――迫先輩、この方、目の前で殺して見せてくださいな。
 水に濡らしたような艶やかな亜麻色の髪と、同じ色の長い睫毛に縁どられた新緑の瞳を眇めて金子恵美里(かねこえみり)がそういったとき、迫不知火(さこしらぬい)は震えながら細く空気を吸い込み、喉を鳴らした。

 金子の従者である臨時教員、水嶋隆義(みずしまたかよし)に声をかけられ、今の季節、半袖の体操服を上下着ていた迫の、ダボダボのその体操服を道中たすきで縛り動きやすくし、彼は「金子作戦参謀がお呼びですので」とだけ言い、この旧体育館へと背中を押した。
 中には金子と、他にも何人もいる様だ。
 もう大分きかしているのだろう、冷房が効く中、金子は椅子に座り迫を認めると、包帯の蒔かれた顔でニコリと柔らかく微笑んだ。そのすぐそばに、縛られ猿轡を噛まされ唸り声をあげている人間が三人居る。男二人と女一人。それぞれ膝をつかされ、後ろ手を拘束され、二人がかりで肩を抑えられ立ち上がることもできない様子で、入ってきた迫を睨みつけたり、金子を睨みつけたり、あきらめたように床を見つめている。
 (白軍の人だ、あるいは、赤か……)迫はその目を見てそう感じた。黒軍の瞳ではない、確証はないが、そう思った。
 「急に、ごめんくださいまし、迫先輩」金子は微笑みながらも立ち上がることなくそう言うと、あっけにとられて固まっている迫の背を水嶋がまた軽く押しやった。「すみません、迫くん」と彼は目を伏せると、肩に手を置く。引き返すことはできないのだと、迫は理解する。
 迫は促されるままさらに足を踏み入れると、水嶋が体育館の扉を閉じた。
 「おまちどうさまです」
 金子が微笑を絶やさないままそういうと、捕虜――恐らく――を抑え込んでいたうちの二人が、一人を解放した。その男子生徒と思わしき人物は、腕の縄が切られると、ゆっくりと立ち上がりながら猿轡を緩めて外し首にぶら下げた。
 「約束の通りだな」男子生徒が言う。
 「ええ、もちろんですとも、タガネコウジ。私、嘘はつきませんわ」
 金子の言葉を聞いて、男子生徒は鋭く金子を見据えたのち、迫にその視線を移し、いまだ状況がつかめないひどくやせっぽっちの男を射止める。猿轡に手をかけさらに緩くし、頭から引き抜くと、彼はそれを拳に巻いた。迫を見つめる緑の瞳に、殺気と、怒気と、焦燥、生への渇望が見える。
 「な、なに、スか、金子サン。自分……」迫は思わず後退りそうになり、すぐ後ろに水嶋が居たことに気が付いた。一歩も下がれないまま肩が水嶋の胸に触れ、今度は両肩に大きな大人の手を置かれる。思わず見上げると、水嶋は意図的に感情を押し殺したような表情をしていた。それでいて、冷たさを感じる。
 (こわい、豪さんとは、いつもの水嶋先生とは、ぜんぜん、ちがう、大人の、軍人の顔……、これは軍人の顔だ……)
 唾液をなんとか嚥下した迫は、コキ、という音でまた視線を前に向ける。タガネと呼ばれた彼が首を鳴らし、ストレッチをしている。
 「迫先輩、この方、目の前で殺して見せてくださいな」
 「……えっ?」
 「私約束しましたの、情報を吐くか、私が提示した一人の生徒を素手で殺せたら、全員解放してさしあげるって。彼はあなたを殺すことをお選びになったようですよ」まるで世間話をするような調子で、頬に手を当て金子が言う。
 迫は震えながら弱くかぶりを振るが、水嶋の両手が迫の肩を強く掴み、無理矢理一歩押し出させた。
 「本当にコイツでいいのか」タガネが金子に問う。このタガネコウジという青年の身長は、180センチはあるだろうか。175センチの迫よりも、少し背が高く見える。体つきは、ワイシャツとスラックスだけの姿でも端正なのが分かる。縛られ痕が付いていた男らしい腕をさすりながら、金子のような深い緑の目で迫を見据える。少々やつれてはいるが、顔立ちも端正で、短く切りそろえられた黒髪も整えれば、きっと見栄えする男なのだろうに。
