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「今日は満月なんだって、荒井くん一緒に見ない?」
いつものように二人で昼食をとっていると、園咲さんが突然そう言い出した。正直彼女はそんなことに興味を持つ人じゃないと思っていたので驚いた。しかしそれは言わないでおく。もし言ったらぶーぶーと長い間文句を言い続ける事はわかりきっているからだ。
「そうですね、では園咲さんの家の前ででも」僕がそう言うと彼女は不満そうに声を漏らし、「ここで見たい」と下を指差した。
「『ここ』ってまさか、屋上ですか」
「そーそー。折角見るんなら高いところの方がいいでしょ?」
さも当然のようにさらりと言い放ち、まるで小さな子供のように彼女は笑った。「名案だと思うんだけどなー」
園咲さんは教室では(今の彼女と同じ人だと思えないほど)大人しい。先日なぜかと聞いたら、女の子同士の付き合いって結構面倒なんだもん、と言っていた。
話しかけられれば返事をするのだけれど自分からは話しかけないようにしているらしい。だからクラスでは「真面目でしっかりした人」だと思われている。
しかし実際はそうでもなく、今のように突拍子もない事を言い出したり実行したりする。もしかしたらクラスの女子達の方が真面目なのではないかと僕は思う。
彼女の言動に呆れることもしばしばあるけれど、そんな教室では見せない一面を、彼女の本当の姿を、僕だけが知っているのだ、そう思うと許せてしまう。まったく単純な男だと思う。
今度の提案にも僕は笑って「そうですね」と言った。同時に予鈴が鳴る。タイミングばっちりじゃんと彼女がまた笑った。
「じゃあまた夜に校門で会おうね」「ええ」そんな会話をして僕たちはばらばらに同じ教室へ向かう。
僕と一緒にいることが噂になって色々聞かれると面倒だからという彼女のためだ。(「僕は構いませんが」と言ったら「私が困るんだってば」と怒られてしまったのでもう言わない)
教室に入り彼女の席をちらりと見ると、もう着席して授業の準備をしている。屋上とはあまりにも違う彼女の姿に、ついくすりと笑ってしまった。

約束の時間の5分ほど前に校門に着くと、彼女はもう待っていた。小走りで駆け寄る。
「お待たせしてしまいましたか」
「ううん、楽しみだったから早く来ちゃっただけ」
「では、早く屋上へ行きましょうか」
「あ、うん」
「どうかしましたか」
「いやあ、てっきり『小学生みたいですね』とか言われると思ってた」
「そんなことを言ったらまたうるさく怒るでしょう」
「なにおう!?」
そんなやりとりをしながら門を乗り越えて校舎へ向かう。
あまり騒ぐと見つかってしまいますよ、と言ったら彼女は素直に口を噤んだ。そんなところも可愛らしく見えてしまう僕はもう末期だ。
宿直の先生に見つからないように、静かに静かに屋上へ向かう。夜の校舎は暗くて不気味だけれど、彼女はとても楽しそうだった。こっそり忍び込むのが面白いのだろう。ちょっとした冒険をしている気分なのかもしれない。
思っていたよりあっさりと扉の前まで来られた。「あっ」すっかり忘れていたが、鍵がかかっているかもしれない。そう伝えると、彼女はにやりと笑って鍵を取り出した。「ふふふ、昼間に盗んできちゃった」
いつの間にそんなことを……。驚きながらも呆れる僕を尻目に、園咲さんはがちゃがちゃと鍵を回す。「はい、開きましたー」ノブを回し扉を押すと思いがけず大きなギイイという音がして、これには僕も彼女も焦ってしまった。急いで扉の内側へ。屋上に出ると、「びっくりしたね」とまた彼女が笑った。

「おお……まるい……!」
「満月ですからね……」
空を見上げて感嘆の声を上げる彼女にそう返事をし、持参したレジャーシートを広げる。彼女が少し驚いた顔をした。
「ちょー準備いいじゃん、さすが荒井くんだ」笑う彼女に不覚にも心臓が跳ねた。
「……寝転んで星を見てみたいと言っていたでしょう」
「え、あー!覚えてたんだ!私は忘れてたのに」
僕があなたの言葉を忘れるはずがないじゃないですか、と言ってみたかったけれど、気恥ずかしくなってやめておいた。僕には似合わないだろうし。こういうセリフは風間さんなんかが言うものだ。
代わりに薄く微笑んで、どうぞ、とシートを軽く叩いた。

昼間はまだ暑いとはいえ、やはり秋の夜は少し肌寒くて、半袖の僕たちは自然と寄り添って転がった。ふわりと香った園咲さんの香りにくらりとする。広がった長い髪が綺麗だ。触れる肌にも、心臓が勝手にどきどきと跳ねた。
気持ちを落ち着けるように息を吐いて、空に目をやる。
都会とも田舎ともいえないこの町の空は、澄んでいるともそうでもないともいえないなんとも微妙なところ。あまりたくさんの星は見えない。(冬に来たらもっときれいに見えていただろうか)けれど満月はこの空の中でもとても美しく、眩しいくらいに輝いていた。
月をこんなにまじまじと眺めたのはいつ振りだろうか。もしかしたら初めてかもしれない。心が落ち着くような、ときめくような、不思議な感覚だ。しばらくその心地よさに浸る。(そうだ、)園咲さんはどんな表情でいるのだろう。ふと気になって、隣に目をやる。

「あ」
目が合ってしまった。まさかこちらを見ているなんて思ってもみなかった、思わず体が跳ねる。
「あは、荒井くんがびっくりしてる。レアじゃない?」
「……いつから見てたんですか」聞いてみたけれど、彼女はさあどうでしょう?なんてにやにやするばかり。
「私、こんなふうにちゃんと月見たの初めてかも」
「そうですね、僕もです」
「おお、意外。荒井くんは月とか星とか大好きだと思ってた」
「どういうことですか……」
「なんとなく、イメージだけど」
「はあ」

「…………ん?あ……!宿題やってない!」
「この状況で思い出しますか……明日の朝でよければ、僕のを見せてあげますよ」
「やった!ありがとー荒井くん愛してるー!」
「…………」
「あれ?照れてる?」
「っ、照れてなんかいません……!」
「おお、むきになってる」
「……………………」
なんとなく面白くない。さっきからずっと、僕が一人でどきどきしているじゃないか。だいたい園咲さんは自分がどんなに可愛らしいかまるで自覚がないのだ。そんなだから風間さんみたいないい加減な人が寄ってきてしまうのだ。本当は僕の他の男なんかと話してほしくないのに彼女は、……いやいや、僕は何を言っているのか。気を取り直して、なんとかして彼女を照れさせてやれないものかと思案する。……あ。ひとつだけ案が浮かんだ。ありきたりで、しかも気障な台詞かもしれないけれど、この状況にはぴったりだ。僕は決心する。また心臓がうるさく鳴り始めたのを抑えて、なるべく平静を装った、いつもの声で。




「月が、綺麗ですね」




園咲さんは一瞬きょとんとした顔をして、それからまた悪戯っぽく目を細めて言った。


「荒井くんの方が綺麗だよ」


思いがけない返事に目を見開くと、してやったりといった表情の彼女。
月明かりに照らされた真っ赤な頬が、ひどく愛しかった。




3/18 加筆修正


















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