中篇 | ナノ

3:自分より恐ろしいものは





大人しく医務室へ向かったアレルヤは、Dr.モレノの診察を受けていた。
べ、と出したを引っ張られ、咽喉の奥を覗かれる。
脇に挟んだ体温計は、一分もしないうちに音を立てて計測を終わった。
「ちょいと微熱みたいだな。咽喉も赤くないし、自分の部屋でゆっくり休んどけ」
単なる風邪の初期症状だと言い、モレノはアレルヤに薬を渡さなかった。
実際それを服用しても、アレルヤにはなんの作用も現れないのだが。
アレルヤはほっと安堵の息を吐く。
この熱に理由が付いた事で、なんとなく解放されたような気分になる。
ふわり、と風が揺れる。
背を向けた扉が開かれて、ひだまりのような香りが鼻先を掠めた。
「また客人か…。ロック、お前はなんだ?風邪か?」
その名前に反応して、アレルヤは身体を後ろに向ける。
「あ、いや……」
戸惑ったようなロックオンの視線が、アレルヤを射抜く。
「ロックオン…」
噛み締めるように彼の名を呼んだ。
まさか、追い掛けてくれたの?
「ティエリアに、アレルヤの様子見て来いって…」
嘘だ。”行け”なんて言われてない。
アレルヤの濡れた月の銀盤がこちらをじっと見ていて、その熱さから逃れるようにして目線を逸らした。
馬鹿やろう。するならもっとマシな嘘を付けよ、俺。
「様子も何も、熱っぽいだけだ。自室で安静にしてりゃあすぐ下がるさ」
「え、そうなの?あー、…」
失敗した嘘-ミッション-に、返答を与えられた。
そうか、なんだ、微熱か。よかったよかった。
「丁度いい、ロックオン。アレルヤを部屋まで送ってやれや」
「はっ!?」
Dr.モレノからの新しいミッションだった。
それにロックオンは過度のリアクションで返す。
「道中で倒れられるよりマシだろう。それに、未成年者を保護するのが年長者の役目ってもんだ」
そこまで悪い病気なのか!?とつっこみたくなるのだが、十中八九、譲歩して七割八分、この部屋から追い出したいのだろう。
「いやコイツ……!」
ロックオンは反抗する。だってこいつはもう子供じゃない、大人なんだ。
大人の保護なんていらない。あるだけ無駄、されるだけ不快。
「ほらほら出てった出てった。本当に具合悪い奴が来れんだろう」
しかしそんなロックオンの心情をつゆ知らず、二人医務室から追い出す。
扉を締めながら、「早く仲直りしろ」、と忠告の言葉だけが廊下に残った。

「…………」
「…………」
沈黙。会話不全。交流不可能。
「すみませ……僕、一人で帰れますから…!」
金切り声でアレルヤは呟く。
目をあわせてなどくれない。
「あっおい!」
「!?」
ロックオンがアレルヤへ腕を伸ばしたその時だった。
右足を屈折するように薙いで、アレルヤはロックオンの視界から消えた。
「…ったく、本当に具合悪いのかよ…っ」
ぎりぎり掴んだ左手のお陰か、アレルヤは膝を突いた状態でなんとか転倒は免れた。
「大丈夫です!今のはちょっとフラついただけだから!ぼく、未成年じゃないし…っ」
見詰められる碧眼が嫌いだ。
こんなにも真摯に向けられて、僕の本質を覗かれてしまいそうで怖かった。
厚い本革の手袋から逃れようと手を振り解こうとした。
「じゃあ提案」
ばつの悪そうなロックオンの笑顔が向けられる。
「……?」
ロックオンは眉は顰め、汗をかいていた。
ちがう、これは、苦しいのを我慢している表情だ。
「俺を部屋に連れてってくれ…」
アレルヤが合点したとたん、糸が切れたようにふつりと、アレルヤの手を握ったまま巻き込むようにして倒れた。
他に助けてくれるものなど、誰も居はしない。