 「あら……、傲慢な人」金子は目を丸くしてからクスリとわらい、指先を口元にやる。
 確かに、迫不知火はタガネに比べると随分と貧弱そうに見える。身長に見合ったサイズの体操着がぶかぶか余るほど肉が薄く、半袖からのぞく腕は筋張り、筋肉の隆起こそ見て取れるものの、肉がないからそうみえている、そんな印象を与える。きっと体重が80キロ前後のタガネに比べ、迫は55キロほどしかないだろう。
 金子は素手で、といった。となれば、身長差や体格差は確実に影響を及ぼしてくる。
 タガネは広い場所で構え、迫を待つ。
 「その方、先輩を本気で殺すおつもりですから、先輩も。遠慮は不要です。拒んでも宜しいですけれど……、水嶋が扉を開けてくれれば、の話になりますわね。ああ……、外には権堂もおりますのよ」
 権堂、権堂定次(ごんどうさだつぐ)もまた、彼女の従者だ。異名を持つ男、彼も、水嶋の腕も、当然衰えていない。
 迫は浅い呼吸を繰り返しながら、震える脚で一歩踏み出した。よろよろともう何歩かあるいて、靴下と上履きを脱いで捨てた。ゆっくり構えをとり、タガネの緑の瞳を見つめる。
 「合図はだしませんから、ご自由に」金子が言う。
 「許せとは言わない」瞬間タガネが裸足で床を蹴り、キュ、と音を鳴らしながら迫に向かった。迫は姿勢を低くし組付きの体制をとると、タガネは一度ブレーキをかけ同じように姿勢を低くする。
 すっかりおびえた様子で血の気の引いた顔で、迫は相手を窺うように移動する。タガネが飛び出してこれないように動き、牽制し、いつでも動けるように。
 飛び出したのはまたタガネだった。タガネはタックルするように飛び出し、それをよけた迫の腕を掴み、後ろに回し関節を捻りあげようとする。
 迫は空いた手を背中にまわし、タガネの肩を掴む。「う゛っ!?」とタガネがうめいたのも無理はない。迫の細い骨ばった指はまるで鋼鉄で出来ているかのようにタガネの肩に入り込み、迫は肩の骨を掴み無理矢理前に引き出した。
 めり込んでいた指が離れると吹き出すように肩から血が出た。無理矢理引き出し、よろけたタガネの後ろから離れないまま迫はタガネの右手首を掴み、血に塗れた右手の底でその肘関節を逆から殴り、折り、伸ばした腕そのままタガネの頭を右肘でだきかかえ、腕を引き、自らの胸元までタガネの頭を引き下げ、右腕の二の腕と前腕、胸板で彼の頭蓋骨を締め上げ、自らの腕を左腕で引き締めさらに力を加えることで、脳髄を守るその骨をいともたやすく粉砕し脳髄を破壊した。これらの行動を、迫は15秒たらずで行った。
 「ゆ、ゆるせ、って、なにを……?」迫は体から力を抜いた。崩れ落ちたタガネの死体から血があふれ出て体育館を汚していく。ジットリと赤黒く重たくなった右袖と横っ腹の血が、迫の腹に張り付いた。
 足音を聞いて反射的に迫は腰を落とした。その頭上を男子生徒が通過し、回転し衝撃を緩和させすぐさま迫に向き直る。「えっ?」驚きの声を上げた瞬間首が締まり、迫はのけ反る。手を首に這わすと、何かで布かなにかで締め上げられているようだ。視界に必死の形相の女が映る。
 (猿轡……!)呼吸が出来ず苦悶の表情を浮かべる迫の、アバラのういた細い腹に男子生徒の蹴りがはいると、迫はいよいよ真っ赤な顔を慄かせ、舌を突き出し喘ぐ。
 「カザミ、離すな! よくもタガネを……!」男子生徒が拳を振り上げ、憤怒と憎悪の言葉を吐き零す。だが「先輩!」と女生徒が叫んだのは返事ではない、悲鳴だった。
 女生徒が締め上げる首から手をもっと上にあげ、迫は背後の女生徒の首を掴んだ。顎の下に指を引っかけ、目を丸くした男子生徒に向かて振り下ろすように女生徒を床にたたきつけた。男子生徒もまきこまれ、女生徒は男子生徒の上で呻いている。
