初めて見た君は、手を動かせなかった。
腕から伸びる袖は長く、腰に巻き付けるようにして自由を奪うようにそれは見るからに異様だったと思い出す。
食事の時だけそれは外されたが、トレイの上に乗せられるはパンやサンドイッチなどで、箸はおろかフォークやナイフは一切与えられなかった。
手だけで食べられるものが殆どで、たまに例外にスープやオートミールといっしょにスプーンが付いてくるだけだった。
君の部屋にはものを書くペンが無い。
それどころか、櫛すら、無かった。
「……髪、切らないの?」
時々話し掛ける。
返事は無い。
食事を外で食べられるようになった。
監視付きだが、割り箸くらいは与えられるようになった。
食事をするところを見なくなった。
鉄格子の向こうで、君はいつも何かを呟いている。
変わらない水曜日の午前。
君の賛美歌だけを聴く。
その日はこっそり、ヘアブラシを懐に忍ばせていた。
誰にも咎められないのをいい事に、祈り終えた君に声を掛ける。
「髪、梳かしてあげる」
おいで、と手招きをする。
鉄格子越しに腕を差し入れた。
ゆっくり、一房一房、その髪を梳かす。





「……」
じっとりとした夏の朝だ。
懐かしい夢を見た、とニールはぼんやりとした意識の中で想った。
白い天井が自分の部屋だと思えるようになったのはいつ頃からだろう。
少なくとも、アレルヤがこの部屋に来てからだという事だけは分かる。
ゆっくりとニールは視線を横へと向けた。腕の中で眠る呼吸は小さいながらも落ち着いていた。
あの頃は鉄格子越しの、薄暗い部屋で見ていた髪は光を通せば艶が出てきたのが分かる。
長い黒髪だ。ふわふわとしていて、所々跳ねているのはきっと寝癖だけでは無いのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えながら、繋いだままの手を見る。五本の指が絡められていて、すこし擽ったい。
あの時のアレルヤの手はミトンのように纏められていた。
なんとか上体を起こして、ニールは目覚めようとする。
夏は太陽が上がるのが早くて、ほんとうはもっと寝たいのに暑くてそれは叶わない。
「おは、よ、う……?」
起き上がったニールに気付いたのか、アレルヤは微睡んだ視線を此方に向ける。
「……もうちょっと寝よう」
後ろでにエアコンのスイッチを入れる。キッチンへの扉は締め切っているから、すぐに涼しくなるだろう。
「おしごとは……」
「今日から盆休み」
「そうだっけ……」
むにゃむにゃとまだ睡魔から逃げ出せないアレルヤがニールに擦り寄る。
仔猫のような、仔犬のような……どちらにせよ、小動物っぽいのは変わりない。図体はそう変わらない筈だけどそう見えてしまう。年齢の割に幼いというか、それはまだ夢の中だからなのだろうか。
取り敢えず、盆休みなのは本当なのでもう一度横になる。
実家に帰るのが面倒なので毎年時期を外している。
それは今の仕事に着く前から変わらない。一種のサービス業なのだから仕方ないと親には毎年謝りの電話はいれるのだが。
しかし今年ばかり、こうも親不孝な事をしている夏は無いのだろう。
お互い盆など無い人種だとは見て理解できるが、それ以前の問題であるのは、残念ながら遠くに住む両親には説明しても到底解ってもらえないだろう。
それはとうに分かっている。だから、取り敢えず、今朝はもう少し惰眠を貪りたいのだ。




「……パンのにおい」
前職と比べて規則正しい生活を送っているせいで、空腹にどうにも勝てずに目が覚めた。
「トーストサンドです」
既に身支度を終えたアレルヤがダイニングに立っていた。
薄目の卵焼きにハム、きゅうり、トマトにハム。それと頂き物のチーズ。
パンを焼く傍らで野菜を切っていた。
もう包丁を持つ姿は見慣れたものだ。
「お休みだからって、気を抜いちゃダメですよ」
ギラリ、と包丁と銀色の瞳が此方を睨んだ、
「わ、わかってるって」
前言撤回。やっぱり半年経ってもまだ慣れない。
しかし台所に立つ姿は様になって来たというか、もともと料理上手だったというか、意外なくらいしっくりする。
二人で食事をする。一緒に暮らしてまだ一年も経っていない。
秋の終わりに再開を果たして、身寄りも住むところも棄て去ったアレルヤをこの部屋に招き入れた。
不思議なくらい一緒にいるのが馴染む。
以前は鉄格子越しですら触れ合えないほどの距離であった。
だって目の前でエプロンを着こなす彼は犯罪者で、自分は刑務官だった。
ニールは今がまるで夢のように思えてしまう。
「お盆休み……」
ぽつり、とアレルヤがカレンダーを見て呟いた。
「何処か行こうか」
車でも借りて。ニールはそう提案するが、アレルヤはぷるぷると首を横に振った。
「い、いいですよ。何処行ったって手配書が……」
アレルヤが釈放されてからずいぶん経つ筈だが、小さな町ほどそういうものが剥がされず残されている。
「逆に人が多い所に行ってみるのは?」
それを見越して、ニールはアレルヤの言葉に食いつく。
「海とか。盆終わったらクラゲが出るから、プールの方がいいかな。アレルヤの水着姿見たい」
「み、みずぎ!?」
「社会人になってからあんまり遊ばなくてなー……。ウォータースライダーとか得意?」
「えぇっと……水着、持ってないんで……」
「んじゃ、デパートでも行くか」
「ここ数年人前で脱いでないんでムリですっ!」
「俺の前でなら毎晩脱いでるだろー……てか、女子みたいな事言うなよ。アレルヤの筋肉綺麗だから大丈夫だって」
「そうじゃなくってっ!」
カッとアレルヤの顔が赤くなる。

