草木生い茂るヤグルマの森は、昼間でも薄暗い。何かが潜んでいても、目で見つけるのは難しいだろう。だから、辺りを探るため殊更耳を研ぎ澄ます。
トウコがイーブイを連れて森を歩いていると、茂みからどもり混じりの声が聞こえてきた。

「ぼ、僕はキミのことを、いや、キミが!うん、違うな、僕とつつつ付き合、」

トウコはその声に聞き覚えがあった。早口の青年の声。行く先々で出会うNという男のものだろう。会話の内容から察するに、色事のようだ。


「あのNにも、そういう相手がいたんだねぇ…」
手持ちのイーブイに話しかけると、彼女はいたずらっぽく私をつついた。

どんな人なのか、みてみよう、って?

確かに、あのNが普段の口調も態度も捨てて接している相手だ。きっとすごく惚れているんだろう。とっても綺麗な人かも?カミツレさんみたいな人かな?

音を立てないように気を付けて、私たちはそっと茂みに近づいた。わかりにくいけど、緑色のふわりとした髪と、白いシャツが見える。Nだ。相手の女は彼の影に隠れて見えない。Nの背中が震えたかと思うと、また新たな言葉を紡ぎだした。


「初めて会ったときから気になっていた、もっと話してみたいと思ってる。頭の中が、いつもキミで一杯になってしまってるんだ」


少し、胸がちくりとした。どうしてかわからない。
Nは色恋沙汰になんて興味無いんだろうと決めつけていて、想像が外れたから驚いているだけだ。そうだ、うん。


「僕の側にいてくれないか。キミが好きだ。」


ぽろっ

あれ。あれれれ。何も悲しくなんてないのに。眼から滴がこぼれた。私がそれを拭うと、側にいたイーブイはうーっ、と唸って、Nたちに飛び掛かっていった。

「っ!イーブイ!?だめっ」
続けて私が茂みから飛び出すと、当然、Nはとびきり驚いた顔をした。そして、その奥の女もまた…
「ええ?!」
Nの奥にいたのは、トレーナー帽を被った、ポニーテールの女の子。ショートパンツを履いて、黒のベストを羽織った、気の強そうな思春期の少女。それはつまり、

「あ、あたしがいる」
「と、トウコ。これは、その、」

トウコに瓜二つ、いやそのまま本人としか思えない女性が、そこにはいた。イーブイはNの横を素通りし、その少女にかみつく!

「きゃあんっ」
ポケモンの技を食らった少女は、当然悲鳴をあげてふらつく。トウコは急いでイーブイをボールに戻し、手当てのため少女に駆け寄る。ポケモンの技を人が食らえば、ただでは済まないだろう。早く病院に運ばなくては。

「本当にごめんなさい!!あなた、大丈夫!?」
すると、トウコの視界が霞んで、少女の姿がぶれた。
「あ…」

ぶれた影はやがて黒ずみ、毛むくじゃらの身体を成していく。

「大丈夫だよ。彼はそんなにやわじゃあないからね」「彼?」
背後のNが一歩前に踏み出し、トウコに背を向ける。
「おいで、ゾロアーク」

目の錯覚かと思われた「ぶれ」が和らぐと、そこには暗闇色のポケモンが現れた。Nはそれをゾロアークと呼んだが、初めて見るポケモンだった。


「あの、今のって、何だった、の?その子、人に化けてた?」

疑問を口に出すと、混乱して絡まった頭がするすると動きだす。Nの言葉。それを受ける私の姿。私に化けたポケモン。

「見た通りだよ。説明することなんてない。君がいつから聞いていたかは知らないけど――」

私から顔を背けていたNを、ゾロアークが軽く小突く。何を、と反発したNも、彼に説得されたらしく、こちらを向いた。二人のやりとりは、まるで仲の良い年頃の男子学生みたいだ。
イーブイは私の右足にじゃれついて、くるくる回っている。さしずめ私たちも、はしゃぐ女子学生みたいなものか。
ゾロアークに急かされて、Nは帽子で顔を隠しながらも口を開いた。

「トウコ。さっき僕が話していたのは、君と話すための予行演習だ。恥ずかしいよ。見られてしまうなんて、思わなかったから」

じゃあ?さっきの話は?私に?向けたもの?だった?
無表情なNがこちらを向いて喋りかけてくるだけで、私の心臓はあっという間にトップスピードに乗る。なぜだろう。

「改めて言わせてくれ、僕は、」



冷静な私が欠片でも残っていたのなら、彼の言ったことも、すぐに理解できたんだろうか。












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