殉教者

 コメットという男は、あまり広い物事に関心を抱かない男だ。興味のあるものに対しては偏執的とさえ呼べるその矢印は、大抵の物には向くことが無い。他人に対してもあまり興味を抱く性分ではない。
 彼にとってこの世のほとんどは興味のないもので、実験器具のうちの一つに過ぎない。
 そんな彼が唯一分かり易く嫌っているもの、それは「軍」だった。

 フルフェイスのマスクでよかったとコメットはぼんやりと冷えていく頭の中で思った。そうでなければ、この視線をありありと目の前の存在に向けることになっていた。
(くそ忌々しい軍人共、急に押しかけてきて何の心算だ)
「御無沙汰しております、息災で御座いましたか。所長」
 抑揚のない、厭に丁寧な言葉使い。それに似合った平坦であれど聞き取りやすいシラブル。静かな大人ともう変わらない伸びやかな、尊厳を感じさせる声。
(――……この目)
「息災、ね」コメットは腕を組み、数回頷く様に頭を動かしてから、一度意識して息を吸い込み「ええ。勿論。息災でした、あなたこそ、調子良さそうで何よりですよ。太刀津の御子息」そう返した。
「火傷の具合も、よろしいようで。普通だったら未だに“痛い”筈ですけどね?」
 フルフェイスの、それも白衣を纏った男が自然に、世間話をしているかのように首をかしげるさまは、どこかシュールレアリスムを感じさせた「なんだかえらくピンピンして……、あっ、そうだった、そォだったお宅、俺と同じで痛覚がポンコツなんでしたっけ。どうりで、お元気そうな訳だ、太刀津輝人さん。――ハハハ」
 彼は酷く抑揚のある言葉を操っていた。センテンスごとに声色が入れ替わり、それが自然につながり、非常に相手を小馬鹿にした雰囲気をうまく操っていた。ただ、最後の棒読みに近いハハハ、だけは何の感情も読み取れない。
 コメットのその言葉に反応したのは太刀津と呼ばれた顔に酷い火傷の痕がある青年では無かった。背の高い彼よりもさらに背の高い、ゾっとするような雰囲気の美人の男だ。微笑んでさえいれば絵画のように美しいだろうに、その表情には怒りが僅かに滲んでおり、顔の美しさからかなりの迫力がある。眉を釣り、顎を引き、肌が白すぎる故に赤く映える唇をキュっときつく結んでコメットを金と赤の瞳で鋭く睨みつけていた。
 コメットは首を傾げたまま、太刀津から目を動かしてその男を見る。(鞘野陸之尉……、太刀津の狗が……。一人前に人間様に睨みきかせてやがる)鼻で笑いどうせ見えないのだから――そもそも相手に表情が見えていても行動は変わらないが――口角を厭味ったらしく持ち上げた。
 しかしすぐにコメットは太刀津へと視線を戻した。同じように鼻で笑うような、喉を鳴らす音が聞こえたからだ。
 顔の半分もが火傷で爛れ、引き攣り、締まりきらない口。お岩のような眼孔が不気味さを醸している。だが無事だった部位を観るに、この青年も元は整った顔立ちだったのだろう。鋭い紅い瞳でコメットを見つめ、僅かに口元に笑みを引いているのが無事だった顔半分で分かる。
 それはまるでコメットを見透かして分かっているかのような笑みだった。
 コメットはすぐさま笑みをかき消しじっとりと太刀津を睨んだ。どこまでもいけ好かないガキだ。
「まあ、おかけください。すぐにお茶持ってきますから。――……それで? 何のごようで本日は、わざわざこんな所までいらっしゃったんでしょうかね」
 コメットはすぐ隣のステンレスのテーブルと椅子を手で示した。相手が座る前に先に椅子を引き腰かけ、要件を話せと再び手で促す。
 二脚しかない、コメットの正面に腰かけた太刀津の後ろには鞘野が控えるように立った。太刀津は薄い笑みを浮かべたまま「鞘野の倅の得物を受け取りに来たので御座います」と言った。
(……あ。忘れてた)
