グリーングリーン | ナノ


俺がこの子に出会い、そして愛し愛しむことになったのも、この子が俺にまみえ、心を許してくれたのも運命だったとしたら、俺がこの残酷ともいえる事実をこの子に伝えるのも伝えないのも俺任せの運命と言えるのだろうか。


 三年前に壊滅したはずのロケット団が一時的とはいえ復活を果たしたことは、ぬるま湯のような平和に浸っていたポケモンリーグのお偉方に衝撃を与えたらしい。
三年前も今回も、チャンピオンを凌ぐほどの実力を持った協力者がいたから事件は解決できたが、二度あることは三度あるという。
 次、また何かあった時に都合よく協力者が現れるとは限らないのだ。ならば事件を繰り返さないよう未然に防ごうと、ジョウト、カントー関係なく各地に使節が送られ何かないかと定期的に見回るようになった。
 俺はその使節に加わることはできないが、立場上情報は全て回ってくる。その中で、俺はそれを口外するべきか否かを未だに迷う、云わば秘密を一つ、抱えている。


「ワタル、…ほら、珈琲」
 机に向って書類を捌いていた筈の俺が、一枚の書類を手に取りそのまま黙り込んでしまったのを不信がったらしい彼――シルバー君に呼びかけられ、俺は慌てて書類を机の引き出しに押し込んだ。
 思いの他シルバー君は近くまで来ていたらしく、ぐしゃりと鳴った紙の悲鳴が聞こえたのだろう、盛大に眉を顰めて溜息を吐かれてしまった。
 彼が湯気を立てる珈琲が入ったカップを右手、左手と持ちかえ熱そうにしていたために先に受け取り、そこで漸く俺は彼の反応に対し苦笑を浮かべて見せた。子供にたしなめられる大人らしく、上手く笑えているだろうか、自信がない。
「そんなに隠さなくても見たりしねえよ、おれだってアンタが扱うものがどういうものかぐらい、分かってる」
 どうやら表情を作ることには成功していたらしい、呆れたように笑ったシルバー君はカップがなくなって手持無沙汰になった手で腕組みをしてみせた。そうだね、ごめん。俺も笑って彼が淹れてくれた珈琲に口をつける。
 彼は珈琲を淹れるのが上手い。以前それを褒めたら小さく、オヤジが好きだったから練習したんだ、と教えてくれて、…ああ、そうだ、それを褒めた頃には彼は自分の出生を俺に話してくれる程に俺を信頼してくれていた。
 今回もやはりシルバー君の珈琲は美味しくて、それを口に出したら彼は落ち着かなく視線を彷徨わせた後にほんのりと目元を染めた。それが可愛らしくて、俺はもっとこの子を慈しみたくなる。カップを持っていたために赤くなってしまった彼の手指が気になって、溢さないよう珈琲の残るカップを机に置いてから、シルバー君の腕を掴んでこちらに引き寄せると彼は数度瞬きを繰り返した。先刻の書類を突っ込んだ引き出しがしっかりと閉まっていることを確認して、自分の膝を叩いて彼に座るよう促す。
 シルバー君はしかめっ面をして暫く躊躇っていたが、俺がしつこく膝を示したため諦めたのだろう、おずおずと膝を跨ぎ、俺に体重を預けてくれた。
 不安定な体勢のために俺の肩を掴む彼の手を取り未だ赤みを帯びる指先を撫ぜ、指を絡めあう。
「……、過保護」
 指先を心配されたのだと気付いたシルバー君が、俺にされるがままになりながらぽつりと呟いたのは照れ隠しで、しかしその表情がどことなく嬉しそうだったために俺は調子に乗って絡めたままの大きさの違う掌を口元に寄せて唇を落とした。ぴく、と肩を震わせた彼の抵抗はない。気恥ずかしそうに顔を逸らしているだけだった。背を抱いていた片腕を滑らせて後頭部を捕らえ視線が合うようこちらを向かせると、俺の意図を理解したのだろう、ゆっくりと瞼が瞳を覆い隠した。
 彼が性急な、舌を絡めあう口付けよりも触れ合わせるだけのそれが好きだと知ったのは、かなり前だ。ちゅ、と小さな音を立ててしっとりと濡れた唇をつつくと絡んだ指に微かに力が込められたのが分かった。俺は未だ、彼がこういう事に抵抗を示さないのが嬉しくて仕方がない。俺だけに許された特権なのだと年甲斐もなく自慢したくなる。何度か口付けを繰り返し、至近距離でシルバー君を見つめると彼は恥ずかしくなったのだろう、顔を俺の肩に埋めてしまった。
 彼と俺からふわりと香った、珈琲の匂いに、眩暈がする。

 俺が引出しにしまった書類は、いつ、俺に渡されたものだっただろうか。
 乱雑に仕舞ったことをシルバー君は咎めたが、それ以前にもうあれは、読んで畳んでの繰り返しでぼろぼろだった。
 俺がシルバー君に告げない限り、彼は書類の内容を知ることはない。
 彼の出自について調べがつき、俺ではない誰かが彼に知らせてしまうのではないかと不安になり手を回そうとしたが、その必要はなかった。
 彼の父親が、全てを消してしまっていた。それは親子であった事を疎ましく思ってのことではなく、彼を守るためだ。

 彼の父親は、もう、珈琲を飲めない。

 肩口にシルバー君の吐息がかかるのがくすぐったくて笑うと、勘違いしたのだろう、彼は憮然とした顔を上げて何だよと俺を睨んだ。繋いだ手を乱暴に解かれそうになる。
「何でもないよ。…また明日も、珈琲を淹れてくれるかい」
 それを宥めてから机に鎮座するカップを視線で示すと、彼はわざとらしく溜息を吐いて頷いた。子供に珈琲を頼む呆れた大人だと思われているのだろうか、それでもいい。
 俺が秘密を抱えている罪悪感を忘れないためにも、胸の痛みを意図的に押し流してしまうためにも、彼の淹れてくれた珈琲が飲みたかった。
「毎日アンタの所に来れるほど暇じゃねえけど。…でも、来てやるよ」
 きっと俺は明日も、彼に見えない嘘をつき続けるんだろう。


END


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