わたしはあの薄明に | ナノ




 細かな氷の粒をきらきらと陽の光に反射させながらこちらを見つめるバニプッチを前に、シューティーは幾度も幾度も脳裏に浮かんでは鼓動を乱す存在を想い、目を閉じた。
 瞬くよりも短い時間で再度瞼を押し上げたシューティーの手から、モンスターボールが放たれる。バニプッチを中に納め、地に落ちて二度、三度とボールが揺れる。軅てその揺れが収まりバニプッチがシューティーをトレーナーと認めたと同時、シューティーは無意識のままに脳裏の存在の名を呼ばわっていた。
 ――アデクさん。
 その名は、まるでまじないのようにシューティーを捕え続けて止む事がない。


 ポケモンと人間が共に在る事は当然だと思ってはいたものの、シューティーは己がポケモントレーナーになろうとは思っていなかった。
 真面目でもの覚えも早く、秀才とも称されたシューティーにその道を進める者は少なからずいたが、ポケモントレーナーになったとて明確な目的も目標もなく、シューティーは幼いながらに己の将来を決めあぐねていたのだ。
 そんな折、恒例行事として己の街で行われた祭にふらりと姿を現したアデク――イッシュリーグチャンピオンは、シューティーに計り知れぬ衝撃を与えたのだ。
 街一番のつわものであったトレーナーを負かし、しかし一方的な勝負でありながらも相手に不快感を抱かせるものではなく、寧ろその場にいた誰しもがいい勝負だったと称賛したほどだ。
 周りの勧めに流されるようにポケモンバトルの勉強をしていたシューティーは、そのバトルを見ながら己の知識の不完全さを悔やんだ。
 アデクのバトルは、今迄曖昧に考えていた“ポケモントレーナーになる”という事を、最早それは最初からシューティーの夢であったように思わせたのだ。もっときちんと勉強していれば、さっきのバトルをもっと理解出来ていた筈だ。アデクが何を考え、ポケモンがどの場面でどんな動きをしたから勝ちが決まったのか――それを知るには、シューティーの知識は不足しすぎていた。
 己を責めながらも魅せられた熱は止まらず、少し離れた所でアデクと大人達が談笑しているのを尻目にシューティーはその場に残されていたバッフロンに近寄っていった。バトルでの闘争心に燃えた鋭い目も、硬い蹄も筋肉の塊のような肢体も不思議と怖いとは思わない。
『…ねえ、君は、』
 熱に浮かされたようにバッフロンに手を伸ばしてふわふわとした体毛に触れても、バッフロンは拒まなかった。アデクによってそういう風に躾けられていたのかもしれないが、じっとシューティーを見つめ返してくるバッフロンに頬を寄せ、シューティーは口を開く。
 バッフロンに何を問おうとしているのか、自分でも分からないままに問いを紡ごうとして――その瞬間、頭に乗った暖かな衝撃に肩が跳ねた。



 目の前で陽光が煌いて虹彩を刺し、シューティは気付かぬままに耽っていた追憶から強制的に引き上げられた。シューティーの顔の前で今し方捕まえたバニプッチがくるくると上機嫌に踊り、氷の域を撒き散らしている。
 あの瞬間にポケモントレーナーになる事を決めてから、自分は成長しただろうか、そう考えながらバニプッチと視線を合わせると、バニプッチは数度瞬きをした後にシューティーを見つめ返してきた。
 バトルは強くなった、知識も同い年のトレーナー、そして己よりも年上の存在にも負ける気がしない。でも、シューティーの脳裏に焼きついたアデクには、到底追い付けないのだ。
 チャンピオンであるアデクと同等になれるとは思っていないが、少しでも近付いていづれは“いい勝負”をしたい。アデクは、己とバトルをするのを楽しみにしてくれている――であれば、アデクの期待に応えたい、応えるべきだ。
 幼い頃はアデクの言葉を真正面から正直に受け取っていたが、成長してみればあの言葉はもしかしたらチャンピオンの義務としての美辞麗句だったかもしれないと思う事がある。否、そうである可能性の方が高いだろう。それでも、幼い目に焼きついたアデクのまなざしと頭に乗った暖かく大きな掌は、シューティーにとっては本物であるのだ。
「経験を重ねて、レベルをあげて、強くなるんだ」
 アデクさんに、追い付くように。最後の言葉は胸中で言うに留めてバニプッチに手を伸ばすと、氷の手は少しだけ躊躇ってから、しっかりとシューティーの手を掴んでいた。



END
わたしはあの薄明に恋をする



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