 コメットは前述したとおり、あまり広い物事に関心を払わない。興味のない事柄はすぐに忘れてしまう。例えばそれは先ほどまで持っていたペンの場所だったり、先ほどまでなにかを飲んでいたコップの場所だったり、誰かの来客予定だったり、だ。そして今回のように、試作品の受け渡しなどもそこに含まれる。
 一度居心地を直すように座り直してから、コメットは口を開く。「ああ、なるほど。それにしてもわざわざ太刀津さんが来ることないでしょう。普段は三島……、陽向くん――三島千太なんて紛らわしい偽名をどうして奴は付けたのだろう? あとは黒柿とか、もしかしたらまだほかに名前があるのかもしれない――とか使ってるじゃないっすか」
 腕を組み肩を竦めるようにして云う。太刀津は蝋のように変わらない表情で「充は今他所で使っているので御座います。それに、たまには自分の目で、見てみたかったので。所長、貴様の作り上げた武器を。鞘野の倅は俺もよく使う。その子の得物なら、俺がしっかりと見ておきたかったので御座います」
「ハ。それは結構なことで」
「それにもう暫く会っていなかった。久しぶりに、顔を観たいと思った次第でもありまして」
「そりゃ失礼、生憎、顔をみせると“血を吐く”んでね。こんな格好ですけど」
(俺に会いたかったって? やめろやめろ、気色が悪くてゲロ吐いちゃう……)
 コメットは再度肩を竦め、今度は一応内心だけで舌を突き出しておいた。本当にやったらマスクの内側を舐めることになる。流石にそれはごめんだ。
『――ごめんなさい、遅くなって。お茶がはいりました』
 ザザ、とノイズ音が走ってから部屋に新しい声が響いた。振り返ると各部屋と廊下ごとにガラスで仕切られたその向こうに、銀のトレーにティーセットを並べたロリータ調の服を着た十代半ばほどの子供が立っていた。豊かな波打つ亜麻色の髪を一つにまとめている、人形のような顔立ちだ。
 コメットはフルフェイスマスクの顎あたりに指をやり「ありがとうリジェベット。入って」と短く言った。そのまま白衣のポケットから携帯端末を取り出し、数回タップするとリジェベットの目の前のガラスが音もなくスライドした。
 中に入ってきたリジェベットはそのままコメットと太刀津が腰かけている席までゆっくりと歩み寄りトレーを机の上に置いた。白いに青と赤の花柄模様の可愛らしいティーカップはこの子にはさぞ似合うのだろう、だが太刀津とコメットにはどうにも可愛すぎる代物だ。
 ポットから注がれる液体は緑色だった。コメットには分からないが、緑茶の匂いがふわっとかおる。西洋風のティーカップに緑茶、なんともアンバランスさをかもしている。
 ティーカップは二つとも太刀津の方へと寄せられた。
「ごゆっくり」
 少女が無表情に太刀津に似た抑揚のないシラブルでそう零すと、コメットはすぐさま手を持ち上げテーブルにのせ「いや、すぐにお帰りになる。コク式持ってきてくれるか、リジェベット。それを見たら、すぐに帰るから」
 イジェベットは一度コメットを見てから太刀津の方へと視線を移した。太刀津もリジェベットを見つめ、ゆっくりと一度頷く。リジェベットは軽く頭を下げてから部屋の中のセキュリティパネルに手をかざし、ガラスをスライドさせもと来た道を戻っていった。
 ガラス越しにその背を目で追い、顔をそちらに向けたまま太刀津は視線をコメットへと戻す。蝋のようだった薄い笑みは消え、無表情にコメットを見ている。「初めて見る顔の娘で御座いますわね」
「でしょうね。アンタと顔を合わせたのは治療の時以来ですから。アレは俺の子供です」カカカカ、とコメットは机の上に小指から順に指を落とす。鞘野が怪訝そうに眉を寄せたのが見えた。
 太刀津も「随分と大きな子供が」と、表情こそ変わっていないが不思議がるように頭を縦に動かした。
「まあ」と興味無さげにコメットは零す。
(――大きな子供ね、まあ図体だけはな)

 暫く沈黙が続いた。コメットは何も話すつもりはなかったし、太刀津は今度は無表情の蝋を固めてしまっていたし、鞘野はそもそもこの場において口を利く存在ではない。
 やがてリジェベットが戻ってきた。身長160センチのリジェベットの身の丈を優に超える大きな黒い長方形の箱を持っている。開いた手でコンコンとガラスを叩き、コメットはまた携帯端末を弄ってガラスをスライドさせた。この研究所はコメットが居る区画の扉は彼の権限が無いと開かないようになっている。
「……おまたせしました。試作型黒式銃剣九六です」
「お宅の土佐さんとの合作です。まあお気に召さなかったら土佐の方にも一本入れてくださいね」
「おもたいので、気を付けてください」
 リジェベットとコメットが交互に言った。コメットは一口もつけられていないティーカップをトレーにのせ自分の側へと寄せる。開いた太刀津側のスペースにリジェベットが大きく長く重たいらしいそれを置き、パチンと蓋を開く。
 蓋が持ち上げられ姿を現したのは、黒塗りの銃剣だった。剣の部分は今は取り外され、他にもまだ組み立てられていないパーツが紺の天鵞絨のクッションに深く沈んでいる。
 長い銃身は到底人間が扱うような長さには見えない。一般的な短期間銃剣に比べ、対戦車狙撃銃並の長さを誇るそれには、普通の銃身には見受けられない取っ手が幾つも取り付けられている。明らかに量産型ではない、“特注品”だった。
「……見事なものだ」
 太刀津は静かにそう言い、銃剣の上に手をかざし触れないまま撫ぜるように手を一度動かした。後ろから見下げる鞘野も、瞳に関心を映している。その手はそのまま上へと持ち上げられ、蓋に軽く指をかけて蓋を落とし、バタンと大きな音を立てる前に指を入れそれをゆっくりと引き抜いた。パチンと鍵がかけられる。
「動作確認が終わったら、また連絡致します」
「はいはい。どうも」
 コメットはさっさと帰れという雰囲気をおくびも隠さないまま適当な返事をする。そんなコメットを太刀津はじっと見つめていた。やがて、す、と目を細める。
「……なにか?」
 腕を組み深く椅子に凭れかかったコメットが苛立った声色を使った。
「父も世話になっていた貴方に、これからも、世話になるのだと、思って。ただ、父の頃からもう、随分と、御顔が変って仕舞われた」
 ガリ、と鈍い音がフルフェイスマスクの下から響いた。無表情にコメットの隣に立っていたリジェベットの紫色のガラス玉のような目玉がコメットの方へと滑る様に動く。そのまま太刀津へと動き、鞘野へと移った。
「……アンタの親父には俺も……いや俺より、俺の恋人が世話になってね……」やや籠った声は、震えていた。吐息が多く、意識的に深く呼吸しているようにさえ思える。
 フルフェイスの下の表情は歪み切っていた。目を見開き、頬が不自然に引き攣っている。笑みを画いた不格好な口角が、その歪さに拍車をかけていた。
「アンタの親父が生きてた時の憎悪は気が狂いそうな程だったが死んじまった今じゃ快感に近いぜ……、くっ、身震いするほどだ、アンタの其の目見てるとすげー思い出すんだよ……」
 緩く頷きながら愉快そうな色を滲ませながらも狂気を感じさせる震えた言葉は、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
 太刀津は目を細めたままコメットを静かに見つめている。鞘野は同じようにコメットを見ていたが、やはりその瞳には敵対的な色が浮かんでいる。
「アンタの其の目見てるとクソ程実感するんじゃん、今俺は間違いなく生きてて存在してるってな、嬉しくて堪んねぇよ感謝したいね……。クソ気に入らねぇ、その親父さん譲りの目玉……! どれだけ俺が潰したいと思ってるか……分かんねぇだろ……!?」
 コメットは腕を解き震える指先で太刀津の片方だけ残った目玉を指差した。鞘野は弾かれたように顎を引きコメットを睨み腰を落とす。
「貴様、それ以上、誠治様を侮辱してみろ、許さんぞ」初めて口をきいた鞘野の声は低く、怒りを滲ませていた。反射的に右腕を左腰へとやり、なにもないそこで右手は宙を掴んだ。
 コメットはそれをせせら笑う様に「ハハハ」と笑い手を下ろす。
「鞘野さん、此処は絶対非武装非戦闘区域ですよ、お忘れになったんで? クッ……、ここの警察権は全て俺にある、軍人お得意の武力行使は絶対に認めねぇぞ。言葉がお気に召さなかったなら言い直すよ。このクソガキの、くそったれのクソ親父が大っ嫌いでさぁ!? そのクソ親父の目にそっくりな目をもってる! このクソガキの目ン玉を俺が潰す前に! とっとと! それ持って帰んな、オ、ジ、サン!!」
「貴様……ッ!!」美しい顔を歪めた鞘野が飛び出そうとした時、其れよりも早く鞘野を見つめていたリジェベットが動いた。激しい機械音と共にリジェベットの服を切り裂き背中から鋭い鎌が取りつけられた多関節アームが二本飛び出した。
 コメットを守る様に伸ばされた片腕も人間ならざるものだった。展開された腕はナイフが飛び出し、幾つもの銃口が鞘野と太刀津を捉えている。ジー、という音はリジェベットの両目から響いており、少しでもおかしな動きを擦れあば脳と直結した腕はすぐさま火を噴くだろう。
「鞘野」思わず怯んだ鞘野の胸を軽く手の甲で叩く様にして太刀津は制止する。
「余り興奮すると倒れてしまうぞ、水嶋」クッ、と小気味よさそうに太刀津が喉を鳴らす。
 ――いよいよ血管が切れる音を聞いたかと思った。