「…ごめ、ん」
頬を伝った汗が、背負っているアレルヤの鎖骨へと流れた。
肌寒さにがたがたと揺れているのはもうどっちがどっちか解らない。
アレルヤは異常に冷たいロックオンの手を握って、背中で半分背負い込んだまま遊歩を続けていた。
息だけが熱く、アレルヤの耳朶を撫で上げる。
「何がですか」
「色々と」
たんたんと尋ね、そして返答が帰ってくる。
(あったかい…)
触れた場所から熱が伝わっていた。
この熱のように、言いたい事も思っていることも、すべて簡単に伝われば、世界はどれだけシンプルになるんだろう。
「今この現状についての謝罪は?」
「滅相もございません」
はぁ、とアレルヤは音を立てて嘆息する。
謝るくらいなら、気に掛けてくれなくても良かったのだ。
無性に苛立ちが募る。
少々乱暴だが肩が抜けないように、ずり落ちてきたロックオンをアレルヤは背負いなおした。
「……具合が悪いなら、さっき診察してもらえばよかったのに…ッ」
「ほら、俺って意地っ張りだから」
ロックオンは乾いた笑みを浮かべる。
「否定はしないけどね」
彼のエゴイズムの片鱗は、この間見たとおりだった。
それをどうとか、アレルヤは決して思わないし、嫌だとも思わない。
エゴのもっと内側が、彼の本質であるから。
それを変えてしまったなら、もうそれは彼ではなくなる。
「なあ、アレルヤぁ、」
あまったるい猫なで声だった。
こちらの様子を伺うように、わざと出されたその声は、か細く、掠れた次の言葉を紡ぐ。
「俺のこと、嫌いになっただろ」
「あんな情けないところみせちまったし、…お前が、俺のこと、信頼してくれてたって知ってるから、あ、これは俺の勘違いかもしれないけど、なんていうか、幻滅させちまったかなって」
「きら…い?」
その言葉を最後に、アレルヤは押し黙る。

(何も、言わない?)
俯いたまま何も返答をしてくれないアレルヤをどうしたらいいか解らなかった。
ロックオンはもう一度考え直し始める。
(俺は、アレルヤのこと、どう思っている。)
自らに質問を投げ掛ける。
("どう"…って、アレルヤは誰にでも優しくて、戦闘能力だけなら誰よりも強くて、気遣いが出来て、いつもみんなの事心配してて、……いつも傍に、)
いてくれたのは、アレルヤ。
いつも微笑をくれたのは、アレルヤ。
今更気付く。
"お前の笑顔は、まだ見たことが無い"って。
(見ていなかったのは、俺のほうじゃないか……!)
眼中に無かった。いや死角だったのかもしれない。
アレルヤの笑顔がフラッシュバックする。
色んな笑顔がそこにはあったのに、通り過ぎる景色のようにロックオンはそれを見逃していた。
乾いた咽喉を鳴らす。
咥内に唾液はもう一滴も無いくらい、カラカラだった。
頬だけ真っ赤になって、今までのアレルヤの声や表情、触れた手の大きさや、がっしりしてる背中と、腕の中が頭の中でグルグルと目まぐるしくシャッフルリピートされていた。
(ど、どうしよう、何を言おう、何を…!)
ドクドク脈打つ鼓動が早さを増す。
五月蠅いくらいにバクバクする心臓を今にでも握りつぶしたかった。
つぶしたかったけれど、次に浮かんだ言葉で身体の芯が冷える。
「……『言わなきゃ解らない』って自分で言ったけどさ、」
ロックオンは自らの言葉を復唱する。
魔法の呪文を唱えるように、あるいはまじないの怨嗟のように。
それは自分を貶めた言葉。そして目の前にいるアレルヤを傷つけた言葉だった。
「それは俺もなんだよ」
だから素直に言おうと思った。
でも思っただけではアレルヤへの想いは言葉にはならない。
勇気も知識も力量も無い。
資格だけが曖昧にそこには在る。
(愛して、とは、言えない)
もう十分愛して貰っていたのだと自覚したから。
(でも好きとも言えない)
愛されていないと泣き喚く子供ではなかった。
昔も今も、無自覚だけが自分を構成している。
「だからもう一度俺の心を覗いてくれ。そうしたらきっと解り合えるから」
ぽかんと口をあけたアレルヤがこちらを見る。
理解を超えてしまったのか、アレルヤは頭の中を整理しようと思案した。
むしろあの晩、恥ずかしいところを見せたと思っていたのは自分の方だったとアレルヤは思っていた。
彼の心を覗いてしまったという罪悪感と、崩壊していく自制心。
思い出すだけで背筋が凍る。
自分はかれのどうでありたいのか。
彼はじぶんのどうであってくれるのか。
関係なんて形式名は要らない。
(傍にいてくれれば、それで)
その気持ちだけはあの晩から何一つ変わりなどしない。
だけどこの気持ちに何か名前を付けてしまったら、それは今までの彼に対する純粋な気持ちでは無くなってしまう。
変質するのだ。
芋虫がサナギになり、羽化し、蝶になるように。
朝起きたら巨大な蟲になっていたとか、妖精が土と埃と血に塗れた人間になるように。
変わることが怖い。
世界の変革を望んでいるはずなのに、この緩やかで穏やかだった関係が一晩でマイナス180℃の銀世界へ放り込まれた様な気分だった。
アレルヤは押し黙った。
これ以上抗弁したら、きっと彼との関係はより希薄になるだろう。
ただ彼の後ろで。
彼が微笑んでいるのを眺めて生きていたい。
会いに行こうと思えば会いに行ける、この距離を捨てたくない。
「あの、」
アレルヤは意を決した。
素直な気持ちを伝えようと思った。
だけれどその為には決定的な何かが足りない。
「もう一度、笑ってくれませんか」
ただ懇願するのは彼の微笑。
それ以外は何もいらないし、それ以外を貰おうだなんて、烏滸がましいと思う。
「……え、」
自分への問質で呆けていたロックオンは、呆気にとられた声を漏らす。
ロックオンの頬だけの赤みは、気が付けば首まで及んでいる。
それにアレルヤは気付かずに、先程のロックオンのように頬を染めていた。
「ちょ、ちょっと待て、今俺すごく混乱してるんだ!」
少年少女のように紅潮したアレルヤの無垢な表情が、ロックオンをより動揺へと追いやる。
(笑って?何故?今!?)
まったくもって意図が理解できない。
そんな事を話していた訳じゃない、そんな切り返しは反則だとロックオンは叫びたかった。
「…返事を下さい。僕は、貴方を嫌いになんてなったりしません。貴方の傍から離れたくない!」
向き合ったアレルヤが胸の中へ飛び込んでくる。
少々勢いのあったそれのせいで、ロックオンはすこし後ろへ浮いてしまう。
涙を浮かべたアレルヤが、あの日のように縋り付いて来る。

