無意識、だった。
「……あの、大丈夫ですか?」
「……え……?」
「腕。今日、ずっと触ってたんで、その、」
「……あ。ううん、大丈夫……何でもないの」
でも、と腑に落ちない表情を浮かべた春樹さんに本当に平気よありがとうと小さく微笑めば、彼は言葉を飲み込む。
行くなと掴まれた腕を振り払った時からずっと、なのかは分からないけれど、少なくとも春樹さんと会ってからオペラ観賞を終えたこの瞬間までは腕を触っていたらしい。
荘くんに掴まれていた場所を、春樹さんに指摘されるまでずっと、気付かずに。
「春樹さん」
「はい」
「この後、お時間ありますか?」
私ったら、ダメね。
目の前の事に、春樹さんとの時間に、集中しなければいけないのにとバレないようにため息を吐いて、言葉を綴る。
せっかくのオペラだ。初めてだと言っていた春樹さんが楽しめたどうかは分からないけれど、私はオペラが好き。
春樹さんの都合が良いなら、このまま食事に行って感想を聞けばきっと有意義な時間になるだろう。
「よろしければ、おしょ」
「彗那」
「っ、」
しかしそれを許さないと言わんばかりに響いたのは、背後から聞こえた覚えのあるその声。
私の言葉を遮ったそれに応えたくなんてないのだけれど、どうしてだか視線はそこへと向かう。
「……そ、う、くん、」
「帰るぞ」
「な、んで、やだよ……私、」
「彗那」
「私、春樹さんと、」
「オペラは許した。だがそれ以外は許さない」
あっという間に距離を詰めた彼は、およそ一ヶ月前のあの日と同じように私の腕を掴み、早くしろとその腕を引いて急かす。
しかしそれを拒めば、先程よりも大きさを増す荘くんの声。
オペラが終わりホールの扉が解放されたとはいえそこはまだざわざわと騒がしいのに、それは周囲にも響いたようで途端に無数の視線が集(つど)う。
「彗那、こんな子供染みたやり方はもうやめてくれないか」
「……っな、」
注目されて困るのは荘くんなのに、どうして。
なんて疑問は、浮かんですぐに消えた。
「寂しい思いをさせて悪かったと反省してる。だから、彗那が他の男とオペラに行くのを止められなかった。でも、俺には彗那しかいない」
「……な、に……言って、」
「なぁ、彗那。どうか、俺を見捨てないで欲しい」
「……っ」
「お願いだ、彗那」
やられた。
そのフレーズが頭に浮かんだけれど、全てがもう遅すぎた。
ひそひそと周りで囁かれ始めた言葉達。
次々と生み出されていくそれらは、確かに鼓膜を抜けて行くのだけれど、処理が一向に追いつかない。
「……春樹、さん」
「……は、はい」
「もう迎えは来ているはずなので、ご自宅まで送ってもらってください」
視線は荘くんへと向けたまま、すぐ側に立ち尽くす春樹さんに言葉を向ければ、ほんの少しだけ腕を掴む力が緩む。
私の言葉の意図をそのままに受け取ったからか、春樹さんとの会話を遮るような真似はされなかった。
「え、でも、」
「私は、荘くんと話す事があるので、」
私は、甘く見ていたのだろう。
「……そうでしょう?」
「……」
「荘くん」
ふ、と僅かに口角を上げた、この男の事を。
私を縛るのはいつだって、 (春樹さんまで巻き込むなんて)