 男子生徒が衝撃をかき消すように頭を振るい身を持ち上げると、上にかぶさっていた女生徒の首を締め上げている迫が見えた。
 「カザミ!」叫び、女生徒の下から抜け出し、背後から迫の背中と首のつなぎ目、脊髄に肘を入れる。組み付いても首を絞めてダメなら、タガミにしたように関節を潰していって搦手で……。
 迫はグルりと白目をむき、口を半開きにする。手の力が緩み、女生徒は爪で床を引っ掻きながらなんとか抜け出たが、その身が床に倒れる前に、迫の黒い瞳が装填されるように振り下り、後ろの人物を見た。「う、うしろからばっかり……」その声は酷く震えて、掠れている。男子生徒は迫の頭をわしづかみ、肩を抑え床にたたきつけた。
 もう一度叩きつけようとしたとき、迫が腕で床を押しやり、男子生徒の脚の下で後方へと移動し、下肢を今度は自分の意志で海老反りになって持ち上げ背中をしならせ、男子生徒の首根っこと顎を足で固定し、後方へと投げた。
 (灘木クンとやったときにも、にたようなこと、やった。けど、)床に手をつきすぐさま体勢を立て直そうとした男性との背中に、放り投げたときに腕の力で跳んだ迫が降り立ち、先ほど自分がされたように地面に男子生徒を伸ばすと、その後頭部に拳を突き入れた。(頭はぶっ壊してない)やはり、いともたやすく頭蓋骨と脳髄を粉砕し、ピンクっぽい肉片と大量の血液をまとわせながら迫は右手を引き抜き、その頭蓋骨を掴み持ち上げると、すでに戦意を喪失し背を向け駆けだした女生徒に向かって投げつける。
 「や、やだぁ! やだぁああ!! しにたくない!! 死にたくない!! まま、ママァ!!」
 衝撃に倒れ、背中の死体の重みと恐怖に泣き叫ぶ女生徒の後頭部に手が添えられ、ぐ、ぐ、ぐ、と力を籠められて床に押し付けられる。
 「や、やだ、やだ、やだ、まま、やだ、やめて、やだ、おしえる、おしえるから、わたしちゃんとおし」女生徒の瞳は上の方をぼんやりと見ている。涙で濡れていて、きっと急速濁っていくであろう瞳は迫を捉えない。しっかり迫と顔と顔を合わせている少女の背中から退いた迫は、ゆっくりと立ち上がり、金子を振り返る。
 変わらない微笑を浮かべている金子は「実力差がありすぎたわね、さすが迫先輩。一騎当千と呼ばれるお人、太刀津の傘下。早くすんでよございました」といった。
 「新しいお洋服は今ここで差し上げますので安心してくださいませね」
 迫はその言葉を聞き終えるより前に吐いた。はじめは立ったまま口元を手で押さえたがこらえきれず、膝をつきすでに吐瀉物と血でぐちゃぐちゃになっていた手で体を支え、胃の中をひっくり返すかのように嘔吐し続けた。
 「雑務のお兄様方かわいそうね、こんなによごして」ハンカチーフを口元に当てて他人事のように金子がいい、「迫先輩、浴場をあけておりますので、そちらにお入りになったら? 自室でも構いませんけれど……」と続ける。けれど、迫から返事はない。
 金子はすっかりよごれた周囲を見回して、「隆義」水嶋の腕に抱きかかえられる。「お洋服は入口に。急な話でごめんくださいね、適役だと思いましたの。ちゃんと、太刀津先輩の許可はとってありますので、悪しからずをば。……御機嫌よう」
 迫が顔を上げたとき、そこに生きている人間は迫以外にいなかった。迫はたすきを外し、服を脱ぐと、比較的よごれていない背中側で顔や腕をぬぐう。それでも、きっと饐えた匂いや汚れはすべて落ちていない。
 赤黒いしみが消えない腕と、グチャグチャのハーフパンツを見て「……うっ、うぅっ、あぅう……う゛、え゛ぅぅぅ……」と堰を切ったように泣きだした迫の頬に涙があとからあとから伝い、鼻水まで出てくる。
