄り添い体を横たえているシルバーの体温が心地よく、ワタルはまたうとうとと微睡み始める。予定していた起床時刻を過ぎていることは、今はどうでも良かった。
 そのまま体が沈んで行くかのような眠りに浸っていたワタルであったが、ぎし、とベッドが軋む音に意識を浮上させる。ワタルより先に起床していたシルバーが、布団を持ち上げ上体を起こしたのだ。ただ、その動きは控えめで、ワタルを気遣っていることが分かる。
 シルバーはワタルが眠っていると思っているに違いない、要らぬ気遣いをさせないためにももう起きてしまおうかと思ったが、ワタルの体は意思に反し、目を閉じたままだった。
 意図して、呼吸すら寝息のような深いものを演じてさえいる。惰眠を貪りたい欲と、シルバーの動向が気にかかる二つの思いが、ワタルの脳裏を占めていた。

 元来ワタルは、他者の気配に敏感な性質である。ポケモントレーナとなり、チャンピオンになってからというもの、それをバトルに生かすために修業を積んだ結果、ワタルは目を閉じていても大体の気配は感じ取れるようになっていた。
 ベッドに手をつき上半身を起こしたシルバーは、そのまま動かずじっとワタルの顔を覗き込んでいるらしい。然程広いベッドでもない為、シルバーの呼吸が僅かに頬を擽った。
 自分の寝顔――実際は起きているのだが――を見られるのは、どこか気恥ずかしいものだとワタルは内心苦笑した。ただ、シルバーよりも先に起床した日には、ワタル自身今のシルバーと同じ行為をしている為、文句の一つすら言えない。ワタルの顔をただ見つめ、シルバーが何を思っているのか聞いてみたい気持ちもあったが、ワタルはこの状況を楽しむことに決めた。
 色々と考えている間に、眠気はすっかりと醒めていた。
 暫く微動だにしなかったシルバーの気配が動き、腕が伸ばされる。シルバーの指先が、枕に散ったワタルの髪に触れたのが、今度は気配でなく感覚で以て感じられた。
 そのままシルバーの指は気紛れにワタルの髪先をつつき、摘み、さりさりと髪同士を擦り合わせている。
 もう一方の手が遠慮がちに寝間着を纏うワタルの肩に触れ、そこに頬を寄せてくるのも分かる。シルバーの気配はワタルを起こさないようにと気を配っているからかどことなく緊張感を孕んでいるものの、穏やかだった。
 きっと、その表情も少し笑んでいるに違いない。そう思いを巡らせたワタルの胸中に、重苦しさに非常に似た愛しさが去来する。
 シルバーと共に過ごすようになってからというもの、シルバーを愛しいと思う度に、ワタルの胸には鉛のように重い感情が積もり重なっていった。それが俗にいう“恋愛感情”だと分かった時に、ワタルはそれを苦だと分類した。
 重苦しい感情は、ワタルの首を絞めるように息を苦しめたのだ。それだけでなく、ワタルはその立場上、シルバーを想うことなど到底出来なかった。
 相手は子供で、性別も同じであり、挙句――。シルバーは決して自ら語ろうとしないが、その出生などワタルには調べるに容易い。
 ただ、そうして様々な理由をつける間にも、シルバーへの関心は高まっていくばかりだった。
 “血統書付き”の、ただの子供だった筈だ。それが、いつしかシルバーはワタルのプライベートルームに出入りするようになり、更にはただの知り合い、友人などという言葉では留まらぬ仲にもなってしまったのだ。
 己の中に深く入り込んできたシルバーにワタルは苦悩し、そして一時はシルバーを引き離そうともした。大人と、そしてチャンピオンという立場をふんだんに使った言い訳で、シルバーに離別の道を回りくどく勧めたのだ。まるであの日のあの場に戻ったかのように、感覚すら鮮明に思い出せる。
『そうやって馬鹿みたいに悩むなら、今この場でおれを捨てろよ!』
 吐き出すようなシルバーの言葉と、震える両の拳で胸倉を掴まれた感覚は、シルバーと共にいる限り、ワタルの中から消えることはないだろう。


 ワタルの肩に顔を埋めたシルバーは、軈て落ち着く場所を見つけたようだった。
 未だ、ワタルが起きているとは露ほどにも思っていないらしい。シルバーは指先でワタルの髪に触れ、頬に触れ、安堵したように小さく息を吐く。
 寝乱れたシルバーの髪と、瞬く瞳の睫毛に首筋を酷く擽られ、そして錘が乗った胸に心臓が潰れてしまいそうなほどの重石を加えられ、遂ぞワタルは耐え切れなくなり一挙動で跳ね起きシルバーの身を掻き抱いた。
 背丈が大きく違う体は、ワタルの腕の中にすっぽりと納まってしまう。
 時計の秒針が時を刻むごとに圧し掛かる胸の重みは苦しいが、それすら今は愛おしかった。胸板に顔を押し付けられたシルバーが、ぎゃんぎゃんと罵詈雑言を吐き出しワタルの腕の中から逃れようと必死でもがくのが可笑しくてたまらない。
 知らずと込み上げてくる笑いに背を震わせながら、文句の止まらぬシルバーの腕がしっかりと己の背に回されていることに気付き、ワタルはそのまま一頻り笑い転げながらシルバーを腕に閉じ込め続けていた。



END
首の皮一枚残してどうするつもりなんだ!



*ネタ提供:黒沢さま
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