お泊まり会と題して、ツバサを一日だけ預かることになった。
私の手を繋いで楽しそうに歩く少女を見ていると、ここ最近悩んでいたことが自然と忘れられる気がしてくる。
メイの実家から私のマンションまでは歩いて40分という近場にあったが、この少女はまだ幼いために交通機関を利用した。40分も歩かせることが少々不安だったのである。


「ツバサ、ひとつだけ約束してください」
「なぁに?」
「私の家に着くまで、私の名前を呼んではいけませんよ」
「どうして?」
「どうしてもです」
「…うん、わかった!」


さすがに道中は変装を余儀なくされる。サングラスをした私を見て少女は少しだけ首をかしげたが、すぐに何事もなかったように前進を始めた。
先程の様子からすると、ツバサは私が芸能界の人間であることを知らないようだ。
私たちはST☆RISHとしても個人としても活動しており、テレビや雑誌で見ない日はない程の国民的アイドルになったが、この小さい少女には無縁の世界なのかもしれない。
もし知っていれば、私を見たときに何らかの反応をするだろう。


「今日の夜ご飯は何がいいですか?」
「うーんとねー……オムライス!」
「ふふ、わかりました。それでは、とびきり美味しいオムライスを作りますね」
「やったー!」


そんなふうに歩いていると、あっという間に我が家に到着。
このマンションへは、メイが亡くなって間もなくしてから早乙女さんの薦めで移動してきた。
その後他のメンバーもそれぞれの事情で寮を離れて違うマンションへと移動し、現在同期で寮にいるのは七海さんだけだろう。


「わあ…ホテルみたい!」


靴を脱いで廊下へと上がったツバサは、見慣れない家に喜んでいるようだった。
リビングへと案内すれば、何も言わずともソファにちゃっかり座り出す。
私はメイの母から貰った野菜を冷蔵庫へとしまい、夕食の準備を…おっとその前に。
ツバサから譲り受けたメイのテディベアを鞄から取り出し、リビングボードの上に置いた。その横には、彼女の写真と花を飾っている。


「ただいま、メイ」
「メイ?」
「ええ、あなたのお母さんの妹ですよ」
「メイちゃん!つばさしってるよ!まえにおはかまいりしたの!」
「それはそれは、ありがとうございます」
「トキヤもメイちゃん知ってるの?」
「ええ」
「おともだち?」
「…そうですね、とても仲が良かったんです」


この小さな少女には、私と彼女の関係を話すには早すぎるだろう。ツバサがまずメイのことを理解できるようになるまでは、今は何も言わない方がいい。
とはいえ、彼女が物心つく年齢になるまで私と交流があるかというのも不確かだ。元より、私とメイの関係はツバサには何一つ必要のない事柄だろう。


「ねえ、あれなに?」


ツバサが興味を持って指さしたそれは、グランドピアノである。一般的なものよりやや大きめの作りをしている。
このマンションは防音設備が整っているため、いくらここでピアノを弾こうが歌おうが、部屋の外に音が漏れることはない。なので安心してピアノに触れることが出来る。
…これもまた、メイの遺品だ。元々は彼女がいたシャイニング事務所の寮にあり、これを奏でて作られた曲は数知れない。私にとっても思い出深いものだ。


「ピアノですよ、見たことはないですか?」
「ちっちゃいのなら、つばさも持ってる!」


少女が言っているのは、玩具のピアノだろう。よくグラウンドピアノの形をしたピンクやら赤やらの小型のものがある(電子音のものもあるらしい)が、過去にそのようなものを早乙女学園の倉庫で見かけた。


「さわっちゃだめ?」
「いいですよ、ほら、こっちにおいで」


物珍しいのだろう、わくわくする気持ちを隠すこともなく、少女は私の後に続いてくる。 椅子の高さを調整して座らせてやり、ピアノの蓋を開けて真っ白いピアノの鍵盤が見えれば、少女は嬉しそうに笑顔を見せた。
ダイニングテーブルの椅子を持ってきて、私はそれに座る。


