巡り巡って | ナノ




 ムゲンの掌の上で小さな機械が揺らめいたと同時、眩い人工的な七色の光に思わず閉じた目を開けると、ゼロの眼前にはインフィの笑顔があった。
 長らく見慣れた“顔”だったが、どこか表情が豊かになったような気がする。幾ら己で思考し臨機応変に対応が出来ると言っても所詮人工知能だと、ゼロはインフィのプログラムに表情を入れようとは思わなかったが、ムゲンは違ったらしい。
『お久しぶりです』
 メガリバの操縦席にゼロが座していた時ずっと傍らにいたそれよりもはるかに小さな体躯と顔で微笑まれ、ゼロは咄嗟に何と言って良いのか分からず言葉を探しあぐねた。
 じっ、とインフィから視線を外せずにいるゼロは、ムゲンから見ればそれは間抜けな表情であったらしい。ムゲンはくつくつと笑い出し、インフィを小さな机の上に置くと手を伸ばしてゼロの髪を掻き乱した。
「なっ…! やめていただきたい!」
 まるで子供扱いではないかとムゲンの手を払うと、当の本人は痛そうなそぶりも見せずに屈託なく笑い、口先だけですまんすまんとゼロの機嫌をとる。
 子供扱いされた恥ずかしさもあれば、またここは更生施設の面会室なのだ。決して口出しをする事も、何を思う事もないと知っていたが、それでも自分達を見つめる見張り番の前でされたと言う事実が更にゼロの羞恥を煽った。
 語調を荒げたゼロに対し、インフィが心配そうな顔を作る。どうかいたしましたか、そう問われ、ゼロは深々と嘆息するとインフィの電源を切った。ボタン一つでインフィの姿は掻き消え、そこには機械の台座のみが残る。それを見遣った後に顔をあげると、ムゲンがゼロをじっと見つめており、先刻とはうって変わって真剣な瞳に、ゼロは足元から何か這い上がるような感情を抱いた。