「そういうのじゃないんだ、俺の心、見たら解るだろ?」
その肩を少し押して、ロックオンは理解を求める。
声には焦りの色が浮かんでいる。
心を覗いて全て曝け出してしまえばもう何も残るものなど無かった。
「解らないよ…っ」
アレルヤが痛切な声を上げる。
どうしてロックオンはこんな事を言うのだろう。
理解に苦しんだ。
心を覗き見るその罪悪感を、本質の変異を。
アレルヤは否定したかった。
繋がっているのは恒久和平という願いのみ。
その他は何の意識も感情も存在しない。
彼の中に自分は居ない。
僅かに綻ぶ心の解れを彼のように曝け出せれば。


「あいしてるなんていわない」
ロックオンがぼそりと呟く。
その言葉にアレルヤは息を飲んだ。
言ってしまってもよいのだろうか。
彼は僕をこんなにも愛してくれている、こんなにも僕の事を求めてくれている!
稀代なる大量殺戮マシーンの、この僕を!
「…っ、ー…」
声が震えている。
共に盃を交わし、彼の心を覗いたあの夜以上に、声も、顎も、肩も、体全身がカタカタと震えていた。
言葉に出すという行為は、こんなにも難しいものだっただろうか?
彼の期待のまなざしが唇に突き刺さる。
見られていると感じる程に、唇は震え音を発するのを拒んだ。

「駄目、言えない!」
弾かれたように俯いていた彼が顔を上げる。
「なんで!」
「だって、これは僕が勝手に盗み見たものだもの!貴方から聞いた言葉じゃない!」
「さっきの言葉だってそうだ。愛してるだなんて!」
そうだ僕は彼の言うこの感情を知っていた。
だけど僕の知ってる感情と、彼が肌越しに伝えてくれるこの感情は似たようで別のもの。
僕の知ってるそれは、こんなに胸が熱くならない、頭の中を苛まない!
僕の知ってるそれは、もっと心が穏やかになるもので、苦しみなどとは無縁の筈なのに。
「愛…して…」
る?
僕が?彼を?
今やっと気付いたその意味の違いに、僕は頭を抱えた。
「恋してるのかもしれない」
恋焦がれて、胸が焼けるように熱くて、頭の中はその恋しさがつのり自らを痛め付ける。
「キスしていいか?」
「……やだ、ダメ」
「なんで」
「だめ……ん、」
「ごめん、しちゃった」
「駄目って言ったのに…!」
「じゃあ何回キスしたら解ってくれる?何回抱き締めたら許してくれる?」
「……貴方って人は!」
「だって、好きなんだもん。仕方無いだろ…!」
兄貴風を吹し飄々と掴み所のない彼では無かった。
この近距離だからなのか、ゆらゆらと感情が揺れているのが僅かながらに脳量子派で解る。
でもそれがどういう意味の感情なのか、なりそこないの僕には理解出来なかった。
「もう、やだ…!」
なんてわがままな人なんだろう。
僕はこんなにも罪に怯えているというのに、その罪を共に受けんと手を差し延べて来るのだ。
引きずり込まれてしまいそうな程、その海の色が恋しい。
その突き抜ける青空の色が愛しい。
誰に、じゃなくて、僕に。

prev / next
[ back ]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -