21.白き竜



ところどころ崩れた塔の壁の隙間から、西陽が差し込んでいる。スポットライトのようなその光を受けて、緑髪の青年がゆっくりとこちらに歩んできた。強いコントラストに、思わず目が眩む。
白黒の鍔帽に、真白なシャツ、細い体躯は光に埋もれてしまいそうですらある。
少女の唇はその青年の名を紡いだ。


「N」


「よく来たねトウコ、此所は古の竜、縁の地だ。しかしキミのもつ石は、反応していないようだね」


その言い方からすれば、Nの持つライトストーンには何かしら反応があったということか。トウコのショルダーバッグの中のダークストーンは、手にした時から変わらず中に暗黒を湛えているだけだというのに。

「あなたのは、どうだったっていうの」


青年の、おいで、という一声でトウコは全てを悟っていた。いや、悟った気になった。伝説のポケモンが伝説の地に反応してその封印を解いたのだと、それだけだと思った。

そこまで頭を巡らせたところで、彼女の視界は白に染まった。
まばゆいまでの美しさを誇る翼。遺跡内を一瞬で光で満たした、白いドラゴン。

「レシラム!」

Nの号令が響く前には、トウコはトウヤの背中に庇われていた。
二、三間はあろうかというドラゴンが遺跡の壁の穴から飛び込んで来たのだ、衝撃波ともいえるような風圧に、少女たちの身体が大きく揺れる。重たい着地音が響き、大竜が鳥を何千羽集めたのかと思うような声で一声鳴くと塔の壁は軋み、二人の額には汗が滲んだ。いつの間にか、周囲から他の気配が消えていたことも、二人は意識することさえできなかった。

「これが、伝説の竜…」
「こんなポケモン、見たことない。これほどまでに、大きいのがいるなんて」

ネジ山でのNとトウコとの応酬を聞いて半信半疑だったトウヤも、ついに事の重大さを思い知らされる。そしてそれは、トウコも同じなのだ。自らの手の内には、このレシラムと同等の力をもつドラゴンがいるはずなのだと、まだ見ぬ巨竜に身震いした。


「レシラムは、善の心を持たない者を焼き尽くすという。彼が落ち着いているところを見ると、この場にはそんな人間はいないようだね」
Nは白竜の威厳を背負いながら、にこやかに言った。光に紛れてしまいそうなにこやかな笑みもつかの間、次に口を開いたときには何十年もの深さのある悲しみを浮かべた。

「ならキミたちにだってわかるだろう?今、世界でどれだけのポケモンたちが苦しんでいるのかわからないわけではないだろう。望まないバトル、服従、苦汗労働、虐待。モンスターボールという枷が有る限り、彼らは逃げられない。」

トウコは自分がつばきを呑み込みのを感じた。ヒウンでの悲しい関係を目にした彼女は、ある一面、Nの言葉が正しいことを知っていたからだった。

「まるで奴隷じゃないか」
「ボクたちで救おう」
「彼らを」

だがトウコにとっては、そして多くのトレーナーにとって、その手段が問題なのだ。確かに全てのポケモンと人間を引き離せば、問題は無くなるのだろう。しかし、それでは。

「ボクらに協力する気はないかい?」

「ない!あたしはあなたに賛同できない。世界中の関係を壊すなんて、あっていいわけない!」

「だろうね。」

少女の敵対心に曝され、Nは僅かに首を振り、レシラムは小さく羽ばたいた。力強いトウコの返答に一番戸惑いを感じたのはトウヤだ。今隣で立っている少女は、自分といつも手を繋いでいたか弱く内気な女の子なのだろうかと疑ってしまうほどだ。巨大な竜を前にしても物怖じせず、意志を貫こうとする、そんな女の子だったのだろうか。

「トウコは、こんな奴と戦わせられるっていうのか…?そんな。」

「ボクが唯一認めたトレーナーだからね。雌雄を決するに相応しい相手だ。

ボクの理想が世界を変革するのか、トウコの真実が世界を停滞させるのか。」


「トウコ、ダークストーンを取り出し、掲げるんだ。そして自分の願いを、黒き竜ゼクロムに伝えろ。その想いが本物なら、伝説が応えるはずだ」

Nはやはり一方的に想いを語る。唱えることそのものに意味があるかのような言葉は、まるで神仏への祈りだ。
そんな風に厳かに、滔々と語るNに対し、トウヤは沸騰した。

「トウコ!こんな戦い、お前がする必要ない!」
「トウヤ?」
「おまえのことは俺が守る。もう誰にも傷つけさせないって決めたんだ。」
言うが早いか、トウヤは三つのボールを取り出し、空に放った。光を出して飛び出したのは、チコリータ、コジョンド、ギガイアスの三匹だ。それぞれレシラムの威光に一瞬たじろいだものの、すぐに戦闘態勢に入った。

「トウヤ!?どういうつもり!?」
「チコ、エナジーボール!」

頭部の葉を中心に、緑色に光るエネルギーが充填され、レシラムの頭に命中した。しかし、レシラムがダメージを受けた様子はあまりない。Nも特に行動を起こしはしないようだ。

「レシラムだって、タイプは持ってるはずだろ。ドラゴンは確定として、草が効かないってことは、毒・飛行・虫・炎・氷がサブタイプか。なら次はアース、ステルスロックで相手の動きを止めろ、コジョは跳び膝蹴り!」

トウヤの腕が前に伸ばされると、ギガイアスの作り出した岩がレシラムを取り囲み、コジョンドが素早く飛び出した。尖った岩を足場に、コジョンドは跳躍、しなやかな蹴りを繰り出した。

「効いてるみたいだな。なら残りは毒・虫・炎か。」

レシラムへの攻勢は見事なものだった。バトル慣れしたトウヤとポケモンたちは、華麗ともいえる動きを見せる。
とはいえ、全く動かないNとレシラムもまた不気味だ。

「トウヤ、もうやめて。危険すぎる」
「何いってんだよ。ここで畳み掛けるぞ。コジョンド、チコを抱いて跳べ、アース、地震!チコは上空からのし掛かり!」


流れるような連続技に、レシラムも身じろぐ。そしてとうとう、Nは声を発した。しかしそれはレシラムに向かってではない。

「もう、やめてくれないか。ボクはポケモンが傷つくのを、見たくはない。それはボクの信念とも違うんだ」
「あんたがトウコにつきまとわないって約束するなら、考える」

「ボクはつきまとってるつもりはないよ。ただ一対の英雄として、目指す道が同じだけさ。君こそ『妹』につきっきりで、たいした煩悩だね」

トウコは、チコが切なそうな顔をしたのを見逃さなかった。Nは、チコと会話したのだろうか。
「どうして、それを」

「ともかく、こんなバトル辞めてくれないかい。君のポケモンが傷つくだけだよ」

「ここで引いても、またトウコがこの変態と戦わされるんだろ。俺がやらないと、トウコが傷つくんだろ!」

「トウヤ、あたしそんなの望んでない!」

「うるさい!」
トウヤの脳裡には、幼い頃の記憶が過る。自身の注意が足らなかった故に、愛しい妹が傷つけられ、壊されてしまった経験は、実は兄にこそ傷を刻んだのかもしれなかった。



「埒が開かないな。仕方ない、レシラム、いいよ」

Nは心底残念そうに頭を振って、レシラムに許しを出した。







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