 こんな、ボタン一つで存在が消え、衝撃を与えれば失せてしまうような存在と、あの大きな艦艇――メガリバにいたのだと思い返すと、今更一人きりだったのだという恐怖に慄いてしまう。メガリバに乗っている時は何とも思わなかったというのに、それもこれも一週間と日を空けずに慰問に訪れるムゲンのせいだと、ゼロは唇を噛んだ。
 悔しい訳ではない、怒りでもない。ただ、“間違った道”に進んだ己を許し、手を差し伸べるムゲンの懐の広さに理解が追い付かないだけだ。
 互いを見つめあったまま、ムゲンもゼロも口を開こうとしない。それは長い沈黙だった。
「………あなたを、」
 インフィはただの人工知能ではなく、交わされる会話から新たに学ぶ学習機能も付いている。ゼロがインフィの電源を落としたのは、インフィに記憶させたくない話をしたいのだと踏んだのだろう、普段慰問に来た際にあれやこれやと言葉を紡ぐムゲンの唇は引き結ばれており、細められた瞳がゼロの言葉を待っているのだと雄弁に語っていた。
 それに促され、ゼロは掠れた声で沈黙を破る。本当はこんな話をしたいのではない――否、これも言いたかった事の一つであるが、今すぐ話す事柄かといえばそうではなかった。ただ、口火を切るきっかけが欲しく、ゼロは口を開く。
「あなたを、今更何と呼べばいいのか。先生、そう呼ぶ事など、もう」
 ただの口火であった筈が、言葉にしてみるとそれはやけに深刻な口調になってしまい、ムゲンの驚いた顔を見てゼロは内心何度目になるかも分からぬ溜息を吐く。ムゲンと話をしていると、墓穴を掘ってしかたがない。
 ムゲンにそこまで察することが出来るかは分かりかねたが、これではまるで寂しいと言っているようなものだ。
 一方ゼロの言葉に驚いた顔つきをしたムゲンは顎に手を遣り、次いで髪を掻き苦笑する。
「確かにお前は私の弟子でありながら私に叛いた。だがなあ、お前のした事は兎も角、その研究者魂は以前と何も変わっていない。ここでゆっくりと反省をし、己を戒めた後にまた私に師事するならば、先生、で良いんじゃないか?」
 ああ、勿論弟子入りは強制ではないぞ。そう続け、ムゲンは再度髪を掻いた。ゼロがムゲンの弟子であった頃から、このお人好しさは変わっていない。ゼロが肯定も否定もしないでいると、ムゲンは一度監察官を振り返り、再度口を開いた。
「お前がまた私の弟子になるならば、私はお前を反転世界に連れていくつもりだよ。幾らここで悔いたとて、お前の罪は償えない。研究者としてやってはいけない、研究の成果を私利私欲としてぶつけてしまった、ギラティナにこそ謝らねばな」
 ゼロを反転世界に連れていく、その言葉を聞き背後にいる監察官の視線がムゲンを捉える。しかしそれ以上は何事もなく、ムゲンも視線を感じているのだろう、この話はお仕舞いだと相好を崩した。
 ムゲンも分かって言ったのであろうが、話を切り上げたとて一度糸を張りつめたような空気はそう簡単に元に戻るものではない。しかしゼロは空気ではなく、ムゲンの口から発せられた言葉に意識が行っていた。
 私利私欲、確かにそうだった。あの反転世界を我が物にし、反転世界を汚す者を駆逐し支配者になる――その欲で、ギラティナを犠牲にすることを正当化したのだ。それはどうやっても変えられない事実だったが、一番初めに反転世界を見知った時の感情を、ゼロは今でも覚えている。
 ギラティナというポケモンがただ一匹で守る世界を、大半の人間は知らずに穢している。世界の調和をたった一匹で守っていると知った時、反転世界をこれ以上穢したくないと思った。
 結局は私欲に溺れた己が言えた義理ではないが、ムゲンの言葉に真っ向から否定された心地がし、ゼロは奥歯を噛みしめ視線を逸らす。研究に逸る己を、若いという言葉で諌められたこともあった。ムゲンはゼロよりも一回り程年長だ。ムゲンの様に齢を重ねれば、考えが新たになることもあるのだろうか、そう思い逸らしていた視線をあげると、ムゲンはゼロの視線に気付きゆっくりと目を細めた。
 わかっている。
 監察官から見えない位置で、ムゲンの唇が音もなく言葉を紡いだ。
 穏やかなムゲンの瞳には、見覚えがある。いつの事だったかポケモンと人間の関係性について考え込み、結局答えが出ずその苛立ちをムゲンにぶつけたゼロに、ムゲンが同じ表情で、同じ言葉をかけたのだ。
 ――わかっている、お前は根は優しいからな。
 まるでゼロの全てを包み許すかのような声音に、その時は何が分かるんですかと言い返したが、今は到底そんな気にはなれなかった。所詮は他人である上に何の根拠もない言葉だが、今ならムゲンを信じられるような気さえしてくる。
 慰問の時間も限られているのだろう、時計に目を向けたムゲンを見、ゼロは椅子から立ちムゲンを見送ると監察官に声をかけた。ゼロが出歩けるのは、この部屋を出た先の廊下までだ。廊下の先にはチェックゲートがあり、そこから先、外に通じる道へ行けるのはムゲンだけである。
 ゲートまでの短い距離を歩きながら、ゼロはムゲンの袖を引いた。張った袖に引っ張られ、軽く踏鞴を踏んだムゲンが何事かとゼロに問うてくる。
「先生、」
 特に何か言うことがある訳でもなく呼びかけのみで会話は終わったが、それだけで意図は伝わったらしくムゲンは笑いゼロの髪を掻き回す。
 今度はその手を払わず好きにさせていると、逆にムゲンが戸惑い困惑顔を向けてくる。ムゲンのそんな様にゼロは人知れず笑い、いつか訪れるその日に思いを馳せるのであった。



END
巡り巡ってまた此処で


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