トルソーとお茶会 | ナノ
夏の観覧車ヒロナツ×メイ。


 観覧車は好きだけれど、耳障りに軋む古びた鋼鉄の音も、好きだった。
 何とは無しにライモンシティに足を運んで、目的もないまま遊園地に行くと、そこには決まって誰かがメイを待っていた。
 初めて会うトレーナーであったり、旅をサポートしてくれた先輩トレーナであったり、幼馴染であったり、そして、メイの与り知らぬ何かを抱えた、綺麗な緑色の髪をした青年であったり。
 彼らは皆、メイと二言三言会話し、バトルをし、そして二人乗りの観覧車に乗ろうと誘ってくれる。
 観覧車は好きだったから、メイは決まってそれに肯定の返事を返した。他に邪魔するのものの無い、時間制限のある現実離れした空間の中では、皆、正直だった。
 
 メイは今日も、観覧車に乗っていた。
 普段ならば、気が向いた時や時間を持て余した時にしか訪れない遊園地に、ここ数日毎日のように足を運んでいるのは、偏にメイの目の前に座る、サラリーマンの為だ。
 ヒロナツと名乗った彼は、負けると分かってメイとバトルをし、そしてつまらない事に付き合わせてしまった詫びにと、メイを観覧車へと誘う。
 バトルなんてしなくても観覧車に乗ると言ってみても、ヒロナツは薄く笑ってハトーボーを繰り出すだけだった。きっと、メイを観覧車へと誘う大義名分が欲しいのだろう、そして大義名分なしにこの観覧車に乗るなどと、彼自身が許さないのだろう、メイはそう勝手にヒロナツを理解し、バトルをする。
「…煩い、」
 ぎいぎいと軋む観覧車が頂点にさしかかる頃、ヒロナツは毎日の様にそう言った。彼の会社のこの観覧車は、塗装こそ何度も塗り直しそこそこの外観を保ってはいるものの、随分の間回り続けてきたらしい。少しの風に煽られただけで泣くように軋む金属の音を、しかしメイは心地良いとすら感じていた。
 まるで、祖父の腕に抱かれた様な、言い知れぬ安堵感を齎してくれる。それを誰かに言った事はないし、言って理解してもらえるとも思わなかったが、だからメイはこの観覧車が好きだった。
 高度が上がれば上がる程、さんさんと降り注ぐ陽光の恩恵も増して、窓が開かない籠の中の室温は酷く高まる。首筋に汗が流れるのを感じ手を遣ると、メイの動きに気付いたらしいヒロナツが、窓の外に向けていた視線をメイへと寄越した。
 そのままじ、とメイに視線を据えたヒロナツは、緩慢な仕草でネクタイを緩めて溜息を吐く。
「氷タイプのポケモンでもいれば、良いかもしれないな」
 メイは、ヒロナツという固有名詞を持ったこの男性も好きだった。
 ヒロナツは、バトルをしていても観覧車に乗っていても、決してメイの事を聞こうとしない。ヒロナツの口から出る言葉は、いつも愚痴であったりヒロナツ自身の事であったりと、一方的だった。
 口数が少なくはないが、多くもないヒロナツから、ヒロナツ自身を理解しようと、メイはいつもじっと、ヒロナツが話すのを待っている。
 メイはいつもそうだった。旅の途中、分からない事ばかりがメイに覆い被さってきたが、メイはじっとそれらを見、聞き、理解した。ただ、理解出来れば良い、そうすれば自ずとメイに出来る事が見えてくる。
 受け身過ぎると、少しだけ口がきつい幼馴染に揶揄された事もあったが、ではメイに何が出来ると言うのだろう。特別な能力などある訳ではなし、メイはただのそこら辺にたくさん転がっている少女の内の一人に過ぎない。
 だから、メイは人一倍理解しようと努力し、道を切り開いた。
「何故、飽きもせずに君と観覧車に乗るのかな。いや、つまらないよ、飽きる飽きない以前に、僕はコレが嫌いなんだ、煩わしい。でも、毎日君とコレに乗る…毎日同じ景色を眺めて、毎日煩いと感じてきっと僕は明日もまた君を待つんだろう。何故だろうね」
 ヒロナツの言葉は、問いかけでなく独白だ。メイに答えを求めている訳ではなく、纏まらない考えを取り留めもなく口に出しているだけだ。メイは会社というものでどのように仕事が行われているのか余り知らないが、今のヒロナツのように意味もない自己問答が出来る場で無い事は分かっている。
 ヒロナツが思うがままに言葉を並べるのは、この観覧車の中だけなのだろう。メイは少しだけ優越感に似た感情を抱き、そして嬉しくなる。
「そっちに行って良いですか」
 メイはヒロナツの返事を聞かず、不安定な床を踏みしめ体面に座るヒロナツへと一歩、踏み出した。ヒロナツがメイが話を聞いているかどうか気にしないのはいつもの事であるため、メイもヒロナツの返事を気にしなかった。
 問いかけの形を取った宣言と共に、観覧車のガラスに頬杖をつくヒロナツの隣に腰を降ろしたメイに、ヒロナツは瞠目する。
 元々二人で乗り、向かい合って座るよう設計されたこれは、一座席の幅は大きく作られていない。ヒロナツが窓際に寄って座っていた為にほんの少しだけ作られた隙間にメイが入ったのだ、自ずとヒロナツとメイの身体は触れ合い、互いの体温すら分かる距離にいた。
 重心が偏り、ぎいい、と観覧車が泣く。
「…もっと、警戒心を持った方が良いよ」
 室温の高い個室で、更に密着しているのだ、ヒロナツの首に汗が浮き上がり、首筋を伝ってワイシャツへと吸い込まれていく。観覧車が地上に着くまで、まだ少しだけ時間があった。我に返ったヒロナツは、メイの行動に眉根を寄せて嘆息する。
 世間知らずの子供を窘める声音を作りながら、しかしヒロナツはメイの首筋に指を伸ばし、ヒロナツと同じ様に雫となった汗を指先で拭った。
 メイの視界の端で、汗に濡れたヒロナツの長い指先が煌く。メイは、ヒロナツの顔が、ゆっくりと近付いてくるのに気付いていた。汗ばんだ首を大きな掌で後ろから支えられ、メイの逃げ場が奪われる。
 ヒロナツの眉間に刻まれた皺が更に深くなり、目付きが険しくなったのが、近過ぎて焦点の合わない視界にぼんやりと映る。メイは、瞬きもせずにじっと、ヒロナツを見つめていた。
 薄く開かれたヒロナツの唇の、微かな呼気がメイの頬を擽る。
 籠が重心を探して酷く不安定に揺れ、メイは支えを求めてヒロナツのスーツに手を伸ばした。伸ばした左腕は簡単にヒロナツに届き、手首に付けたCギアと、スーツの釦がカツンと触れる。
 ぎい、ぎいい、観覧車が高度を下げていくにつれ、錆が所々を侵食する鋼鉄の軸と籠の接続部分が軋み、尾を引くような泣き声が耳に刺さる。
 首筋に当てられた掌が熱く、汗が流れる。スーツを掴むメイの手が微かに震えていたが、メイ自身、その理由は分からなかった。
 籠が乗降口に降りるまで、ヒロナツとメイは、それ以上動かなかった。



END
トルソーとお茶会


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -