元気な軍人どもは年を喰っても元気なものだと、他人事のように思う。
 この春に開催されたこの白黒教師合戦とでも呼べばいいのだろうか。こんなお祭りのような催物に参加したのは、担当している学科の生徒から「せんせーがんばってー」等と黄色い歓声をあげられてしまったからだ。これは頑張らないとってものだろう。
 だが、元気に走り回る同僚を見ていると、どうも、若いなぁと思ってしまう。



 久々に旧式の軍服に袖を通した。本格的な子供達すら駆り出すこの嫌な戦争が始まってから、新しい軍服に統一された。
 暫く採寸していない為に少し釦が悲鳴を上げるかと思ったが、そんなこともなく。昔と全く変わらないというわけにはいかないが、そこには過去があった。

 だから、どうしてこんなにも、重いのだろうか。

 嗚呼、同期が肩に乗っているのかと一瞬思って、頭を振ってそれを散らした。それはない。奴らは今頃空の上で毎日宴会をして俺のことを待っているのだ。そんな連中がまだこの世に留まっているわけがない。盆なんかは降りてきて俺たちの宴会に混ざっていそうだ、なんて。過去の栄光が映る姿見を見ながら笑ってしまった。
 少し得意げな表情が鏡に映る。胸元の襟を整えて、帽子をしっかりと被り直してみれば、ほら!まだ見られるほうだろう。女生徒にも“先生ってダンディーな感じがして好き!”なんて言ってくれる子がいるのだから。
 そして俺はそんな顔をしわくちゃにして、連中に“だれだお前!”と叫ばせるほど年を喰ってから死んでやると心に決めているのだ。



 すっかり箪笥の匂いの染み込んだ軍服は、まだしっかりと動いてくれた。そして木の槍を構えた腕も脚も、しっかりと動いてくれる。一度染み込ませたものはなかなか消えないのだと、どこかの誰かが言っていた。
 一応これでもまだ時々前線に出ている身だ。はしゃぐ同期たちに、同じ教師である敵軍に負けないように、すっかり若いころに戻ったかのようだった。

 だが、ふと目に入ったその黒に、視線を奪われた。すっと校舎の細道を行き大きな乱闘ともいえる戦いが起きている中庭から抜け出した。
 俺は今相手していた男を適当に受け流し、その男を追った。



 昔。もうずっと前。服も考えもずっと昔のもので、すり切れて褪せていない、鮮明だった頃。そして、何よりも頭が固かった頃。
 俺たち白の騎馬が畏れる男が黒には数人いた。部隊や配属されていた土地の関係で俺はそれら全員を知っているわけじゃあない。一人は黒き馬を操る豪快な修羅のような男だったらしい。
 でも、俺がもっと間近で見ていた男。顔に桜の枝の墨を彫り、花を散らした粋な面したそいつの操る槍には何時も紅く長い紐が結ばれていた。今の時代なら赤軍かといわれてしまいそうだ。
 その赤い紐はまるで龍の髯のようだった。ながく、なめらかで、なににも絡まらず、地に落ちない。それでいて、桜に結ばれた約束の紐の様に見るものを惹きつける。
 その流れる赤を見ただけで俺たちは奮闘した。
 とても遠くのほうにその赤が見えただけで、俺たちは槍を構え直し、新たに胸に覚悟を抱いた。
 “桜龍が来る!”そう同胞が吠えるだけで、例え其処に桜龍が居なくても味方の兜が締まるほどだった。
 それほどまでに、恐ろしい程に、強い男だった。それでいて、俺達すら魅了する程に、素晴らしい騎馬と槍の技術を持つ男だった。

 今でも鮮明に記憶に焼き付いて離れない。流れるような赤で宙に世界を画くそいつは、同期や、先輩や、後輩の首を飛ばしていった。忘れるわけがない。離れるわけがない。
 鮮やかだった。悲しむ暇もなかった。なんてことないように人の首を飛ばす様を見て、この男には敵わないと悟った。それでも向かっていったのはそれ程までに強かったからだ。
 この男に殺されたいと思った。この男を殺したいと思った。
 龍の首を落とすことなど出来ないと思ったが、 それでも向かわずに居られなかった。結局、俺は桜龍を殺すことも、桜龍に殺されることもなく、桜龍は戦場を去った。風の噂では死んだと聞いていた。

 だが、見間違えるはずがない。当然だ。見間違えるなんてことは断じて有り得ない。
 首から頬、額へと伸びる花をつけた枝。左の頬に散る桜の花。槍につけられた彼の褪せた髯。何もかもが昔の通りとはいかないのだと。だが、生きていた、それだけで十分だ。



「あんた……、生きてたんだな」

 そう声をかけると、一服していた桜龍はその金の瞳をこちらに向けた。ああ、老けたな。だなんて。当然のことを当然のように思う。彼の体は少し軽くなったようだった。

「……うん?誰だいお宅は」

 初めて聞いたその声は、想像していたよりも高い声だった。かといってガラスを割ったような声をしているのではなく、あくまでも想像していたよりも、というだけ。低く滑らかで聞き取りやすい、良く似合う声だった。
 今までは閻魔大王のような声を想像していたのだ。

「いや、失敬。何度か、戦場で会ったことがあるんです。……俺たちはアンタのその赤い紐を見るたびに生きた心地がしなかったんだぜ、桜龍さん。また会えて嬉しいですよ」

 桜龍は紫煙を、俺にかからないように斜め下方へと吐き出し、怪訝そうに目を細めた。

「おうりゅう?」
「あんたの呼び名ですよ。その赤い紐が龍の髯に見えてたもんでね。桜の龍で、桜龍です」
「へぇ、そいつぁ、随分洒落て粋な名前付けてくれてたもんだ」
「だろ?」

