食堂に居残ってダラダラと喋っていたらずいぶんと時間が経っていた。アルミンに聞くつもりだった課題のことを思い出し、連中より一足先に宿舎に戻ることにした。
もうすぐ秋だというのに今日も暑くて、この時間になってようやく涼しい風が吹いてきた。
食堂を真っ直ぐ進んだ先、男子宿舎と女子宿舎に分かれる道の奥に、植木に囲まれた小さな広場がある。何となくそちらに目をやると、真ん中にそびえ立つ大きなクヌギの木を囲むベンチに人影が見えた。
こんな時間に?
立ち止まって目をこらすと、うぅーんと唸りながら伸びをしている姿が確認できた。少し離れた宿舎の弱々しい灯りじゃ顔までは分からない。
「そこにいんの、誰だ?」
「…ん?ジャン?」
「…ナマエか!何やってんだこんなとこで」
思いもよらない相手に会えた嬉しさで思わず声が弾んだ。
「涼んでるの。どういうわけか今日のお風呂すっごく熱くてさ。やめときゃいいのに嬉しくて長居しちゃった」
汗ちっともひかなくて。
上着を片手にへらへらと笑う隣に座ったら、石けんの香りがふわりと漂った。
「お前分かってなさそうだけど結構涼しいからな、今」
「あ、そう?」
暗がりに目が慣れてきて、ナマエが着ている服も表情も何となく見えてきた。
「そんな薄着じゃ風邪ひくぞ」
いや、風邪も心配だがそれよりも。
「…お前、誰もいないからって無防備すぎるだろ。上をちゃんと着とけ!」
「え?」
「そんな寝る時の格好で外に出るなよ。いくら同期だって言ったってなぁ、お前のこと狙ってるヤツが良からぬ気ぃ起こしたらどーすんだよ。俺みたいな紳士ばかりじゃねぇんだぞ」
「…紳士…?」
「紳士だろ」
「大丈夫だよ。ジャンじゃなかったら、さっさと宿舎に戻ってた」
「……ずいぶん嬉しいことを言ってくれるじゃねぇか」
「たまには、ね。誰もいないし」
お互いに対する気持ちを自覚していたものの、人目を気にしてか、普段ナマエがこんな風に分かりやすく好意を伝えてくることはあまりなかった。早めに食堂を出てきて正解だった。
「ここにいたの、私でよかった」
「あ?」
「他の子…ほら、最近ジャンにまとわりついてるあの子とかさ」
「俺はお前じゃなかったら、お疲れって言って宿舎に戻ってた」
「ホントに?今日なんて私、押しのけられたんだよ。片付けの時だってジャンの…」
上着を羽織りながら拗ねた口ぶり。
珍しく二人きりになれた今、やきもちも不平不満も隠そうとしないのが新鮮で面白かった。いつも何食わぬ顔でやり過ごしているのが嘘のようだ。
「そんな心配、するだけ無駄ってやつだろ」
「…それなら良かった」
小声で嬉しそうに呟くナマエと肩がぴったりと触れあっていた。この距離感があまりにも自然で、改めてナマエとはこうあるべきだったんだと確信する。
目が合ってどちらからともなく重ねた唇はしっとりとして熱っぽかった。
「…紳士が聞いて呆れる」
「うるせえ。それよりお前な。まだすげぇ温かいけど、ほんとに風邪ひくぞ」
多少はマシだろうと抱き寄せたら、待ってましたとばかりにくっついてきた。
「そろそろ消灯だし戻らなきゃね。せっかく二人きりになれたのになぁ、もう」
「明日また会えばいいだろ」
「いいの?」
「いいも何も…そう思ってんのはお前だけじゃねえんだよ。察しろバカ」
「やったー」
無邪気に抱きしめられて思わず笑う。こんなことならばいつまでものらりくらりとしてないで、さっさと収まるべきところに収まっておけば良かったんだ。
束の間の別れを惜しんでもう一度キスをした途端、後ろからガサリと音がした。
慌てて振り返ると、か細いロウソクの灯りを向けられていた。
「おいおいおいおい。まじかよ。お前らそういう関係…」
「あっ」
「コニー…」
野郎、絶対にニヤけてやがる。表情は見えないが声色で分かった。一体いつからそこにいたんだろうか。いつもなら最後まで食堂に居残ってるくせに。
「ジャン、お前アルミンに用があるんじゃなかったのかよ」
「う…うるっせえな!お前には関係ね…」
「あ!おいサシャ!」
言うが早いか、コニーはロウソクの火が消えてもお構いなしで食堂の方へ走り去ってしまった。こうなってしまってはもう手遅れだ。口の軽いふたりの手に掛かればあっという間に噂が広まるだろう。
宿舎に戻ったら、ナマエを狙っていた連中は一体どんな顔で俺を出迎えるんだろうか。遠くで聞こえるコニーたちの声をぼんやりと聞いていたら袖を引っ張られた。
「ねえジャン」
「?」
「ずっと好きだったよ」
そうだ。
噂だとか何だとか、そんなのはもうどうでもいい問題だ。
今なら素直に好きといえる腕の中にすっぽりと埋もれたままのナマエが
最高の笑顔を見せた