 よろよろと泣きながら、金子に与えられたTシャツを着て、寮へと向かった。


 迫は玄関で糸が切れたように座り込み、ぐずぐずと泣きじゃくていた。この調子だと授業と、おそらくは自主的な練習から帰ってきた樋ノ上将馬(ひのえしょうま)が、玄関に蹲って泣いている迫をみて驚くであろうことは言うまでもない。
 だから、このままではだめだと迫は這うようにして共同部屋の中に取り付けられている浴室に入り、服のまま湯を浴びた。
 服もこのまま洗うつもりで、ゴシゴシとくどいほどに石鹸で体を洗う。その最中もずっと泣いていた。


 空調のきいた部屋。寝間着姿で布団の胡坐をかく迫の目は赤い。きっと今なら体のどこを嗅いでも石鹸のいい匂いがするだろう。
 携帯を弄り、時間をみると、もうすっかり日が暮れるような時間だった。何時間もこすった肌は赤くなり、爪で引っ掻いた場所もあるのか細かい切り傷が血の巡りのいい皮膚に浮いている。
 (いいかな。だめかな。でももう、だめ)迫は迷うように指をさまよわせていたが、やがてどこか諦めるように数回操作して、携帯電話を耳に当てる。
 しばらくしてから、繋がって『もしもし』と声がした。迫はその声を聴いた途端、また眉と唇を震わせると声を出さないように息を止めて泣き出してしまった。『迫くん?』と穏やかな声で心配そうに言われると、迫は口を押えた。かぶりをふって、背を丸め携帯を耳元から遠ざけて、思い切り息を吸い込むと自分でも驚くほど喉が鳴った。
 「……もしもし、すんませ、あの、……風邪で、うス」迫は再び携帯を耳に当て、すこしだけ笑いながらそう言った。
 『えぇ!? 大丈夫なの、あ、あの、ごめん、うまい言葉が浮かばなくて……お、お大事に』
 「……はい。……はい。もちろん」
 心配そうな声が堪らなく胸を引き裂くようで、迫は何度も頷きながら努めて明るい声色で返事をする。その間にも大きく息を吸ったり、鼻をすする音が向こうに聞こえているだろう。
 「豪さんの声が聞きたくて……」
 (ねえきいてください、自分さっき、人、三人も殺したんです、戦場でもないのに。体育館で。体育館で初めて人を殺しました。素手で相手の頭割ったの、初めてでした。人殺したんです、さっき、三人、体育館で――)
 『……なかなか会えなくてごめんね、次に会うの……とても楽しみにしてるんだ』
 「はい。自分も、ッス。会いたいです、すごく、……ほんとにっ……」言葉をこぼしている間も迫の嗚咽が響き、米谷豪(よねやごう)はそれを電話の向こうで優しく受け止めていた。深く追求することもせず。迫が一番求めていた対応だ。
 とうとう大声を上げて泣き出しても豪は責めなかった。ようやっと落ち着いた時、彼は酷く丁寧ないつくしむ言葉で迫を気遣った。
 (日常が侵されるのがこんなにクるとは思ってなかった……)幾分かの冷静さをとりもどしてきた迫は、羞恥を感じ頬を赤くしながらも米谷ともう十分ほど話してから電話を切った。
 (今日はもう、はやく、ねよう)そのまま布団に寝転がり、電気を消さないまま目を閉じる。(ごめん、将馬クン……)と心の中だけであやまって、快適な温度の室内。ふかふかで守ってくれる布団。それらに包まれながら、迫は眠りに落ちて行った。


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お借りしました。お名前だけも含みます
ヤシンさん宅(@Ys_gakusen)豪先生/将馬くん
おかきさん宅(@okakiponnzu)定次さん

作業用BGM「KIVA - Set Free(KIVΛ Edition)

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