「あの時殺しておけばよかった……! あのクソガキ……ッ! 焼け爛れて死んじまえばよかったんださぞ“痛かった”だろうぜ! あははは! いや、いや、ダメだダメだ! クソッ!! クソッ!!」
 ガン!! と最後に強くガラス扉を叩いたとき、とうとう常人よりも脆い手が耐えきれなくなった。白い手袋に血を滲ませていた手は手首からごっそりともげ、床に落ちる。コメットはそれを蹴とばし、手首を見て、それにさえ苛立ったかのようにうんざりとした声を喉の奥から絞り出し手首のもげた腕で扉を殴った。綺麗なガラス扉に血が滴り、痕を引いては汚していく。
「オジサン、手当てしないと。出血多量で倒れるわ」
 リジェベットが無表情に後ろから声をかける。だがコメットはちょっと待てという様にそちらを見ないまま掌を突き出し、そのまま額に手をやり前髪をグシャグシャに握りつぶす。
「まあ待てよ、今はちょっと血抜かねぇと頭の血管が切れそうだ、クソ……よしよし、貧血で落ち着いてきた……。……よし、オッケー。治そう。手首拾っといて」
 コメットは深呼吸してからクラクラする頭に手を添え乍ら、快活に近い声色でそう言った。


 “――駄目だ! お願いだ、止めてくれ、俺が、俺がもう一度彼奴に考えさせるよ、だから”
 “――いいの。私この任務に付けることを心の底から誇りに思っているの”

 彼女に縋って咽び泣いていた。肩を掴んでいた手はやがて彼女の服を握り締めていた。
 あの日は彼女の誕生日だった。カウントダウンの始まった日。
 太刀津誠治が彼女に特攻を言い渡した日。
 忌々しい程に、こちらを見透かしてくる、あの血族特有の紅い瞳……――。


「――……オジサン。ねえ。オジサン。……お父さん」
「……父さんって、呼ぶなって……タコが、いい加減覚えたらどうなんだ」
「オジサン、魘されていたわ」
 ゆっくりとコメットの意識が浮上した。コメットを揺り起こしたリジェベットは静かにそう告げる。
 どうやら処置の間に寝ていたらしい。手を持ち上げると、ごっそりともげていた右腕の先はしっかりそこに存在していた。動作も問題ない。
「……お疲れさん、寝てな、リジー」
 コメットはリジェベットを一瞥することもせず、冷たく聞こえる声色でそう告げ、ゆっくりと肘おきに手を置き深い処置椅子から立ち上がり、血で汚れた白衣を脱ぎ捨て、やはりゆっくりと区画を移動していった。

 彼の寝室とも呼べる部屋に来た時、後ろの扉が閉まるのと同時にコメットは膝から崩れ落ちた。その衝撃で膝の皿が割れそうになるが、そんなことは今関係なかった。
「あ」
 処置の際に装着していたカップマスクをかきむしるようにして取り外し、コメットは自らの顔を両手で覆った。体が震え、強張っている。
「あっ」
 大きく目を見開き、おなじように口も開いていた。ボロ、と涙がこぼれたのを皮切りに、もう止まらなかった。
「あ゛っ」
 顔を覆っていた両手でリノリウムの床に手をつかないと、最早体を支えていることもままならなかった。うつむき、見開いていた目も口も、震える体も感情も止まらなかった。
 オオ゛、ともウウ゛、ともアア゛、とも取れないような、うめき声じみた嗚咽が喉の奥から無理矢理顔を出す。それらはつっかえつっかえに出てきては、喉を擦切らすかのようにして出てくる。
 爪がリノリウムをひっかこうとするが、ツルツルと滑るだけで手に踏ん張りがきかなかった。もだえるような指先は、力が入りすぎて行って真っ白になっている。
 腕に取り付けたアラームがうるさく鳴り響く、体温が上がりすぎているのだ。それと連動して部屋の空調が一気に部屋の温度を下げる。ああ、苦しい。苦しい。

 ――憎くて気が狂いそうだ、今すぐにでも殺してやりたい。

 ――いや違う、彼女が死んでしまった。そうだ、彼女が死んでしまったのだ。彼女が死んでしまった!!

 やがてコメットはゆっくりと、フラつきながらも立ち上がった。
 その顔に表情らしい表情はなく、まるで精密に蝋で作ったかのようだった。吐き出す息が白くなければ、生きているのか疑うほど真っ青なその顔には、それほどまでに生気が感じられない。あまりにも無機質だった。
 コメットはしばらくその場で立ち尽くしたまま動かなかった。吐き出す息だけが白く、まるで魂だとか、感情そのものを吐き出しているようにも見えた。
「……馬鹿らしい」
 どこまでも冷めた一言だった。白い息を吐き出しているのに、感情がまるで感じられない。その顔に相変わらず表情はない。
 吐き出す息だけが白かった。

 
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『エフィメラ』の改変。
10.9.8.7.6.5.4.3.2.1...

作業用BGN「Greg Laswell/Come Clean」

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