「今年、トウヤが旅に出る。もしかすると、カノコに行くこともあるかもしれない」 「そう、やっぱりあの子は旅をしたいのね。じゃあ、帽子でもプレゼントしようかしら。ヒウンで、トウコの分もお揃いで買ってあげてよ」 「それは良い。トウヤはブラック、トウコには、ホワイトが似合うかな」 * その部屋から戻った彼女を、もう誰も、場違いだと指差すことはできないだろう。 彼女は、英雄に為った。 女神は部屋に留まるようだった。ドアを開けて外に出ると、不安げな顔のトウヤが待っていた。トウコの顔を見ると彼の表情には明るさが戻り、次に神妙になった。 「竜に、会ったのか」 「うん。廊下には、収まりきらないな」 トウヤは少しだけ笑って、そうか、と答えた。訊いたのはそれだけで、他に何を話してよいかわからないようだった。長く、天井の高い城の廊下を進みながら、トウコは今までのことを思い出していた。 ライモンで再会してからの日々、トウヤはいつも私のことを気にかけてくれていた。 いや、ライモンで会ったときも、彼は初め私に気づいていながら黙っていた。それはきっと、私の辛い記憶を思い出させないためだったのだろう。 たとえそれらが行きすぎた思い遣りだったとしても、私はそれに感謝すべきなのではなかろうか。 「トウヤ、ずっと心配していてくれて、ありがとう」 その爽やかな微笑みに心奪われ、トウヤは胸が締め付けられるようだった。 「何だよいきなり。」 「言えるときに、伝えておいた方がいいかなと思ってさ」 その言葉を聞いて、トウヤは何かを言い出そうとはしたが、結局言葉にはならなかった。伝えないことに、決めていた。 3つめの階段を上がっていた時、トウコのライブキャスターに着信があった。ジムリーダーのアロエからだった。 『もしもし!?トウコ!?やっと繋がった』 電波の情況が悪く、画像や音がたびたひ飛ぶものの、かろうじて会話ができた。アロエの近くに、他のジムリーダーも数人いるようだ。 「大変なんです、チャンピオンリーグが、」 『知ってるさね。アタシらももうすぐ着くから、アンタは早まらないでおくれ』 「アロエさん!!私は、竜に会ったんです。後は」 不意に廊下の先から、初めて聞く声がした。トウヤは素早く、トウコを庇うように身構えた。 「おやおや、随分みすぼらしい格好で登城なさるわ」 角を曲がって現れたのは、落ち着いた紺紫や深緑のローブをまとった老人たちと、廊下を埋め尽くすほどの数のプラズマ団員だった。七賢人様、と呼ばれた老人が、見下すようにトウコに語りかけた。 「これ以上あなたを進ませるわけには参りません。そして、ゼクロムも返してもらいましょう。あれはN様の持つべきものだ」 男達のはっきりとした敵意に、哨戒役のチコリータはうなり声をあげた。 ベルの妨害から、プラズマ団がトウコをよく思ってはいないことが判っている。Nは戦いたいと言っていたのに、プラズマ団は足止めをしようとする。それに、先程の女神たちはプラズマ団ではないのだろうか。プラズマ団も、一枚岩ではないのだろうか。 相手の挑発に乗るかのように、少女は反駁した。 「こんなところまで、渡しに来てあげたわけないでしょう。Nは何処?」 「威勢のいい小娘だ。仕方ない」 「トウコ、下がって!」 トウヤに腕を引かれ、数歩後ろへ戻る形になる。見れば七人の賢人達とその御付きの者達は、めいめいのモンスターボールを構え、手持ちをくりだしていた。広い廊下を埋め尽くす敵に、たった二人で立ち向かわなくてはならなくなっていた。 トウヤはまず、前線のチコリータの支援に、守りに堅いギガイアスをくり出した。まずは攻撃重視ではなく、守備に重きを置いた戦略を採ったのは、彼が迷っていたからだ。 もしかすると、今が、トウコを「普通の女の子」にする最後のチャンスかもしれない。竜を渡して、 英雄でもなく、ただのトウヤの妹に。そしてそれこそが、妹を守ることに繋がるのではないか。 『これは無理だ、帰ろう』 『Nを倒すのだって、トウコがやる必要ない』 『アデクや四天王が、きっと何とかしてくれるさ』 『痛い目みないうちに、逃げよう』 『英雄なんて、お前には似合わない』 14年間トウヤが生きてきた道筋をなぞるように、妹を庇護し、運命を天に任せた物言いは幾らでも浮かんだ。 ところが驚くことに、浮かんだ言葉のうちの1つは、憎らしい青年の声だった。 ――『そうやって、傷を舐め合っているから』 ――『共に在るべきではない!』 Nが吐いた棘は、ずっと少年の中に刺さったままだった。喉の奥の棘を押し流すように、トウヤは唾を飲み下し、心を決めた。勝機がなかったとしても、トウヤは、先に進むことを決めた。それで自分がいくら擂り潰されようと、いくら心を裂かれようと、立ち止まらないことを決めた。 「此処は俺がなんとかする。トウコはNのところへ行くんだ。」 「なんとかって言ったって、こんな人数相手に!?」 「後ろからアロエさんもチェレンも来てるんだろ。それに、俺だって結構強いんだよ」 目配せすると、敵に聞こえないように、トウヤはトウコの耳元で囁く。少女の腰に回そうとした手は惑い、止まって、代わりにモンスターボールを握った。 「いいか、プラズマ団が塞いでるのは、地上の道だ。俺のウォーグルがお前を掴んで天井すれすれを飛ぶ。絶対に安全だとは言えないけど、たぶん最善策だ」 廊下を埋め尽くす密度の敵を、トウヤ一人で相手にするのだ。そんな敵の上を、愛しい娘に飛び越えさせるのだ。しかし、大人数を相手に共倒れを待つよりは、そうするほかないと思われた。 トウヤは不安に胸を潰されながらも、空元気でトウコを見送ろうとした。チコも二人を気遣い、声を上げた。 「行ってこい」 その決意を前にトウコも、もう迷えない。 「……ありがとう、行ってきます。」 トウコがジャローダをボールに収めると、ウォーグルの爪が優しく少女の腕を掴み、飛び上がった。それを確認してトウヤはチコを呼び出し、ウォーグルに指示を出した。 「ウォーグル、ちからづくで、ブレイブバード!」 プラズマ団の幹部とその手下達はそれを止めようとするが、風圧とウォーグルの闘気に気圧されて有効な手を打つことはできなかった。 廊下の先まで飛んだウォーグルはそこでターンしながらトウコを放し、追っ手を阻むため翼を広げて立ちはだかった。空中で放された少女は慣性を殺しながら、猫のようなばねで前転し、着地する。 「ありがとう、ウォーグル!」 少女は、目を閉じていたから知らなかった。彼女が何の攻撃も受けずに飛び越えられたのは、チコが放った無数の葉の目眩ましによるものだと。その攻撃で仕留めた経験値によって、ベイリーフに、そしてメガニウムに進化したことも。トウヤが今まで進化を拒ませていたのは、兄妹の絆の証としての姿を、大事にしていたからだということも。 彼女が知っている以上に彼女は守られていて、少女が思っている以上に少年たちは成長する。日々の蓄積が開花するように、チコは進化を遂げた。悔しさに踏みにじられながら、少年は心を熟成させた。 トウコはウォーグルの背越しに、人集かりの先にいるはずのトウヤを見遣ると、Nの元へ向かって走りだした。 「小僧、小賢しい真似をッッ!!!」 「人が多すぎて追いかけるのもままならないだろ。人で廊下を埋め尽くしたのは失敗だ。策士策に溺れるってな」 メガニウムとトウヤは、トウコの無事を確認して、胸を撫で下ろした。彼女のためなら、その一人と一匹は何でもできた。人であろうがポケモンであろうが、彼らは変わり無く惜しみ無い愛を捧げていた。 「あいつには、指一本触れさせねぇよ」 逆境の中で、英雄の兄は、不敵に微笑んだ。 38.ホワイトナイト |