「一ノ瀬です」


インターフォンに映し出された彼は、そう短く述べた。端正な顔つきをにこりともさせずに、ただの事務的な反応だ。
ハヤトから唐突に告白されて頭の中がぐるぐるしたまま家に帰り、1つも整理がつかない状態での、弟の到来。
別人とはいえ…今はこの顔はできるだけ見たくなかった。


「すみません、夕食中でしたか?」


夜の7時となれば、夜ご飯を食べている家庭がほとんどではないだろうか。
今の時間は世間的には玄関先にわざわざ出たくない時間なので、常識人のトキヤがやってくるのは非常に珍しいことだった。


「これ、煮物です。作りすぎてしまって…」


彼の手の中にあったタッパーを手渡される。まだ暖かいので、きっと出来立てなのだろう。
煮物を作るなんて、あんたオカンか。ってつっこんでしまいそうになったけれど、彼が真面目な顔でそう言うので、それはやめておいた。


「…ありがとう、まだご飯食べてなかったから嬉しい」
「あの、」
「ん?」
「なにかありましたか?元気がないようなので…もしよければ話ぐらい聞きますよ」


ここで兄の話をしてしまうのもどうかと思ったけど、どうも私の頭は上手く思考してくれない。なんせ2時間はこんな状態のままなのだ。
トキヤに頼るのもありかと、私は彼を部屋に招くことにした。




「… そうですか、そんなことが」
「うん…びっくりしちゃった」


ハヤトの告白の件について説明すると、トキヤはばつの悪そうな顔でコーヒーを啜った。 彼には本当にコーヒーが似合うけど、実はいちごみるくなんかの甘い飲み物も好きとのこと。
そんな隣の彼を見て、またハヤトのことを思い出してしまう。
でもやっぱり贅沢じゃないか。こんなに整った顔が世の中に2人。しかも私のすぐ傍にいるというのだから、今更だけどちょっとありえない。


「…はぁ、ハヤトのことばっか考えちゃって、頭の中がめちゃめちゃだよ…」
「……」
「…トキヤ?」


隣に座る彼の横顔は、なにかに悩んでいる表情を作っている。
まぁ、兄の告白なんて複雑なものなのだろう。それが自分も仲の良いクラスメイトへのことなら、尚更かもしれない。


「…名前」
「なに?」
「この際ですし」
「へ?」


たった1回瞬きをしただけだ。その間で、私の視界はずいぶん変わってしまった。
ソファのひじ掛けに頭を預けた状態で押し倒され、真上にはトキヤの顔がある。
あまりにも突然の出来事に、私は一言も声が出なかった。息をするのも忘れていた。
なにかを企んでいるその目が、目を丸くする私を映している。


「なっ、」
「ハヤトのことばかり考えないでください」
「えっ、ていうかどいて、」
「名前」


これは、もしかしなくてもかなりまずい。このままいくと、今以上に脳みそを混乱させてしまう状況が生まれてしまいそうでしかない。
この体勢から抜け出そうともがいてみるものの、肩を上から押されているこの状態ではなにをしても無意味でしかない。


「ハヤトに先を越されるとは」
「は、離して…」


ちゅ。
柔らかいものがほっぺに押し当てられた。考えなくてもわかる。紛れもなくトキヤの唇だ。
いかにも彼らしいスマートな動作で頬にキスをされたけれど、恥ずかしいとか考える頭が残っていなかった。


「好きです、あなたのことが」


耳元て言われたものだから、ダイレクトに鼓膜に伝わってしまい、そのままそれは真っすぐ頭の中へ。反響するように何度も響き、その麻薬のような声のトーンで私は体を動かすことすら忘れてしまった。
こんなの卑怯だ。なんなのこの人。ただの高校生じゃない。


「大丈夫ですか?」
「…大丈夫に見えるの?」
「いえ、全く」


やっと私の上から体を除け、そして私を紳士的に起こしたトキヤはムカつくぐらい自信に満ち溢れているようだった。
なんなのこいつ!本当に!なんなの!


「誰のせいだと…!」
「ハヤトでしょうか」
「あんたでしょ!馬鹿!なんなの兄弟そろって!」


本当に、この双子はどうして揃いも揃って…いや、トキヤだ!おいうちをかけるようにトキヤまで便乗してきたのが悪い!


「ハヤトには先を越されたんです。私はその上をいくようなことをしても良いでしょう?」
「良くない!」
「とにかく」


すっ、私の唇に彼の人差し指の先が添えられる。それによって口を強制的に閉ざされたので、抵抗の意をもってキッと睨んでみたけれども意味のないことだった。
余裕の笑みを以てして、私を見つめているのは変わらない。


「これで、あなたは私かハヤトのどちらかを選ばなければならなくなりました」
「まっ、待ってよ選ばないよどっちも」
「じゃあなぜそんなにハヤトについて考えていたんですか?」
「えっ…」


それもそうなのだ。私はハヤトから好きだと言われて、すぐに拒否することも可能だったはずなのに、なぜかそれをしなかった。
あまりにも唐突な告白で混乱していたのは確かにあるけど、許容範囲でなければすぐに断っていただろう。


「そ、それは…」
「少なくとも、あなたはハヤトのことを恋愛対象として見ていないわけではない」
「……」
「でも、ハヤトから言われて考え始めたことです。それなら私にも分があるでしょう?」


そりゃ、嫌いじゃない人に告白されて心が揺れ動かない人間はいないと思う。ハヤトと交際をしている自分を想像して、まあないわけではないかなあとも思ってしまったのだ。ただ私はまだ彼のことを、そういうような好きとして捉えていないだけで、いずれはそうなることだってありうる。
なのでそれは、ハヤトではなくトキヤにもいえることだと、私もそれは理解できるけれど…この男は思いの外身勝手じゃないだろうか。ハヤトよりも、トキヤの方が私は身勝手だと思うのである。


「とにかく、私かハヤトか、どちらかを選んでくださいね。どっちもっていうのは駄目ですから」


それだけを言い残して、トキヤは音も立てずに自分の家に帰っていった。
本当になんだったの。テーブルの上にちゃっかり置かれた煮物を見て、ため息しか出なかった。

…今日は嵐が2回も来ました。それも記録的な災害となって。






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