電話

「……はぁ?実家に帰れだぁ?」
その夜。
電話(実家)
「んな事行ったって、もう盆のシーズンは過ぎてるだろ?……え?親戚への示しが付かない?そんなの関係ないって……新幹線のチケット送った!?」
「ちょっちょっちょっと待ってって母さん!俺前に言ったろ?今同棲してるって……は!?連れてこい!?」

宅急便受け取るシーン


「……ごめん、アレルヤ……」

「帰って来いって電話でしたか?別に一人でも大丈夫ですよ?折角なんだし実家に帰って……」

「うん……ていうか、連れて来いって」
「はい?」
「俺前に口滑らせて。今同棲してるって……そしたらチケット二枚送るって。」
「……」
「という事で、デパートで実家挨拶用の服買いに行くぞ!!!」
「えっいやそれ関係無いんじゃ……」
「残りの一枚ライルに渡したら俺が殺されるから!かわいいの買おう!!」
「そっちが目当てなんじゃないんですか!?」





「まあ、こんなもんかな」
何着か服を買う。
「べ、べつにサイズおんなじなんですから新しく買わなくっても……」
「アレルヤらしさってもんがあるだろー。それと、ズボンは俺の履いちゃダメ。ちゃんとサイズ合う奴じゃないとアレルヤの足の綺麗さが……」
「で、でもこれちょっと小さいんじゃない……?」
「タイトな方が絶対いい。あとは……帽子あった方がいい?」
「それは、出来れば顔隠したい……」
「じゃあこれ」
「これは明らかに女の人用じゃない!?」
ツバの大きな白い帽子。
細く結ばれたリボンが後ろから垂れている。
「」


新幹線

「ニール、すっごい笑顔だね……」
「いやー最初は全然気のりしなかったけど、綺麗な奥さん連れて実家挨拶と思えば!俄然テンション上がる!!」
「そ、そう……」
「……白も似合うなあ」
「あんまり着ませんから……」←汚しそうだから
「到着まで時間あるけど、帽子脱がないの?」
「だって、顔見られちゃう……」
腕が背中に回される。二列シート。
「んじゃ、俺の肩で寝ときな。」
「へ、ヘンにみられちゃうって……」
「大丈夫だいじょうぶ。さっき『新婚さんかなー』とか言われてたから」


到着

セミの鳴き声。
炎天下。
「来ちまった……ああ……来ちまったさ……」←後悔中
「はいはいもう戻れませんよ」
「いっそアレルヤの方が落ち着いてねえか?!」
「……もう、失くすものが無いですからね。どっちに転んでも。」
「……でも、もし許してもらえるなら……許されるなら、それは……ちょっと、緊張します」
「……」
「ごめんなさい。貴方にとっては、ご両親に対する不道徳なんでしょうけど」
「謝るなよ」
「今日まで隠してきた俺が悪いんだよ。全部。隠してたのは、お前との関係が後ろめたいって……内心できっと思ってたんだ……」
「だから、今日はちゃんとした気持ちで、言う。許す・許さないは……二の次でもいいか?」
「いいですよ」
手を握る。

実家前

「ただいま」

ガラリと引き戸のガラスとレールが音を立てる。

「おかえりなさい。何年ぶりの帰省よ、まったく」

「ごめんって。言われた通り、連れてきた」

「……ライルにチケット譲るかと思ったわ」

「あれだけ電話で脅されたら、連れてこない訳ねーだろ……隣で聞いてるんだし」
「あらやだ、聞こえてたの?」
「だから同棲してるんだから!」
「ごめんなさいねえ……」
後ろを覗き込む。
「どうも……初めまして」
「まあ可愛らしい帽子被って。暑かったでしょう?立ち話もなんだから上がって頂戴」
「母さん、父さんは?」
「……それ解っててニールは言ってるのかしら?」
「仕事ですねすいません!!!!!!!!」
(ちょ、ちょっと気付かれてないんですか……!?)
(母さんへんなとこ抜けてるから……)

「アイスティーでもいいかしら。毎年私の実家から送られてくるの」
「あ、いつも美味しく飲ませて貰ってます……!」
帽子のつばで口元を隠す
「嬉しい。ニールったら、もう送って来るなって言うのよ」
「淹れる暇無くって溜まってるんだよ」
「……でも二人とも出て行っちゃったから、おうちにもいっぱい残ってるんだから」
「新しいおうちには馴れた?同棲するから引っ越したんだったかしら?」
「母さんちょっと落ち着いて」
「これが落ち着いていられると思う?今時珍しい綺麗なブルネットね……大和撫子ってこういう子を言うのよきっと」
「だから、おちつけって。とりあえず自己紹介!」
こほん、と息を突く。
「」






かわいいかわいいかわいいかわいい!!!





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