 小さく笑い感慨深そうな桜龍の表情に釣られるように、俺もきっとそんな笑みを浮かべたんだろう。

「なぁ、桜龍さん、俺は貴方の名前を知らないんだ。よければ、教えてくれませんか」

 俺はあの桜龍と、こんな風に話していることを半分ほど信じ切れていない。もしかしたら全部幻なんじゃないかとも思う。咲初めの桜を、この学校で見たからかもしれない。だなんて莫迦なことを考えたりして。
 桜龍は少し俯くようにして吸っていた紫煙を吐き出して、それと共に名を吐き出した。後ろに撫でつけ、少しだけ額に垂れた黒髪が揺れた。

「……そうか、いい名前だな。……ふふっ、だが少し、貴方には似合わないんじゃないか?」

 胸の中で何度かその名を反復させると、失礼だと思うがすこし、肩が震えるのを止められなかった。
 だが桜龍に気を悪くした様子はなく、寧ろ少しばかり愉快そうに、さっきの俺を真似るようにして

「だろぅ?」

 だなんて。
 だが、再び顔を持ち上げた桜龍は少しばかり驚いたような顔をした。だが何も言わずに、すぐにそれを消した。
 何か言おうとしている風だったが、俺は先に口を開いた。

「志違えど、今は同じ教師か。また会えて本当に嬉しいですよ」

 槍を構える。ここに馬は居ない。

「どうか、構えてくれ、頼むよ。後生善処しますから」

 笑顔でそう声をかけると、桜龍は煙草を落とし、踵でそれを踏みつぶした。肩と腕で転げないようにしていた赤い髯の伸びる槍を持ち、構えるその姿は、何もかもが昔の通りとはいかないのだと。

「……ありがとう。お前に斬られた仲間の分、負けられないな!」

 きっと俺は若い笑みを浮かべていただろう。桜龍も、そんな笑みを浮かべていた。








 空が青い。見上げる空が青かった。








「空が赤い」








 昔見ていた空は何時も赤かった。目をつむり、震える息を吸い込んだ。きっと俺は今、笑っているんだろう。








「俺の空は、蒼いですよ、桜龍殿」








 見上げた空が青かった。昔見上げていた空はいつも赤かった。
 地面に倒れた桜龍が、眩しそうに空を見上げている。その隻腕の体を持ってして、桜龍は俺を押していた。強かった。矢張り桜龍は強いのだと、興奮した。
 それでも、昔よりも細くなり、欠け、衰えた体は、何もかもが昔の通りとはいかないのだと悲鳴をあげた。
 執行部の確認が済んでから、喉を鳴らし笑う桜龍を助け起こそうとして手を差し伸べた。掴んでくれないものかと思ったが、桜龍は握り、引っ張ってくれとその金の瞳で訴えた。
 悔しそうな色だった。それでいて後悔も何もない澄んだ色をしていた。それでいてひび割れているような、歳により褪せたその琥珀色は、過去を思い出させるのに十分すぎるほどだった。

「俺はあなたに、勝ったんですね」
「ああ」

 俺はもう一度空を仰いだ。相変わらず青い。憎らしいほどに。記憶と違う青い空。俺は笑っているのだろうか。
 俺のつぶやきに応えた桜龍の声は、穏やかだった。

「貴方が恐ろしかった」
「そう」

 この男は同期のほとんどを殺した。

「貴方が憎かった」
「そう」

 この男は同胞を数えきれないほどに殺した。

「貴方を殺したいとずっと思っていた。今も思ってる」
「……そう」

 今すぐにでも首をしめて殺してやりたい。

「貴方に憧れていた」
「そうか」

 この人に殺されたい。

「貴方のようになりたいと思った」
「……」

 この人の様になりたかった。

「俺は、……あなたに、……勝ったんですね」
「……ああ」

 俺のつぶやきに応えた桜龍の声は、穏やかだった。どこまでも穏やかだった。まるで空のようで憎らしかった。
 崩れ落ちた拍子に涙がこぼれた。それが嫌で槍から手を離して両手で目元を覆った。膝をつき空を仰ぐようにして、あえぐようにして噎び泣いた。
 それを桜龍に見られるのは酷く嫌だったが構っていられなかった。この人の様になりたかった。この人を殺したかった。この人に勝った。同期に誇らしい感情を抱いた。殺せないことに対して同期に心の底から謝った。空が青いのが理由もなくただひたすらに憎かった。
 それでも清々しかった。これ以上ない程。

「俺たちの間で……、アンタ、自分がなんて呼ばれてたか……、知ってるかい?」

 桜龍が言う。
 初耳だ。涙がようやく引っ込んできたところだった。滲んだ世界は相変わらず空を蒼く映していたが、覗き込むようにしている琥珀のほうに目を奪われた。
 二、三度瞬きをして、良好な視界を手に入れる。覗き込み陰になったその口元は、笑っていた。

「アンタはな……」

 その言葉に面喰った。それを面白そうに桜龍が、まるで子供の様に笑う。そうすると桜が揺れるのだと、初めて知った。




 清々しい気分だった。まだくすぶっているものはあるが、とても軽くなっていた。勝敗のアナウンスが聞こえたが右から左。

「花見、なんて、どうですか。まだ咲き誇っているわけじゃないが、綺麗だと思う」

 粋だねぇ、なんて笑う桜龍は快く誘いに乗ってくれた。話したいことがある。一晩くらいなら、許されるだろう。

「いっとくがね、俺はザルだぜ」
「おっと、じゃあ賭け酒はしないでおこう」
「腰抜け、ビビってんのかい」
「ビビらずには居られませんよ」

 肩はもう軽かった。

[ prev /目次/ 次項 ]







タップで読むBLノベル
- ナノ -