「おい、なんとか言え?言えないんなら動け?」

げし、げし、と鈍い音が夜の裏路地に響く。イッシュの大都会ヒウンシティも、大通りでなければその喧騒を遠くに聞くのみだ。月明かりと、羽虫のたかる街灯がうすく照らす空き地に、1人の男とポケモンがいた。

近道を抜けようとしていたトウコはその不穏な物音を聞いて、近くまで行ってみることにした。危険なことがあれば、すぐにジャンを呼び出せるよう準備をし、摺り足で接近してみる。耳につく男の声が、いやな雰囲気を加速させた。


「つっかえねーポケモンだな。お前なんつー名前だっけ?種族値低くちゃ何にもできねーなぁ」

男は地面に這いつくばるポケモンを蹴るのも疲れたのか、空き地の隅の金属パイプを手にとる。

フェンス越しだろうが関係ない、トウコはその光景を見て状況を把握した。地面に臥しているエモンガは、もう幾度も打たれているだろうこと。男は何かの腹いせにエモンガをなぶっていること。トウコはモンスターボールのスイッチを押し、手の中でそれを大きくした。


「這いつくばってねぇで、何とか言えよ!」

男は両手で鉄パイプを振り上げ、真っ直ぐにエモンガに降り下ろす。数瞬早く飛び出したトウコのツタージャは、リーフブレードで、パイプを輪切りにした。割れたパイプの切れ端もトウコが鞄で薙ぎ、空き地の隅に転がした。がらんがらん、と鍋を降らしたような大きな音が鳴る。

「あなた、何てことするのよ!この子、痛がってるじゃない!」

「はぁ?おま、誰よ。コイツが弱すぎて使えないから、鍛えてやってんだよ」

「トレーナーが殴ったって、何もならないでしょ!?」

「耐久くらい上げておきてーんだよ。弱いポケモンなんだから仕方ないだろ」

弱いから、苛めるの?弱いと、虐められなきゃいけないの?
トウコは腹の底から怒りが込み上げてくるのがわかった。それが思い出せもしない被虐の経験に起因していると気付いて、また頭に血を上らせた。


「こんっの野郎…!」

トウコは強く拳を握って、男に振りかぶる。華奢な少女の拳など恐るるに足りずか、男は反撃の構えをとる。しかし、トウコの手は男に届くことすらなかった。

トウコの顔面には、ツタージャのリーフブレードが突きつけられていたからだ。
「ジャン」

同じく、男の腕にも、ツタージャの刃が突きつけられていた。それだけではない、彼の足元には、あのエモンガがへばりついていたのだった。二人は向かい合ったまま、膠着状態に陥る。


その沈黙を破ったのは、別の男の声だった。路地の暗がりから、音もなくもう1人青年が現れる。
「キミたち、何をしているの」

それは質問ではない。ただ純粋に、責めているだけだ。
暗くても見間違えるはずもない、その特異な緑髪は、Nのものだ。静かに歩く姿はいつもと何も違わないのに、トウコはその気迫に息を呑んだ。さっきまでの威勢が、しおしおと萎んで、頭から血が引いていくのを感じる。それは相手の男も同じだったようで、彼もまた腕を下ろす。二人の戦意喪失を見て、ツタージャも刃を引く。

「ちっ、トレーナーの邪魔までするとは、とんだ屑ポケモンだ」
新たな加勢者の出現がトドメだったのか、男はボールを捨てて歩き去って言った。去り際、縋り付くエモンガを蹴りぬいたため、伏したその子は、ぴくりともしなくなっていた。







「うん、うん、そうかい。君たちも無茶をするね」

Nは虫の息のエモンガを抱き抱えて立ち上がる。あたかもその子と会話しているかのように、耳を近づけて頷いている。先程見せた怒りの表情は消え去り、ただ慈しんで悲しむ表情を浮かべていた。

「この子は、最後までトレーナーを庇ってたみたいだね。ツタージャがリーフブレードをかざすのを見て、主人を止めたらしい」

まるで話を聞いたかのような台詞だったが、その場にいたトウコには、彼とエモンガが会話したことは真実のように思えた。

「それなのに、あの人にはエモンガが私を庇ったように見えたのね」

信じていた人を最後まで助けようとして、返ってきたのは暴言と暴力。純粋すぎる故の哀れさだった。

乱闘騒ぎも静まり、路地は都会の夜の喧騒を取り戻していた。ここではない他の道沿いはまだ人通りも多く、会社帰りの人達で賑わっているのだろう。

「ジャン、ありがとう、止めてくれて」
ジャンは答えるよう一声鳴いて尾を振った。それを見たNは通訳する。
「どういたしまして、だそうだ」
「でしょうね」
あなた、本当にポケモンと話せるの?とはトウコは訊かなかった。


保護するため傷ついたエモンガをボールに収めたが、ジャンは断固としてボールに戻ろうとはしなかった。トウコのボディーガードを気取っているのだろう、後ろから神経質について歩いていた。
そのツタージャと並び歩くのは、N。彼はエモンガをモンスターボールに入れるのには反対したが、その方が安全にセンターまで運べる、というトウコの案を受け入れた。そのためN自身、信念に拘りすぎるあまり、エモンガのことを第一に考えられていなかったことに気付いたのだった。ささやかな尊敬をこめて、前を歩くトウコの背を見つめる。
隣のツタージャも、それは同じだった。トウコは先程自分が激昂してしまったことを失態と思っていたのだが、一方ツタージャは彼女の優しさと強さを再認識した。赤の他人であっても助けることに躊躇せず、まっすぐに向かっていく彼女を頼もしくさえ思った。だからこそ、自分がトウコをサポートしてあげたい、と決意を新たにする。

「そんな人も、いるんだな」
ツタージャから一部始終を聞いたNは、トウコが自分の中で固まっているトレーナー像と異なっているのに気付いた。



「今は早くポケモンセンターに行って、この子を回復してあげなくちゃね!」


心地いい靴底の音とぺたぺたいう足音が、路地裏に響き渡った。





8.悲運のポケモン




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