「どうぞ、触ってみてください」
「う、うん」


おそるおそる伸びた小さな手が、鍵盤のラの音を叩いた。部屋中に響くピアノの音色に、ツバサは満足しているらしい、私をまた見てにこりと笑う。


私はツバサと共にでたらめな音を並べてピアノを奏でた。こんなにこのピアノに触れているなんて、本当に久しぶりのこと。
メイが亡くなってから、私は音楽活動をほぼ休止した。それ以来、このピアノに触れる機機会も、必然的になくなっていった。たまに眺めては磨いてみたりして、定期的に調律師を招き音を合わせてもらう。しかしあまり使われていないピアノだ、音は極端に狂うこともない。この部屋は湿度も室温も一定に保たれているのだから。
この手付かずのピアノは、ツバサに触れられることによって喜んでいるような気がした。


その後は夕食を一緒に作り、いつもより豪華なご飯を2人で食べてお風呂に入った。こんなに小さな少女とお風呂に入ることなど今までになかった…というか、異性とお風呂に入るなどそれこそメイとしか経験がなかったため、最初は複雑な心境だった。
けれどもやはり、相手は子どもである。見慣れないバスルームに喜んで辺りを見回したり、それはもう見ていて楽しいものだった。




「おや、眠そうですね」
「そんなことないもん…」


さすがに今日はいろいろとはしゃいだので、眠たくなってきたのだろう。ツバサは目を擦って重たそうな瞼をなんとか開いていた。時刻は既に8時半。このぐらいの歳の子どもであれば、普通にしていても眠たくなる時間だ。


「やっぱり眠いのでしょう、今日はもう寝ましょうか」
「トキヤも、ねる?」
「私はまだ、」
「いっしょじゃなきゃやだっ」


それもそうか、初めて来た場所で一人で寝るということはきっと難しい。客用の布団を出そうと思っていたのだが、それをやめて枕だけ持ってくることにしよう。運の良いことに、私のベッドはセミダブルサイズだった。


「わかりました、それじゃあ一緒に寝ましょう」
「うん」


しきりに目を擦るツバサを抱き上げて、寝室へと足を進めた。


「あっ」
「どうしました?」
「ピヨちゃん」


そういえば家からピヨちゃんのぬいぐるみを持ってきていた。どうやらあれは、寝るときに必要なものらしい。それを取りにリビングへ戻り、また寝室へUターン。
やっと枕に頭を沈めたツバサは、隣に横になった私の手をぎゅっと握った。


「トイレいきたくなったら、おこしてもいい?」
「ええ、もちろんですよ」
「よかった」
「さあ、おやすみなさい」


頭を撫で、体をとんとん、とゆっくりしたテンポで触れてやる。するとすぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。余程疲れたのだろう、既に熟睡しているようだ。
どうか、良い夢を。






「ごめんねトキヤくん、ツバサがご迷惑かけなかったかしら?」
「いえ、全然でしたよ」
「またいきたい!」
「ええ、またいらしてください」


翌日の午前中。ツバサをメイの母の元へ送り届け、またお茶をご馳走になっていた。
ツバサは目覚めもよく、朝ご飯もしっかり食べたので本当に手のかからない子だ。はっきり言って、最初はここまでなんのトラブルもないとは思えなかったのだが。


「そうだツバサ、畑に水をやってきてちょうだい」
「わかったー!」


ぱたぱたと走っていく後ろ姿を見届けて、私はお茶を一口すする。
メイの母は、ばつの悪そうな顔をしていた。なにか大切な話をするのだろう。


「ツバサは父親の顔を知らないの。あの子が生まれる前に離婚したのよ。だからトキヤくんと一緒にいて、まるで父親が出来たみたいに嬉しいんだと思うわ」
「…私も、まるで子どもが出来たみたいでした。しかもメイによく似ているものですから」


例えば、メイが生きていたとしたら、いつか結婚していただろう。そして生まれてきた子どもは、あんなふうに彼女に似ている子に違いない。きっと良い子に育つはずだ。音楽が好きな私たちの間に生まれた子だから、音楽に満ちあふれた生活をして、自然とそれが身についていくことだろう。
しかし、現実は酷いものだ。メイにはもう、どうやっても会うことはできないのだ。彼女と願った幸せは、今では実現できない夢のまた夢でしかない。
いくらツバサがメイに似ていて血が繋がっているとはいえ、あの少女はメイの姉の子どもだ。半分は、どこの誰かもわからない違う血が流れている。
私に出来るのは、あの少女が幸せな未来を生きられることを願うことだけなのだろうか。






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